美濃 横井城  完成手前で放棄されましたか?の詳細

美濃 横井城  完成手前で放棄されましたか?
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 横井城  完成手前で放棄されましたか?
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美濃 横井城 (岐阜県郡上市和良町横野・城山(南古城跡山))一日署長(いちにちしょちょう)という警察署のPRイベントがあります。起用されるのはその時の旬な有名芸能人(女優・女性アイドル)やスポーツ選手です。当然、警察官としての司法警察権一切を与えられるものではありませんが。アイド…… more ルさんなんかは一層可愛らしさが増したりなんかします。「逮捕しちゃうぞ♪」・・。いいですなぁ~(*´~`*)しかし山城調査で誰にも遭わず一人黙々と城の隅々を見ているとふと思う事。「・・あぁ、今日の俺、ここの一日城主じゃねえか・・」。皆さんもこんな経験おありなんじゃないでしょうか?(しょっちゅうですか?)この城のことならなんでも訊いてくださりませ!「籠城しちゃうぞ♪」・・。なんか違うか・・。(ノ_<)さて(^_^;)、今回も郡上和良の城郭を取り上げていきたいと思います。謎に包まれた城郭の多い和良地区ですが、ここでもやはり首を傾げてしまうかも。和良の大三角城(野尻城・境城・太鼓部屋砦)に相対している横井城に登りました。横井城のある山は「城山」と呼ばれています。(或いは南古城跡山(みなみこじょうしやま)とも)鹿倉川と和良川の合流点南の山上に構築されています。現在の和良地区中心部を見渡すことのできる格好の場所といえます。相対する城として一番近いのは野尻城で1000メートル程しかありません。上の写真も野尻城の城下から撮影しています。 今回は城山の東尾根より登頂することに。祠が目印で迷うことはなさそうです。和良川公園オートキャンプ場さんの駐車場をお借りしました。とても開放感があるキャンプ場です、夏でしたら和良川で水遊びをしたり楽しそうです。和良川に架かる橋(神渕洞橋)を渡ったらすぐを山の尾根道を辿ります。間伐手入れが行き届いた非常に登りやすい広い尾根道です。東尾根を登っていく途中、山の中腹に若干人工的な平地が確認出ます。防御的な遺構はないのですがこれを遺構だと捉える方も見えるようです。自分は山頂主郭部との距離感や連動面を考慮して参考、とまでにしました。登りつめると、先ずは東曲輪群が現れます。上の写真でおわかりになるように切岸はあっても、曲輪内の普請は結構粗雑。所々で自然地形を残しつつ、辛うじて平地を設けている箇所が多々見られます。ただ、腰曲輪としての遺構は曖昧なりに確認できます。続いて主郭部分へと足を運んでみます。主郭部と東曲輪間の接合部になります。この箇所は堀切を設けて遮断するのにもってこいの場所。・・ですが堀り切らず浅い横堀を南方面にのみ延ばし、ほぼ自然地形です。北側には「これから堀り切ろうかな?」ぐらいの意思が切岸から感じられます。南方面に掘られた横堀の様子。横堀は途中で途切れて完全に掘り切られていない様子です。途中から武者走り状の腰曲輪に接合していきます。普請意欲を感じつつも中途半端な感を受けますね。主郭南側に沿って延びる武者走り状の曲輪。主郭内部は西へ向かう程整地されていきます。主郭内部からは竪堀状の作事が下段に落とされた形跡が。2、3本の竪堀状遺構が見られますが幅が狭く下の曲輪との連絡路かもしれません。目立った虎口遺構が確認できないので或いはここが連絡道だったとも想像します。これも築城途中の遺構なのでしょうか?主郭部北の下段腰曲輪と連絡します。こちらははっきりと残る南の下段腰曲輪。(先ほどの武者走りの延長部です)集落に面している北の腰曲輪よりも南の腰曲輪の方がしっかりと残っています。さらにこの南腰曲輪は尾根の南まで伸びています。主郭部と尾根南方面との主要連絡道も兼ねていた意図を感じます。南尾根を大きく遮断する堀切。南尾根の尻つぼみになった位置を掘り切っています。主郭側から見るとそのシャープさがよくわかります。標高が100メートルほど高い「お向い」の境城からは見下ろされているように感じます。こちらは山頂~麓への北西尾根ルートの状況です。尾根道に大きな溝が麓に向かって伸びています。おそらく伐採した材木を引きずり下ろすために掘られたものでしょう。それが大量の降水時によってさらにえぐられた箇所もあると考えられます。場所によっては城の主郭部よりも普請量が認められ驚くことがあります。塹壕のようにも見えますし、竪土塁や竪堀のようにも見えます。これも城に関係した遺構だと捉える方もみえるのですが、自分は同意いたしかねます。意見が分かれるところもありますが要は「遺構と連動しているか」という点ですね。横井城の場合は溝が主郭部から離れた所から発生しているので別物といえるでしょう。主郭部作事を後回しにして登城ルートの普請量に人員をさくなど滑稽な話です。北西尾根の入口奥には横井城の標柱が立てられています。尾根から外れた奥地に入ったところにポツンと立っています。何故こんな人目に付かない所に立てたのか不思議です・・。白色標柱でなかったらまず気が付きません。それでもあるのはうれしいですが(^-^)。「横井城付馬場」というのは主郭部から南に延びた主峰付近の平地を指します。自然地形なのですが山中にも関わらず広大な平地が確認できます。馬場等の施設が設営されたかもしれませんが、城郭遺構は特に認められません。横井城は南口の堀切を除けば全体的に曖昧な作事として済まされています。はっきりとした虎口やポイントとして重視された点も特に見られません。しかし城自体の面積としては広く完成を前に中断されたような形跡を受けます。横井城についての記述は他の和良地区の城郭同様、不明です。この地区が北より三木氏、南より斎藤氏の侵入を受けたというのが手掛かり。そして各々勢力が城を築き、ある期間の睨み合いがあったということは想像できます。(或いはある期間中に奪われていたかもしれません)天正2年(1574)頃、加治田城主・斎藤新五郎長龍が郡上郡に侵入したようです。その際に野尻城・境城に籠る和良遠藤氏と対峙した陣城が横井城だと伝わり考えられています。また『郡上郡史』には斎藤佐玄太の城址、とする伝えも記述されています。いずれにせよ時の和良の在地勢力と斎藤氏との抗争の中で横井城は築かれたのでしょう。主郭南側の敵側の目に止まらないような隠れ武者走りはそれを暗示しているようです。この横井城、最終形態はどんな縄張りになったのかな~なんて考えちゃいますね。頭の中で普請の続きを思い浮かべながら城址をあとにした和良の横井城でした。今回はⓈの和良川公園オートキャンプ場を起点としました。キャンプ場内からかぶち橋を渡って東尾根を辿り登って行くのがわかりわすいです。㋹の山頂部一帯が城址です。Ⓖあたりに城址木柱碑が立ってます。自分のような城址碑ファンはお見逃しなく。北西尾根を下っていくとワカルと思います。帰る時は大回りですが国道まで出てキャンプ場まで戻って一周です。 close

美濃 横井城  完成手前で放棄されましたか?
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 郡上市の城めぐり
投稿日時 2020-02-09 01:20:02

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