岡山・岩屋城 ~ 山城多き美作においても屈指の山城の詳細

岡山・岩屋城 ~ 山城多き美作においても屈指の山城
気ままな古城めぐりのご報告
ページの情報
記事タイトル 岡山・岩屋城 ~ 山城多き美作においても屈指の山城
概要

今回は城巡り、ほぼオンタイムネタで参ります。途中に愛馬の出走を挟みましたが、先日からの美作シリーズの続きになります。登城は10月23日になります。 岡山県津山市中北上(旧久米町)にある岩屋城跡です。この山城はやはり一度訪れてみたかった城跡でした。問題は時間ではなく、体力…… more 。情報量に限りがあってこの山城レベルだと、ここ数年まともに山城アタックをしてこなかった身が果たして持つのか??前日に登城した楪城で少々自信を取り戻したので、ついに宿願を果たすためアタックした次第です。ただ、ここの前に高田城に行き、晩秋にも関わらず大量の汗をかいてしまいコンディションは今一つではありました。 なお、「岩屋城」という城は各地にありますので、検索などされる際は必ず「岡山県」をキーワードに追加して探してみてください。 とにかく登城して良かったです!!見込んだ通りでした。 ○岩屋城 大きめの駐車場を2ヶ所確保しているので、車でなら困らないと思います。ただし。とにかく道がわかりづらい。これは後半にご紹介します。 2ヶ所あるうちの下にある駐車場にあった案内板。行きは距離が比較的ない手前の登城口から登り、帰りは距離はあっても下りだからと奥の駐車場に下りてくるルートを採用です。この図面を見ただけでも相当の規模である事がわかります。 駐車場脇の登城口。さすがにけっこう厳しそうです。 本城域の下にある砦跡。かつて慈悲門寺という寺があったところの下にあたります。城の周辺にある寺院がいざという時の防衛拠点の一つになっていたことはよくある事で、これは城の入口にあたるこの寺を守り、かつ岩屋城そのものも守るためにあったと思われます。 慈悲門寺跡。狭い谷の一方の尾根にしてはかなり広い敷地です。寺の創建は平安前期まで遡るようですから、城より歴史が古いことになります。そして、岩屋城の本丸が山火事に巻き込まれて焼失し城が廃城となった際に、城と共に廃寺となったそうです。 かなり道は厳しくなっていきますが、地面は十分平らに固まっているので歩行は難しくありません。山城の登城道としてはこれで十分です。 本城まで登城口から3分の2程度の位置でしょうか?20分ぐらいは登って来たでしょうか。山腹にあった山王宮に行くにはかなり険しい道がこの先に続いていました。今でも覗き込む限り道「らしき」ものはありましたね。そのため、宮そのものを拝むのではなくここに拝殿を建てて、先の宮を拝んでいたようです。 ここまで来れば本城域はあと少し。水の手があったところ。岩屋城がこれだけ険しい山上にありながら、長期の籠城戦に耐える事ができた理由はこの先にありました。 水神様を祀っています。そう、これはこの城の水源。大きな池になっていて今でも豊かに水を湛えていました。 さらに上には井戸がありました。恐らく水源の水はこの井戸の下を通って先ほどの池に流れ込み、長期の籠城戦を可能にする豊かな水量を提供していたのでしょう。良い山城は必ず枯れずの水の手を持っているものです。 井戸跡からさらに登って、ついに本城域に到達。ここまで休み休みで25~30分程度でしょうか?ここは平坦地が真っすぐ続いており、馬場跡と呼ばれています。 すでに視界が相当開けています。現在の遺構では踏み込みが可能に見えるのはこの馬場下にある帯曲輪まで。この帯曲輪の先にも尾根伝いに複数の曲輪があると図面では確認できるのですが、本丸から西側にあたるこのエリアはかなり藪化していてちょっと立ち入る勇気がありませんでした。 空模様がパッとしませんが、実際に立って見るとこの景色は圧巻でした!!写真では微妙かもしれませんが、とにかく素晴らしい眺めでした!この城が標高500m近い場所にある事を理解できます。これは本城域、馬場の南端から東を見たもの。真ん中左奥が津山市街地になります。それにしても良く登ってきましたわ。 馬場から本丸を見ています。こんな奥地(失礼!)のそれも500m近い高い山の上にこれだけの造成地がある事に感動を覚えます。 こんどは本丸側から先ほどの撮影ポイントを。