大多喜城にゆく 其の壱:大多喜城天天守の詳細

大多喜城にゆく 其の壱:大多喜城天天守
廃城にゆく
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記事タイトル 大多喜城にゆく 其の壱:大多喜城天天守
概要

千葉県夷隅郡大多喜町にあります大多喜城址です。当ブログ132城目となる大多喜城址は、大多喜駅より徒歩15分ほどで到着します。駅に降りると本多忠勝公によるお出迎えを受けます。本多忠勝公は、徳川四天王の一人で、初代上総大多喜藩主を務めた人物です。この像は発泡スチロールでできているそう…… more です。駅を出ると大多喜絵図がありました。駅を出てすぐそばにあります大手門です。説明板です。当時は、人工的に持ち上がった吊り橋がここにあったそうです。現在の門は1982年に新たに建設されたものになります。反対側から見る大手門です。房総の小江戸と記載されています。城址までの道中には、御禁止川があります。この川は江戸時代に藩主によって魚を獲ることを禁じられたため、こう呼ばれるようになったそうです。しばらく進むと大多喜城址の石碑がありました。そのそばには、大多喜水道があります。大多喜で水道が完成したのは1869年と長年にわたって水で苦労してきた地域だったようです。坂道を登っていきます。道中、空堀の説明板がありました。建物が見えてきました。大多喜城址です。正式名称は、千葉県立中央博物館 大多喜城分館というそうです。徳川四天王の一人である本多忠勝公が封じられ、その後、阿部氏・松平氏によって統治されました。天守前の建物には武具が展示されています。こちらは家康公の武具だそうです。本丸跡です。本丸跡は当時から土塁で覆われており、現在も土塁が遺構として残っているようです。土塁の説明板もあります。では天守をじっくりみていきます。1590年頃に本多忠勝公によって3重3階の望楼型天守が築かれたとされています。残念ながら1842年に焼失し、その後は再建されることはなかったようです。現在の天は1827年の写し絵図に基づき、1975年に建てられた復興天守です。石垣の説明板です。現在の博物館は野面積みと打込みはぎの中間の方法が採用されています。瓦に採用された家紋は、二種類あるようです。説明板によると本多家の家紋と松平家の家紋の二種類が採用されたそうです。次回は天守ないぶに入るところからスタートです。【其の弐に続く】訪問日2020年1月▽ ▽ランキングに参加しています。  応援(クリック)よろしくお願いいたします。   ⬅︎  クリックしてくださいね〜 にほんブログ村  close

大多喜城にゆく 其の壱:大多喜城天天守
サイト名 廃城にゆく
タグ 千葉県にゆく
投稿日時 2020-01-25 01:00:13

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