第99景 〜岩村城の詳細

第99景 〜岩村城
カメも歩けば城に当たる… 城跡酔夢譚
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記事タイトル 第99景 〜岩村城
概要

今回第99景は岐阜県恵那市岩村で、近世山城に体当たりしてみた日の酔夢譚である。標高717mという日本一高い地に築かれた城、岩村城のことだが、そこには見事な近世城郭の石垣が積まれていた!同様の高取城(奈良県)、備中松山城(岡山県)と併せて日本三大山城だという。では、早速行ってみたい…… more 。岩村城 (本丸虎口・六段の石垣):岐阜県恵那市岩村町字城山→Map 日本百名城No.38別名:霧ケ城 築城主:遠山景朝 築城年:1221年(承久3年)頃 梯郭式山城                                                                                     (撮影:2016年10月)東京から高速バスと鉄道を乗り継ぎ、早朝に岩村駅に到着。城下にある案内所はまだ準備中だったが、そこで「数日前、熊の目撃情報ありました、お気をつけて」と教えられた。「えっ、今言うなよ〜!!」でも、今言わなきゃ意味がない大事な情報だしなぁ、などと思いつつ城下町を抜けて登山口へと向かった。いざとなったらカメラ用の一脚で熊と戦う覚悟はできている……つもりだ。ちょっとビビりながら朝露の残る道を本丸を目指し、ひとり登って行ったのであった。(岩村でのクマ出没などは稀なことらしいので現状は大丈夫、かな)                                                                                      では、先ず岩村城の略歴から。築城は鎌倉時代初期、源頼朝の重臣加藤景兼の長男遠山景朝が築城とある。この初期は平地に築かれた砦、城館のようなもので遠山氏代々の居城となった。戦国期になると岩村は甲斐武田(信玄)、尾張織田(信長)の勢力争いの地となり戦国期の山城として徐々に整えられていったと考えられる。遠山氏は列強相争う地にある弱小領主であったということだ。そこで生き残るための政策として外交を重視、列強に両属し折り合いをつけながら生きるしか道はなかった。そして、この岩村城は「女城主の城」として後世に伝えられるようになるのである。元亀2年(1571年) それまで武田家を後ろ盾にしていた頭首遠山景任が病没し、岩村遠山氏の血統が途絶えた。そこに東美濃の支配権を狙う織田信長が自分の五男(四男説もあり)御坊丸を養子として送り込み頭首に据えた。しかし、御坊丸はまだ幼少であったため、その後見を任されたのが景任の未亡人「おつやの方」だった(つやという名の正式な記録はないという)。事実上の城主、岩村城「女城主」の誕生であった。 その「おつや」は織田信長の祖父織田信定の娘で、信長の叔母に当たる。このように織田、武田ともに折り合いをつける外交を続けていたということだ。すると今度は武田方も巻き返しに出る。翌元亀3年(1572)10月、武田信玄は西上作戦を開始、岩村へは配下の秋山虎繁の軍5千を送り込み、岩村城は秋山勢に囲まれてしまう。この時、秋山虎繁は自らと城主おつやの婚姻を条件に開城を迫り、つやはそれを受け入れた。その結果今度は御坊丸が人質として甲斐へ送られ、秋山虎繁が城主として岩村城へ入った。また武田方へ下ったということで、岩村城はまたしても織田方から攻められることとなる。織田勢は長篠の合戦で武田勝頼に大勝した勢いで、信忠率いる3万の群で岩村城を囲み落城させている。信長は降伏した秋山虎繁、つや両人を磔刑に処してしまった。この一連の事件が歴史秘話としていまに語り継がれているのである。これについてはまたあとで触れてみよう。織田方の城となった岩村城は河尻秀隆や森長可が城主となる。この森氏時代に近世城郭への改修が進められ、ほぼ現在の形になったとされる。関ヶ原の後は、大給松平氏、丹羽氏が引き継ぎ明治維新後に城は解体された。本丸跡頂上部の本丸跡。石積みで囲まれた本丸跡。隅部に櫓が建ち、その間をつなぐ多聞櫓と塀が囲む往時の岩村城を想像してみた。大小17箇所もあった城門跡 本丸東側の石積み東側入口を固める門の石積みが見事である。現地を見て思うのはこの石積みの保守管理の素晴らしさだ!下草はきちんと刈り取られ、見やすく、また歩きやすくなっている。町を挙げて草刈りの奉仕活動などがなされているらしい。有難いことである。本丸下の石垣太鼓櫓(復元)と表御門(復元)正保2年(1645年)、城主が大給松平氏から丹羽氏へ変わった後に幕府に提出された城絵図。正保城絵図:美濃国岩村丹羽式部少輔居城絵図 (国立公文書館所蔵)女城主つやと秋山虎繁の戦国最中の婚姻とその後の運命は史実であり、戦国秘話として再三取り上げられている。取り敢えず以下の二冊を読んでおいた。 霧の城 〜岩井三四二(実業之日本社文庫) 花散る城 〜喜安幸夫(光文社時代小説文庫) 岩村の城下町城下朝のひと駒今日の一枚は、本丸の六段の石垣を、城のシンボルとも云われる登り口の巨石とともに撮ってみた。もともとここにあった自然石をそのまま活かした普請だろうか。ここは本来、横位置構図で城跡の広がりも同時に写し込むべきところ。しかし、実は登り口の真正面に案内看板が立てられていて、そこを避けた結果の縦構図となってしまった。(看板は後日、移動されたらしい) 早朝から城跡と城下町を十分に堪能し、日も暮れる頃に恵那インターから再び高速バスに乗って江戸へ帰るという、充実の一日であった。 じゃぁ また。 close

第99景 〜岩村城
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タグ 北陸東海の城
投稿日時 2020-01-31 04:40:23

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