美濃 妻木城  圧巻の巨石群とメリハリある遺構を味わう(後編)の詳細

美濃 妻木城  圧巻の巨石群とメリハリある遺構を味わう(後編)
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 妻木城  圧巻の巨石群とメリハリある遺構を味わう(後編)
概要

美濃 妻木城 (岐阜県土岐市妻木町上郷本城・城山) <県指定史跡><城友さんと巡る美濃山城訪問記・妻木城登城録・後編>前回の記事の後半となります。集中力も根気もない自分、極力前半・後半に分けない横着者なのですが・・。妻木城はお伝えしたい見所がたくさんあって困ります(^_^;)。三…… more の曲輪(北曲輪)で妻木領内の展望を楽しんだあと、東周りで見学していきます。主郭部東を取り巻く武者走りを通ります。非常に狭い道で下は断崖、最低限で最速の南北移動連絡路になっています。幅は狭い所で50センチ程、これも立派な防御施設です。我々も5人一列、つまずかないよう数珠繋ぎで歩いていきます。「押すなよ、押すなよ・・」ダチョウ倶楽部さんのネタはここでは大変危険です。主郭部東下、横堀部は古代神秘的な空間が広がっています。関ケ原の戦いの時、西軍・岩村城方面からの攻撃に備えた普請部分です。城を取り巻く東側から南側に横堀が作られたと考えられてます。作事中に露出した巨石があちこちに残っている不思議な空間になっています。「節理」によって四角形のかたまりのように分かれた巨石。マグマが地下で冷えて花崗岩になる時に全体が収縮して割れ目ができます。これが「節理」と呼ばれる現象だそうです。地表に現れた時に風化浸食によってこのようになります。まるで人が積んだようにも見える自然の底知れぬパワーを感じます。こうした自然の巨石群をうまく利用して導線を配しています。土塁などを作らなくとも「巨石塁」として充分な防御施設となっています。ここに立ち寄った見学者はその圧倒さに誰もが足を止めて見入ります。(多分・・)こちらは伝南曲輪と主郭部の間の堀切。南方面から頂部の本曲輪に到着しました。八幡神社、伝・旗立て岩・伝・物見杉、主郭部石垣などが残っています。曲輪の端部は樹木が残され、中心部はとても見通しが効く曲輪です。長野からいらしたていぴすさんも伝・物見杉の御前で感慨深げで嬉しい( ^ω^ )。伝・旗立て岩、これは石の割れ目に幟棒を挟みこんであげたのでしょうか??下の帯曲輪から見上げると、こんな巨石の伝・旗立て岩です。主郭部本曲輪1・2を分ける石垣。高さ約3メートルの石垣は妻木城の印象深い遺構部分です。しかし石垣のほとんどは昭和40年代に積み直されたもの、との事。元々、どのあたりまで残存していたのか大変興味深いところです。北口には桝形虎口の存在が発掘調査で明らかになりました。曲輪1・2間の東側には当時からあったとされるスロープ状の虎口が。石垣をローアングルから。発掘調査では曲輪1と2には建物の礎石が確認されています。北側の桝形虎口にも門跡が確認されています。山上の曲輪群にも櫓や城門などの建築物が作事されていたんですね。さて、ここで主に戦国時代の妻木城城関連人物について軽くおさえておこうと思います。押さえてきたい人物は3人で、だいぶ超特急ですが簡単にご紹介したいと思います。妻木広忠妻木広忠 (ひろただ)は妻木城城主にして明智光秀の家臣。旗本妻木氏の系譜では、光秀の叔父とされている。また、光秀の正室・煕子の父ともされるが典拠となる史料では不明です。明智光秀の与力となり各地で転戦したようです。本能寺の変の後、山崎の戦いで明智光秀が敗れ近江国坂本城が陥落。西教寺で関係者一族の墓を作った後に、墓の前で自害したといいいます。妻木貞徳妻木広忠の子で織田家中では信長の馬廻を務めていたそうです。 本能寺の変時、明智光秀とそれに味方した父・広忠が死亡すると隠居を表明。若干18歳の長男頼忠に家督を譲りました。しかし関ヶ原の戦いを前にして頼忠が徳川家康を支持した際は再び表舞台に登場。子の頼忠と共に出馬して西軍の岩村方と戦い勝利に貢献しました。故に諱よりも、隠居後に号した「伝入」の名で知られています。妻木頼忠父・貞徳の隠居後、妻木城主を継ぎますが、森長可による東濃平定戦に屈服。人質として2人の弟らを金山城へ出仕させます。小牧・長久手の戦いの際は森長可の与力として秀吉側につきます。頼忠らは尾張と美濃の境目、内津峠に布陣し合戦の行方を見守ります。この時、麓にある町や内津神社などが焼失したという記録があります。