第361回:[蝦夷]松前城(北海道に残る日本式近世城郭)の詳細

第361回:[蝦夷]松前城(北海道に残る日本式近世城郭)
こにるのお城訪問記
ページの情報
記事タイトル 第361回:[蝦夷]松前城(北海道に残る日本式近世城郭)
概要

訪問日:2017年8月松前城(まつまえじょう)は北海道松前郡松前町にあったお城です。福山に築かれたため福山城の別名も持つこのお城は国史跡に指定され,日本100名城に選定されています。江戸時代を通じてこの地を治めた松前氏は元々 蠣崎氏(かきざきし)といい,戦国時代から蝦夷の渡島半島…… more を本拠地としていました。元々は大館を本拠地としていましたが松前藩 初代の蠣崎(松前)慶広が1600年頃から福山館を築き本拠地を移しこの地を治めたことに始まります。幕末になり異国船の接近に備えて防備強化の要求が高まり幕府の命により当主となった松前崇広は1850年 福山館の場所に築城を開始しました。1868年よりの箱館戦争では五稜郭を奪取した旧幕府軍の攻撃にさらされます。藩主の松前徳広は攻撃の前に館城に移っていたため蠣崎民部や三上超順(みかみちょうじゅん)等が応戦したものの落城し旧幕府軍の手に落ちました。旧幕府軍は人見勝太郎を置き守りますが,翌 1869年には新政府軍の攻撃を受け再び松前藩兵により奪回されました。  ◆福山の上に築かれた松前城の遠景です。平山城であることがよくわかりますね。昭和の時代には廃線となった国鉄 松前線がこの位置でお城の下のトンネルから出てくる姿が有名でした。◆松前城には5カ所の入口があったそうですが,市街の端にあるこの急な階段は天神坂です。松山町中心部の案内図です。現在地の位置が天神坂の前ですね。  ◆天神坂を上がると復元された天神坂門があります。◆こちらは天神坂口より北側にある馬坂です。初代藩主の松前慶広の四男 松前数馬之介由広が大坂冬の陣の直前に豊臣方への内通を疑われ家臣に惨殺された場所とされ,数馬坂と呼んでいたものが縮まって馬坂になったと伝わります。  ◆馬坂にある史跡 福山城跡 の城碑。◆三の丸に到着。 正面に見えるのは外堀越しの搦手二の門,その前には三本松土居。紋から続く土塀には鉄砲狭間も復元されています。現地にあった二の丸,三の丸の案内図。馬坂や天神坂から登るとまずは三の丸に到達します。三の丸には五番,六番,七番の台場や外堀が復元されています。  ◆二の丸と三の丸の間に復元された外堀。◆外堀を別の角度から。  ◆1854年に海防のために七つの台場が三の丸に設置されました。その内,復元された台場の一つである五番台場。◆復元された高麗門形式の搦手二の門。  ◆搦手枡形に入ると右手にある東郭。ここにあるのが隅櫓跡です。東側の防備に重要な役割を果たしました。◆二の丸の南東隅にある二重太鼓櫓跡。海上遠くまで見通せるこの位置は防備上非常に重要であったことが分かります。  ◆二の丸から見る本丸御殿と復元された三層の天守。松前城の典型的な構図ですよね。◆天守台の石垣には生々しい弾痕が今も残ります。  ◆天守から続く石垣は亀甲積みと呼ばれる珍しい積み方。切込接ぎの一種ですが,降雪によるダメージを抑えるために隙間なく積まれている様子が分かります。◆天守の中は松前城資料館となっておりアイヌや松前家に関わる展示物を見ることが出来ます。  ◆天守よりの眺望。◆天守が失火で焼失した際にも免れた貴重な現存遺構の本丸御門。国重要文化財の指定を受けております。厳しい環境に耐えるため銅板で吹かれた切妻屋根で重厚な雰囲気を漂わせています。  ◆松前藩は本丸御門の扉を開けては大砲を発射,扉を閉じて弾を充填を繰り返したそうですが,開けた瞬間に旧幕府軍に突入されたました。◆この広い空間が本丸御殿のあった場所です。本丸より先はこの古い縄張図が参考になるかと思います。上の写真は右上の方から本丸を見ている形になります。  ◆本丸の横には内堀が残っています。◆また本丸には大土手と呼ばれる巨大な土塁も残っています。  ◆二の丸の片隅に移築された本丸御殿玄関。元々は京都の伏見城にあったものの移築したとされます。1982年まで松坂小学校の玄関として使われていそうです。◆本丸の奥にある闇夜の井戸。若くして当主となった松前矩広の時代は権力争いや不祥事が絶えなかったといいます。大沢多治郎兵衛という忠臣がいましたが,反対勢力の悪心たちに謀られ殺された井戸ということです。殿が鉄扇を落としたので拾ってこいと言わた多治郎兵衛が降りたところ大石を掘り込まれ惨殺されたという言い伝えが残っています。  ◆闇夜の井戸と並びにあるのが耳塚です。1669年に起こったアイヌの反乱であるシャクシャインの戦いで,アイヌをだまし討ちにした後に首の代わりに持ち帰った耳を埋めた場所と言われています。◆本丸の北側にある松前神社。松前藩の先祖にあたる武田信広を祭神としています。  ◆本丸の西側に回り込みますと外堀跡である月琴堀があります。現在は公園化されています。◆月琴堀の側面にトンネルの後が!これは廃線となった国鉄 松前線の跡のようです。国史跡の下をぶち抜くなんて今では考えられませんよね。  ◆城の北側に広がる寺町を散策。これらの寺はいざという時は搦手の防御機構として機能させるべく集中させたと考えられます。写真は龍雲院(りょううんいん) この寺は箱館戦争以降の旧幕府軍との戦いでも消失を免れたため本堂をはじめとした多くの古い建築物が残っています。◆こちらは光善寺前にある血脈桜(けちみゃくざくら)。精霊と血脈(極楽への証文)の伝説が残り樹齢300年を超えると推定され松前を代表する桜となっています。  ◆寺町の奥にある松前藩主松前家墓所。松前藩 歴代の君主とその家族の墓があります。◆これは北東部にある阿吽寺 山門で松前城の堀上門が移築されています。  ◆城の南側にあった沖之坂口は石垣の発見などあったためさらに史跡指定の範囲を広げているそうです。◆この日は松前に宿泊しましたので,夜の松前城も見に来ました。幻想的。日本の近世城郭史の末期を飾る名城。江戸時代は北海道唯一の藩である松山藩の趨勢を見続けてきたお城です。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第361回:[蝦夷]松前城(北海道に残る日本式近世城郭)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 北海道の城郭
投稿日時 2020-04-04 00:00:03

「第361回:[蝦夷]松前城(北海道に残る日本式近世城郭)」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;