本丸下の帯曲輪の先に馬場が奥へ向かって続いています。先ほどの風景写真はこの馬場の先端(木で隠れています)から撮影したものです。 本丸。けっこう広めなんですよね。周囲に土塁は確認できませんでした。 本丸の北の隅にある断崖。この城が難攻の城である象徴の一つであった「落とし雪隠」。ロープが張られていてギリギリまで接近できないようになっていました。毛利氏がこの城を攻めた時、容易に落ちない様子を見た攻め手の将が決死隊を募り風雨が激しい夜陰を衝いてこの崖を攻め上り、本丸をいきなり急襲して落城させたとの逸話が残っています。 今度は本丸から西を見ています。真庭市方面です。右手の奥の方に先に登城した高田城がある事になります。それにしても随分高い場所まで来た実感がわきますね。 本丸すぐ下に虎口があり、ここからさらに二の丸、三の丸へ下る事ができます。堀切のようにも見えますが・・・。 本丸から東から東南にかけて延びる尾根伝いに築かれた二の丸。あんまり広くないです。 二の丸と三の丸の間にある大堀切。写真でわかるでしょうか。相当深いです。人造でこんな山の上にこれだけの深みを造るのはすごい事です。 三の丸の下にある12本の竪堀。「手のくぼり」と呼ばれています。これが見たくてちゃんとこちら側から下りてきたのです。先の大堀切といいこの竪堀といい、なかなかの造りです。 下りて来ました。登城口とは違う口から下りて来ました。ここで注意点です。行きの道は典型的な山道ですが、この帰り道は管理用の小型車で登れるように付けられた舗装道です。階段ではなく、ひたすら下りの舗装道のため止まるに止まれず、脚と腰に対する負荷が半端ないです。この固い道をひたすら15分程度下り続けたため、下城後は足首と腰の痛みが長引いています。実はこれを書いている今(登城後3週間以上経過しています)も腰の痛みは残っています・・・。大変でも、手のくぼりを見たらまた登って本丸下の帯曲輪まで戻って山道を下った方が良いかもしれません。 いかがでしょうか??かなり写真を載せた方ですが、まだ何枚か載せてもいいかなと思えるものもありました。実際に行くまではいろいろ考えていましたが、案ずるよりも「行く」が易しでした。ここは見応えのあるまさに戦国の山城です。美作路に入ったら必ず登城して頂きたいですね!! ○岩屋城とは? 旧美作国と備前国の境目に近い標高483m、比高310mの岩屋山の山頂に本丸を置く典型的な中世の山城です。北側は先にご紹介した「落とし雪隠」と呼ばれる断崖に守られ、東南方向に落ち込む谷を囲むように東西南3方向の尾根伝いに曲輪を配置した梯郭式山城になります。まさに天然の要害。この山中に20を超える曲輪が置かれており、その規模はこの美作国内でも随一と言って良いでしょう。また、山城の生命線である水の手を本丸近くの城の中に内包しており、その水量も豊富であって長期の籠城戦にも耐えうる絶好の城地選定。それを大堀切や12本もの竪堀でさらに防御機能を拡大させたというなかなか強力な山城です。 ・・・・・・ 岩屋城の歴史にまずその名を残すのは一時は「六分の一殿」とまで呼ばれた大守護大名・山名氏です。城を最初に築いたのは、嘉吉の乱の論功行賞で美作守護に任じられた山名教清です。その後応仁の乱の最中、守護であった教清の子・政清が兵を率いて京にある隙を衝いて旧領復帰を目指す赤松政則が挙兵。中村五郎左衛門に率いられた赤松勢はあるじ不在となっていた美作国を3年かけて制圧し、美作守護も赤松氏の手に帰することとなります。こうして山名氏から赤松氏へ支配者が戻ります。岩屋城が守護・守護代の実質的な居城となっていたかどうかはわかりませんが、赤松氏が送り込む城主がみな譜代の重臣(小瀬・中村・大河原・後藤の各氏)であり、かつ守護代を兼ねているところを見ると、少なくとも軍事・政治支配の中心にはなっていたように思えます。 時は下って1520(正平17)年、美作守護代・中村則久は前年に守護家・赤松義村に叛旗を翻した浦上村宗に同調して挙兵。岩屋城を奪取して籠城します。義村は重臣・小寺則職に兵を与えて美作に送り込み、岩屋城に籠る則久らを征伐しようとします。しかし、浦上家臣・宇喜多能家(直家の祖父)の助力を得ていた岩屋城は頑強に抵抗し200日余りに及ぶ当時としては異例の長期籠城戦を堪えます。