長可戦死後は跡を付いだ森忠政に仕えますが後の忠政信濃川中島転封には同行しませんでした。関ヶ原の戦の際には徳川家康側につき、頼忠はこの地域を守るよう命じられます。父・貞徳と共に岩村城主の田丸直昌と戦い、遠山利景、小里光親ら東濃衆と協力します。その戦功により頼忠は徳川家康から改めて土岐郡内7,500石を所領として与えられました。しかし実は広忠と貞徳・頼忠との血縁関係は不明な点も多くはっきりとしていません。これには光秀の謀反に関わった一族という負い目も関係しているとも思われます。そして妻木城の城主としていられた陰には徳川家康による強い後押しもうかがわれます。今回の記事で取り上げた見所を図面にてざっとおさらいいたします。ここまで見学して次は麓の御殿・士屋敷を見学しに下山しました。妻木城士屋敷(岐阜県土岐市妻木町上郷・御殿) <県指定史跡>妻木城士屋敷は、妻木城の北側山麓にあった領主御殿や家臣屋敷の総称です。江戸時代に入ってから妻木氏が断絶するまで山城の麓、ここが本政庁となりました。北に向かって家臣屋敷地の区画も残っています。 累々たる石垣が当時を物語っています。山城と共にこちらも県の指定文化財に登録されています。立派な説明文があると理解しやすいですね。 一部で崩落した石垣箇所も見られます。石段と桝形虎口。石垣の高さは1~2メートルで区画されています。各区画は広々とした政庁敷地となっています。井戸の址。こういう感じ、遺跡感に満ち溢れています。巨石も結構ふんだんに使われています。山城部でパワーを使い切った感じでしてコメント少なめでスミマセン ここではクールダウン的にゆっくりと散策するのがおススメです。やはり平和な時代の遺構、生活感のある空間が広がっています。山城部ばかりに気をとられ、以前からあまり気にしていなかったエリアでした。時間的にも限られ、もっとしっかり見学すればよかったと後悔しています。でも自宅から近いのでまた立ち寄ってじっくり散策したいな、とも思っております。他、こんなところにも行ってきました。↓妻木 崇禅寺初代妻木城主・土岐頼重が菩提寺として開山しました。釈迦如来立像、夢窓国師筆果山条幅、等の文化財を多数所蔵しています。山門は妻木城士屋敷から移築されたものであると伝わっています。 寺奥には妻木城歴代城主の墓。妻木 八幡神社元応元年(1319)土岐頼貞が氏神として創建しました。土岐頼貞の九男の土岐頼重が妻木城を築くと、妻木城の守護神とされます。以後、妻木氏の氏神として保護されてきました。 こちらでの流鏑馬神事は特に有名です。毎年10月第2日曜日の例祭に行われる流鏑馬。妻木城主・妻木家頼が武運を祈り馬を奉納したことが始まりです。馬の乗り手は地元の小学校高学年の子供たち6名で行います。当日は陣笠羽織姿で3回、古代衣装で3回の計6回参道の坂道(約130m)を駆け抜けます。馬の乗り手から扇子や鞭が参拝者へ縁起物として向けて投げられます。乗り手に選ばれた(または志願した)子供はこの時期人気者なんだそうです(笑)。子供たちは馬に乗れるよう夏休みから猛特訓をしてのぞむそうですよ。最後は妻木城・士屋敷の石碑を紹介いたします。この石碑の位置はやや人目につかない所にあります。妻木城士屋敷から妻木川に降りていく道の途中にひっそり佇んでいます。「御城印よりも石碑!」という石碑フェチの皆さんは見落とされないようチェックです。また近々、「小牧長久手合戦古戦場めぐり・番外編」を予定しております。小牧長久手の戦いにおける妻木氏の動向に特化した記事です。ろくでもない記事にならないように久太郎、流鏑馬キッズに負けない意欲で頑張ります!(このモチベーションが維持できるかどうか自分でもとても疑わしい・・)レ点は妻木城・士屋敷跡の石碑の位置を示します。Ⓢは妻木城・士屋敷跡を訪問する際の駐車場です。もちろん体力と時間に余裕がある方はここから城山への登山道に挑戦してください。また今後駐車場の整地工事が更に進む予定なので安心して駐車できそうです。Ⓖは士屋敷一帯の主な遺構部分です。ちょっと奥まった隠れた場所などを散策してみると眼を見張るような遺構も出現してきます。楽しみは尽きませんよ。 close

美濃 妻木城  圧巻の巨石群とメリハリある遺構を味わう(後編)
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 土岐市の城めぐり
投稿日時 2019-11-25 00:40:23

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