奥山城 ~奥山氏詰めの山城~の詳細

奥山城 ~奥山氏詰めの山城~
城館探訪記
ページの情報
記事タイトル 奥山城 ~奥山氏詰めの山城~
概要

以下の引用は「Shizuoka城と戦国浪漫」の奥山城の項より。奥山方広寺北方300mの山中、標高200mの山頂を中心に築城された、土豪奥山氏の戦時用の山城である。奥山館と混同していると思われる文献もあり、城史について不明な点が多い。延元元年(1336)宗良親王が入城し、南朝方に属…… more する。また、1371年には朝藤によって方広寺が建立された。興国元年(1340)の北朝方の攻略によって三岳城が落城した際には、宗良親王を擁して、井伊氏と共に戦い、敗れて親王は安倍城へ退いた。また、永正11年(1514)曳馬城主大河内貞綱ら反今川挙兵の際、井伊直盛も同調。しかし、朝比奈泰以に三岳城で敗れた井伊氏はこの奥山城へ逃れたと言う。井伊谷より奥山道を西へ、奥山館跡を過ぎて、東北約2kmの奥った所に方広寺がある。その北の山中に主郭東西80m、南北70mのほぼ方形の曲輪が奥山城跡という。しかし、現在は北側陣座川側からの砕石採取場の採石が進み、山頂近くまで迫り、垂直な崖が100mの高さにおよんでいる。そのため、城跡の半分はすでに破壊されていると思われる。方広寺側(西・南)には山麓をとりまくように幅50~60cmの溝がめぐっている。その溝は北方へ山の鞍部を切って砕石採取場側の谷へ降りていく様子がある。この溝が空堀の名残りであるかも知れない。 山全体が砦のような天然の要害である。城の西南側は奥山氏の本拠、東、陣座川側は遠江と三河を結ぶ新城道を望む位置にある。平時の居城と言うよりも、戦時のときのみ籠る砦的な城であったと考えられる。また方広寺自体が場合によっては城的性格を荷なっていたのではないだろうか。奥山城と奥山氏居館(奥山館)との位置関係 close

奥山城 ~奥山氏詰めの山城~
サイト名 城館探訪記
タグ 城館(静岡)
投稿日時 2017-03-11 14:20:04

「奥山城 ~奥山氏詰めの山城~」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;