第228回:飫肥城(伊東氏が執念で勝ち取り長きに渡り支配した)の詳細

第228回:飫肥城(伊東氏が執念で勝ち取り長きに渡り支配した)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第228回:飫肥城(伊東氏が執念で勝ち取り長きに渡り支配した)
概要

訪問日:2016年2月飫肥城(おびじょう)は宮崎県日南市にあったお城です。日向国を代表する明治維新まで続いた城郭で,市史跡に指定され,日本100名城にも選定されています。築城時期は明確ではありませんが土持氏(つちもちし)が南北朝時代に築城したとされます。後に日向国を支配することに…… more なる伊東氏と土持氏は当初は友好関係でしたが,土持氏が島津氏に属すると飫肥城は伊東氏と島津氏の争奪戦の場となります。1484年に伊東祐国(いとうすけくに)が飫肥城に侵攻した戦で討死しましたが,その後も伊東氏の歴代は断続的に侵攻を繰り返し,1567年 伊東義祐(いとうよしすけ)の時代に奪取に成功。伊東氏四十八城の主要城郭として機能しましたが,1571年に伊東氏が豊後に追われ再度島津氏の属城となりました。1587年に豊臣秀吉の九州征伐に味方した伊東祐兵(いとうすけたか)が飫肥城を与えられ,以後明治維新までの長きに渡り伊東氏がこの地を支配することになりました。  【左】明治維新後に取り壊されましたが1978年に復元された大手門。飫肥城で一番有名な構図です。【右】大手門の前には空堀跡が残っています。縄張図が記載されたような案内板がありませんでした。この各施設への入場券が古地図を元にしているようで,イメージしやすいと思います。当時はかなり多くの曲輪が設置されていたことがわかりますね。  【左】大手門を抜けるとしっかり枡形構造になっています。築地塀(ついじへい)に武者隠しのようなスペースがありますね,ここから敵を狙撃する構造です。【右】次に犬馬場と呼ばれる広いスペースが現れます。空堀側は土塁になっています。  【左】犬馬場には長大な石垣が築かれ,現在はここから本丸(中の丸)へアクセスできます。当時は開かずの門があり,正規の登城ルートではありませんでした。【右】犬馬場の東側に残る隅櫓跡。  【左】正規の登城ルートは犬馬場の左(西側)から回り込みます。本丸(中の丸)の西側虎口も枡形構造となっています。説明によると枡形の四隅に杉の木が立っており,対角線の中心に立つとパワーを貰えるそうで,パワースポットとして売り出そうとしているのか?【右】ここにも築地塀。塀を支える柱は塀の倒壊を防ぐ役割で控柱と呼ばれます。  【左】本丸(中の丸)は新本丸とも呼ばれ,江戸時代の地震で旧本丸が倒壊した後に移されました。現在では飫肥小学校等が立っています。【右】本丸(中の丸)に建つ飫肥城歴史資料館。飫肥藩ゆかりの品々が多く展示されています。  【左】本丸の東側にある松尾丸と旧本丸の間の堀切。【右】松尾丸の上には1979年(昭和54年)武家屋敷を参考に建てられた,松尾の丸御殿  【左】松尾の丸御殿の中にあった総檜造りの湯殿。【右】なになに?「約440年前、宮崎にもフォーティーエイトがあった!ヒエ~」 ISY48。。。要するに伊東氏の本城・支城網である伊東氏四十八城のことを言っているみたいです。全盛期の当主であった伊東義祐の 伊東(I)・三位入道(S)・義祐(Y)だそうで。  【左】松尾の丸御殿の裏にある土塁。【右】さて,旧本丸方面を目指します。  【左】メジロ発見!【右】本丸北側,体育館の裏に築かれた高い土塁。 【左】本丸北の土塁の旧本丸側は堀切のように削られています。さらに北の曲輪に抜ける通路でもあったのでしょうか?【右】旧本丸の枡形虎口。  【左】虎口には門柱の礎石が残っています。【右】旧本丸の様子。地震で倒壊するまで本丸があった場所です。NHK連続テレビ小説の撮影にも使われた場所で,苔むした地面に飫肥杉が林立する幽玄な場所です。土塁が築かれている様子も確認できます。  【左】旧本丸にあった謎の巨石は手水だそうです。【右】旧本丸の北門は昭和に再建されました。  【左】北門から見るとグランドや住宅地が見えますが,西ノ丸,中ノ城,北ノ丸,松ノ丸といった曲輪が続いていました。【右】北門から下道に下りると左手に見えるのは,旧本丸と西ノ丸の間の堀切でしょう。  【左】道を進んでいくと,現在は立入り禁止の西ノ丸と宅地化された松ノ丸の間を抜けていきますが,これが堀切の名残と思われます。【右】城外の施設を見て行きましょう。大手門から直ぐ近くにある豫章館(よしょうかん)は明治時代になり元藩主の伊東祐帰(いとうすけより)が移り住んだ屋式です。  【左】九州で最初に重要伝統的建造物群保存地区に指定されたという武家屋敷通り。江戸時代の風情たっぷりの古い町並みです。【右】教科書でお馴染みの関税自主権の回復等,近代日本の自立には無くてはならない役割を果たした小村寿太郎は飫肥藩の出身で,武家屋敷通りに生家が復元保存されています。  【左】武家屋敷通りの端にある旧伊東伝左衛門家。19世紀初めの武家屋敷の姿を留める貴重な建築物です。【右】藩校であった振徳堂。飫肥藩十三代藩主の伊東祐相(いとうすけとも)により創設され,小村寿太郎もここで学びました。  【左】城域の鬼門(北東)にあたる高台には田ノ上八幡神社があり守護しています。【右】駐車場の横にある四半的場では飫肥に伝わる弓競技を体験できます。的までの距離が四間半,弓矢の長さが四尺半,的の大きさが四寸半であることから四半的と呼ばれているそうです。戦国時代,争奪戦の場となった飫肥ですが江戸時代を通じて伊東氏の城下町として発展。現在も風情の残る城下町とセットで日向を代表する近世城郭を味わうべし。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第228回:飫肥城(伊東氏が執念で勝ち取り長きに渡り支配した)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 宮崎県の城郭
投稿日時 2017-03-11 16:20:01

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