対馬 金田城 [1/4] 長大な石垣の城壁を持つ最前線の古代山城の詳細

対馬 金田城 [1/4] 長大な石垣の城壁を持つ最前線の古代山城
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記事タイトル 対馬 金田城 [1/4] 長大な石垣の城壁を持つ最前線の古代山城
概要

金田城(かねだじょう/かなたのき)は飛鳥時代に対馬に築かれた古代山城。663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に破れた大和政権は、唐の侵攻に備え、九州から瀬戸内にかけて巨石を用いた山城を複数築いた。金田城はそのうち最も朝鮮半島に近い対馬の中央部に位置する。山頂部を囲むように築かれた…… more 長大な石垣の城壁と直方体に切り出した巨石の水門がよく残っており、圧倒される。近代になって陸軍が城跡に砲台を設置し、その際に造られた軍道が現在の登山ルートの大部分となっている。 <基本データ> ●名称:金田城 (Wikipedia) ●所在:長崎県対馬市美津島町 (地図) ●城主:大和政権 ●築城:667年 ●遺構:石塁、門跡、建物跡 ●時間:5時間 (1230−1730) ●情報:続日本百名城 No.186 (一覧) 訪問時期:2019年1月金田城 訪問記 − 其の一、二、三、四。 <訪問記> 金田城の登城口へ。金色の文字で書かれた標柱が建つこの地は地図で「蔵ノ内」と書かれている場所。ここまで車で上がってこれる。登城口にある大きな説明板。半島の東側半面に築かれた金田城は、湾からの攻撃に備えて長大な石垣の城壁と水門跡がある。西側と北側は断崖で守られ、山頂部には日露戦争時に陸軍が築いた砲台跡も残るとか。説明板から、マップ部分をアップで。赤い線が城壁、白い点線が遊歩道、オレンジの点線が軍道。現在地から軍道を通り、南門のある石垣まで行けるようだ。では早速向かおう。こちらが日露戦争時に設置された軍道。今はここが散策ルートとなっている。岩盤をくり抜き、左右に石列で排水路を作った軍道。軍道の脇を覗いてみると、石垣で固めて車両が通れる幅を確保しているようだ。岩盤ギリギリのところを削り、石垣で固めて車両が通れる道を作っている。見晴らしが良くなってきた。軍道からは、リアス式海岸の黒瀬湾が一望。この湾を抜けていくと対馬海峡の西側(西水道)に出る。その先は朝鮮半島だ。半島側からは見えない、入り組んだ湾の奥に金田城があったとも言える。しばらく進むと、右側に湾に向けて延びる巨大な石塁が見えてきた!石塁の上は通れるようになっている。奥はちょうど石塁が大きく曲がる、金田城の城壁の南東端にあたる。大きく崩れているので端っこに行きすぎないよう注意。石塁の内側にはかつて建物が建っていたようで、その柱の跡が平面復元されていた。掘立柱建物跡 説明板。地山をしっかり削平整地して岩盤を削り柱を立てており、内部と周辺から土師器などが数百点も出土したとか。防備兵の詰め所、見張り場か。山上に築かれた長大な石塁感がよく分かる!なお大半は崩れたり草木に埋もれているが、このあたりのように一部が露出している。石塁に沿って降りていく。湾からはこの距離。当時は木々も伐採され、湾から長大かつ高く積み上げられた石塁がよく見えたことだろう。しばらく進んでいくと、東南隅石塁 約60mという看板が現れた。実はここから石塁の下側へ降りることが出来る。なぜか右側に清水山城跡←の看板があるがここからはかなり遠い。石垣に沿って回り込むように降りる階段が造られている。崩れているからか、隅部の積み上げている部分がよく見える。石塁が崩れており内部が露出している。中世の石垣とは異なり、内部もすべて石積みで出来ているようだ。途中で振り返る。この斜面の上に、この高さの石垣。約4mあるとか。このあたりは崩落の危険性があったため2013年から2年かけて修復されたという。石垣に沿って南東端の折れ曲がりのところへ行くことが出来る。途中大きく崩れた場所を通過。崩れているところの左右の石垣は現存。少し弧を描きながら4mもの高さの石垣がかなりの角度で積み上げられている。今から1300年以上前、7世紀に築かれたものとは思えない精度と耐久性に驚く。東南角石塁 説明板。この左側には石塁の東南角があり、櫓台のように突き出た「張り出し」構造をしているという。説明板にもあるとおり、朝鮮王朝の東莱邑城でも同様の雉城(ちじょう)と呼ばれる構造を見た。古墳の一種である四隅突出型墳丘墓にもちょっとにているかもと思った。大きく崩落しているが、ここが金田城の南東端にあたる。正面のちょっと高い部分が張り出しの先端かな。では再度 石塁の上へ戻り、更に石塁に沿って奥へ進むと、三ノ城戸(さんのきど)と呼ばれる城門跡が残る。大きく石垣が切れている場所がある。そこが三ノ城戸。ぐるっと回り込むと降りられる。三ノ城戸 説明板。字は何とか読める。城中最も大きく高い位置にある城門跡で、柱穴を持つ礎石もあるようだ。柱穴を持つ礎石。周辺の遺構との関係から想定して、高さ3.5m、幅4mの城門が建っていたそうだ。三ノ城戸の石垣側面。巨大な石が積み上げられている。と思って驚いていたら、何と外側は谷になっていて更に石垣が積み上げられていた。でかい!!谷を完全に遮断する巨石の石垣。下の方は岩盤が露出していて、うまく組み合わせて城門を構成している。どれぐらいの巨石なのかを表すために人物を入れて撮影。三ノ城戸の大きさが直感的に分かる。城門跡の右側にもわずかながら石垣が残っている。ここは大きな谷になっており、右側の石垣の奥は斜面になっている。三ノ城戸の先は巨石や岩石がゴロゴロした谷間になっていた。少し離れて三ノ城戸を見上げる。濡れていると岩が滑って危ない。谷を上がってきた敵兵はこの城門に遮られる。右側の石垣の上あたりから三ノ城戸を見下ろす。城門があった当時の姿が想像できる構図。 >> 対馬 金田城 [2/4] へ続く。<< 訪問時期:2019年1月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm 一番上へ戻る。 close

対馬 金田城 [1/4] 長大な石垣の城壁を持つ最前線の古代山城
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2020-04-03 10:40:02

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