第366回:勝山館(蠣崎氏 蝦夷支配の中心となった城)の詳細

第366回:勝山館(蠣崎氏 蝦夷支配の中心となった城)
こにるのお城訪問記
ページの情報
記事タイトル 第366回:勝山館(蠣崎氏 蝦夷支配の中心となった城)
概要

訪問日:2017年8月勝山館(かつやまだて)は北海道檜山郡上ノ国町にあったお城です。国史跡に指定され続日本100名城にも選ばれています。築城時期は不明ながら蝦夷を支配した戦国大名 蠣崎氏の祖にあたる武田信広が築いたとされます。武田信広は花沢館の蠣崎季繁(かきざきすえしぎ)の客将 …… more 時代に気に入られ蠣崎氏の婿養子となっています。1457年 アイヌが蜂起したコシャマインの戦いでは道南十二館の内,十館まで陥落しましたが,信広はこの乱を鎮圧。その後に拠点としていた洲崎館から軍事的に優れた勝山館に拠点を移して蝦夷の戦国大名としての地位を築いていきます。信広の子の蠣崎光弘が1514年に本拠地を大館(徳山館)に移した後も引き続き重要拠点として機能したと考えられています。  ◆夷王山の麓にある史跡上之国館跡のうち勝山館跡の城碑。◆山側からアクセスすると写真の勝山館跡ガイダンス施設があり勝山館についての情報を入手することが出来ます。現地の案内板より。今回は車で山に上り南側に当たる左側よりアクセスしました,こちらにガイダンス施設もあるのですが搦手になります。海側より右側(北側) から大手筋を登ってくるというのが本来の登城ルートなのです。大きくは主曲輪と北曲輪の2つの曲輪で構成されています。  ◆城の背後にはこの独特な形をした夷王山が聳えていました。当時から象徴的な存在であったと想像できますね。◆せっかくなので夷王山に登ってみました。素晴らしい眺望です,武田信広がこの地に館を構えた気持ちがわかります。  ◆夷王山から城跡方面に向かいますと夷王山墳墓群と呼ばれる600以上の墓が残っています。蠣崎氏一族やそれを支えた和人,さらにはアイヌの人々も葬られていると考えられています。◆城の背後にはゴミ捨て場が見つかっております。勝沼館の人が捨てたと推定されています、  ◆城の背後に残る水の手の遺構。水樋跡と井戸跡が見つかっています。◆ここに南北方向に空堀があったそうです。  ◆行く人が少ないようで道の整備が今一なのですが,西の谷に下りていきますと華ノ沢倉庫群と呼ばれる場所があります。◆華ノ沢倉庫群この古い案内板には伝侍屋敷とかかれています。途中で見解が変わったのかな?  ◆元に戻りまして,搦手を守る主要な空堀を見ていきましょう。案内では空堀Ⅱとありました。◆これが搦手門手前の巨大な空堀です。(空堀Ⅲ)  ◆これらの空堀が絡み合いながら水の手の方面に降っていきます。◆搦手門の土塁。ここより内側が本曲輪です。  ◆内側から見る搦手門跡。◆搦手の横に残る館神八幡宮跡。武田信広が城の奥に築き八幡神を祀った後です。  ◆搦手すぐの掘立柱建物跡。勝山館は平面展示の整備が充実しております。◆本曲輪の中央を城道が貫き両側に建物跡が多く残っています。 はるか彼方に町並みや海まで見通せる立地であったことがわかります。  ◆これは柵列跡です。階段状となった削平地の境界にはこのような柵が多く築かれていたようです。◆振り返って搦手門方面を見ています。階段状に建物跡が残っていることが分かりますね。  ◆本曲輪の東側は帯曲輪や櫓が築かれ厳重な守りであったそうです。写真でも帯曲輪の様子がわかります。◆勝山館は整備が行き届いており,一面に建物跡が平面展示として示されています。  ◆例えばこれは馬屋跡。やはりここまで馬で登ってたのですね。北海道在来種は馬力があるので楽勝でしょう。◆ここは場内最大の建物である宮殿跡。城主が使用していた中心的な建物であったと考えらえています。  ◆本曲輪の大手門跡に到着です。空堀を木橋でわたります。◆大手側のこの二重堀切では最大の見所ではないでしょうか。本曲輪と北曲輪を隔てます。  ◆大手門跡を北曲輪から見ています。◆外から見ると本曲輪の切岸もなかなか凄い。  ◆北曲輪は登城道以外は整備されていません。◆外から北曲輪に入る虎口部分です。  ◆北曲輪から麓に降っていく途中にある荒神堂跡。勝山館 城代であった蠣崎高広の子基広は本家の蠣崎季広に謀反を企て失敗に終わり討ち取られました。その後,基広の亡霊が現れ祟ったためここに墓を立て祀ったと伝わります。◆荒神堂跡には社のようなものがあったのでしょうか,礎石とや石段が残っています。  ◆麓近くに残る削平地は物見曲輪と言われています。◆下からは国道228号線のこの場所から登ることになりますが,実際の登城という意味ではこちらの方が良いかもしれません。上に車を置いたので,結局もう一度登ることになりました。重要文化財の旧笹浪家住宅がすぐそばにありますので見学するのも良いですね。武田信広が発展させた蠣崎氏の蝦夷の支配力を決定付ける城郭と言えるでしょう。北海道の歴史としてはどうしても幕末が取り上げられることが多いのですが,蠣崎氏の城郭を押さえることにより中世から近世の移り変わりを知ることができるのです。 大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第366回:勝山館(蠣崎氏 蝦夷支配の中心となった城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 北海道の城郭
投稿日時 2020-04-20 18:40:03

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