熊本城 1 歴史 江戸時代までの詳細

熊本城 1 歴史 江戸時代まで
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記事タイトル 熊本城 1 歴史 江戸時代まで
概要

今回から熊本城の紹介です。今日は熊本城の歴史です。 室町・戦国時代文明年間(1469年 ~1487年)に肥後守護菊池氏の一族・出田秀信が千葉城(現在の千葉城町)を築いたのが始まりです。その後、出田氏の力が衰え、大永・享禄年間(1521年~1531年)に、菊池氏は代わりに…… more 鹿子木寂心に隈本城を築かせ守備させます。 先に見える丘に隈本城がありました。現在の本丸辺りは隈本城の詰城だった可能性があります。 グーグルより熊本城です。古城町辺りに隈本城がありました。加藤清正が初めて入城したのもここでした。 1550年に豊後守護大友義鑑が家臣の謀反により殺されると、義鑑の弟で菊池氏を嗣ぎ、義鑑と敵対していた、菊池義武が隈本城に入ります。寂心の孫の鹿子木鎮有は菊池側なので、義武を迎え入れます。しかし、義鑑の子・大友宗麟により追われ、以後は大友氏の支配下にあった、城親冬が居城としました。後に城氏は、島津が攻めてきたときに島津に寝返りました。 キリシタン大名の大友宗麟肖像画です。 安土桃山時代1587年に豊臣秀吉の九州平定に際して、薩摩の島津氏に属していた、城親冬の孫の城久基は隈本城を明け渡しています。新たに肥後の領主となり、隈本城に入った佐々成政は、検地を強行したために、肥後国人一揆を引き起こします。この時、隈本城は国人衆による猛攻を受けたのですが、城代の神保氏張が奮戦して落城は免れています。でも、1588年に成政は切腹させられます。 佐々成政肖像画です。 加藤清正が肥後北半国19万5000石の領主となり隈本城に入ります。南半国は小西行長でした。2人は性格があわず境界争いをしていました。加藤清正は、1591年から千葉城と隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に城郭を築き始めます。これが熊本城です。 側近の重臣が描いた加藤清正肖像画です。 江戸時代1600年頃には天守が完成します。同年の関ヶ原の戦いの行賞で、清正は肥後一国52万石の領主となります。1606年には城の完成を祝い、翌年「隈本」を「熊本」と改めます。これが現在の熊本城です。1610年から、本丸御殿の建築が行われたので、天守に上がるには本丸御殿下の地下通路を通らなければならないようになります。 地下通路復元された本丸御殿は熊本地震で被害を受けています。1632年に清正の子・加藤忠広が改易されます。加藤忠弘の肖像画です。 豊前小倉城主だった、細川忠利が肥後54万石の領主となり熊本城に入ります。 細川忠利肖像画です。(ガラシャの子供)次男だった忠利は徳川家の人質だったので、徳川家に親しいため、長男と三男をさしおいて、細川家を相続します。 入城するとき、忠利は天守に上り、清正を祀る廟所がある本妙寺の方角に向かって遙拝したと伝えられます。忠利は城の長塀の南、坪井川を渡った所に花畑屋敷を造営し、以後、歴代藩主はここを日常居所としました。 花畑町は赤丸の所です。 江戸時代の熊本城です。 二の丸の一部と三の丸の大半は未開発でした。 このため細川忠利は入部後、直ちに熊本城の修繕を江戸幕府に申し出ている。更に上級家臣の下屋敷地や中級家臣用地として順次、三の丸や壺川地域の開発が進められ、幕末には城内の櫓は焼失した森本櫓を除き62もありました。 現在の熊本城です。2019年10月5日に立ち入り禁止地区で、第一弾の特別公開がありました。 現地にあった年表です。 現地にあった年表です。 長くなるので、明治以降は明日UPします。 読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。希望があれば、相互登録します。毎日午後8時半頃に更新しています。「相手わかるように」に設定して読者登録してください。読者のブログ村・ブログランキングは出来るだけ押しに行きます。 Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。 お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ                                                                                                                                                                                                                                                               お願いします。  close

熊本城 1 歴史 江戸時代まで
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投稿日時 2019-11-22 00:40:07

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