そして、最終的には援軍である浦上勢と連携して小寺勢を打ち破り播磨に敗走させました。こうして岩屋城の城主は中村則久がそのまま入ることになり、赤松氏の支配から離れることとなりました。 中村氏を城主として浦上氏の勢力下に入った岩屋城ですが、村宗の死後はこんどは山陰から尼子氏の勢力が南下してきます。1544(天文13)年、ついに中村氏は尼子氏に降伏。そのまま城主となりますが、目付として芦田秀家が送り込まれる事になりました。 その尼子氏も毛利氏に滅ぼされると、芦田秀家は独立を画策。1568(永禄11)年、ついに城主であった中村則治を暗殺して自身が城主に収まります。 しかし、わずか6年後の1574(天正2)年3月になると、浦上宗景からの独立を進めていた宇喜多直家の配下の原田貞佐・花房職秀によって奇襲攻撃を受け、岩屋城は一日で陥落してしまいます。城はこんどは宇喜多氏の支配下に入り、直家は城に浜口家職を入れています。 さらに1581(天正9)年、こんどは宇喜多氏が織田氏と結ぶに及んでこんどは毛利氏の標的となります。先に紹介した「落とし雪隠」からの奇襲攻撃によって城が落城したのはこの時です。攻城側の葛下城主・中村頼宗は6月25日、決死隊32名による風雨を衝いての北側断崖からの奇襲攻撃に成功、家職を城から追い落とし岩屋城を奪取しました。毛利輝元はこの功を賞して、頼宗を城主に任じています。 後に毛利氏と織田政権を事実上引き継いだ羽柴秀吉との間の和睦交渉の結果、美作は宇喜多氏の領有となりましたが、この決定に美作の毛利方諸将は納得せず城の明け渡しを拒む将が続出します。岩屋城の中村頼宗もその一人でした。1584(天正12)年3月、ついに宇喜多秀家は花房職之・岡家利・長船貞親・戸川秀安・江原親次といった宿将が率いる2万の軍勢で岩屋城を包囲します。この大軍を相手にしても岩屋城は陥落せず、7月に鞆にいた足利義昭の仲介によって和睦が図られて頼宗は開城。城は長船貞親(?~1591)が支配下に置くことになりました。 この岩屋城の城としての終焉は意外な形で訪れました。1590(天正18)年に大規模な山火事が発生、岩屋城も本丸を焼失してしまいます。時代はもう岩屋城のような険しい山城を必要としなくなっていました。城はその後再建されることはなく、そのまま廃城となったのです。 ○行き方 車で行かれる事をおすすめします。最寄りまでの公共交通機関は無いに等しいです。では大地図。赤い矢印の先が城跡の本丸がある岩屋山(483m)です。岩屋川沿いに城跡の駐車場に向かう道があるのですが、国道からその道に入る場所が緑色の矢印のところです。この城跡への道が一本道ではあるものの結構な距離があることが地図でもわかっていただけると思います。最寄りにインターチェンジはないので、院庄インターか久世インターから国道181号線を使って接近することになります。車以外の方法ならばJR姫新線の「美作追分」駅か「坪井」駅から歩く事になります。 この国道から入る場所が事前にちゃんと調べないとかなりわかりません。で小地図。この地図内の岩屋郵便局のある交差点を真北に向かって入る事になります。私は西から国道を走って接近しましたが、この地図を確認せずに向かったので何回も通り過ぎました。少なくとも10分は浪費しましたね。緑色の矢印が城跡に向かう道です。察しがつくと思いますが、細い岩屋川沿いに民家のすぐ前を通る細い道です。すれ違いは100%できませんので、対向車が来たらどこかで道を譲り合うしかないでしょう。私は平日の午後に訪れたので、向かう時も帰る時も全く対向車に会いませんでした(笑)細い道とはいえ一台分はあるので民家が立っているエリアをすぐ抜けてしまえばほぼ安全な道です。 いかがでしょうか??駐車場から本丸までは早くて30分、休みながらで40分ぐらいかかる計算はしておくのが無難です。しかし、それだけかけても登城する価値のある城跡だと思いますよ! close

岡山・岩屋城 ~ 山城多き美作においても屈指の山城
サイト名 気ままな古城めぐりのご報告
タグ
投稿日時 2019-11-18 00:40:19

「岡山・岩屋城 ~ 山城多き美作においても屈指の山城」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;