改 平戸城 長崎県平戸市の詳細

改 平戸城 長崎県平戸市
古城巡り2015
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記事タイトル 改 平戸城 長崎県平戸市
概要

平戸島の北部、平戸市街の東部に位置する。平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に突き出た丘陵上にある。 三方を海に囲まれ天然の堀としている。丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、その南側に二の丸、東側に三の丸が配された梯郭式の平山城である。 最初は安土桃山時代の末期に松浦鎮信(法印…… more )によって築かれたが破却され、江戸時代中期になって再建された。再建にあたっては山鹿素行の軍学に沿って縄張りがなされたという。平山城では唯一の山鹿流による城郭である(平城である赤穂城も赤穂市の発掘調査によりその可能性が考察されている。下松浦党(平戸氏・峯氏とも)の棟梁である松浦鎮信(法印)は、豊臣秀吉の九州平定に加わり、壱岐守護を称する波多氏に代わり松浦郡(ただし一円ではない)と壱岐一国の所領を安堵された。松浦党で最大の大名となった事で松浦姓を名乗る。 文禄・慶長の役の後、慶長4年(1599年)に現在の城地である日之嶽に最初の築城を開始した(現・平戸市岩の上町)。しかし、完成も間近となった慶長18年(1613年)、自ら火を放ち城を破却した。理由としては、豊臣氏と親交が厚かったことによる江戸幕府の嫌疑から逃れるためとも、最愛の嗣子久信の死によるものともいわれている。 鎮信は、平戸港を挟んだ北側に「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁とした(現・平戸市鏡川町)。ここには明治時代に松浦氏の私邸が築かれた。現在は松浦史料博物館となっている。 第4代藩主松浦重信(鎮信)は山鹿素行と交流があり、平戸に迎えたいと希望したが叶わず、貞享2年(1685年)に素行が亡くなってしまう。平戸藩は後に一族の山鹿高基・義昌(平馬・藤助とも)が藩士として迎えられた。 元禄15年(1702年)、鎮信(隠居により改名)は幕府に平戸城の再築城を願い出て、翌元禄16年(1703年)に許可された。江戸時代中期に築城が裁可されたのは異例である。これは徳川家との姻戚関係と東シナ海警備の必要性によるものと言われる。 5代藩主松浦棟によって元禄17年(1704年)2月に着工され、宝永4年(1707年)にほぼ完成した。天守は上げられず、二の丸に建てた3重3階の乾櫓をその代用としていた。平戸城は山鹿流軍学に基づく縄張りがされ、実際の築城指導は山鹿義昌によってなされたという。人気ブログランキング close

改 平戸城 長崎県平戸市
サイト名 古城巡り2015
タグ 長崎県
投稿日時 2020-03-02 14:40:01

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