掛川城 1 歴史の詳細

掛川城 1 歴史
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記事タイトル 掛川城 1 歴史
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今回から日本100名城の掛川城の紹介です。最初は掛川城の歴史からです。 掛川城天守です。高知城天守に似ています。 戦国時代 今の掛川城より北東に500mほどの辺りに、戦国時代の1497年から1501年の間に、守護大名の今川義忠が、重臣朝比奈泰煕に命じ…… more て築城したと伝えられます。初めは子角山に築かれました。現在の龍頭山の城は1513年に新たに築城されたものです。 掛川城の北東500mほどに卦川古城があります。築城した朝比奈氏が城代を務め、泰煕の子孫である朝比奈泰能や朝比奈泰朝が代々城を預かりました。1568年に朝比奈氏の主家の今川氏が、武田信玄と徳川家康の両大名から攻められて、当主の今川氏真は駿府館を捨てて、朝比奈泰朝のいる掛川城に落ち延びます。このため、掛川城は徳川勢に包囲されますが、朝比奈泰朝は城を守ってなかなか落城しません。このとき徳川勢はかつて掛川城があった子角山を陣城にします。和議で主君氏真の身の無事を家康に認めさせると、泰朝は開城します。氏真と泰朝は1569年2月8日に掛川城を開き、相模国の小田原城へ退去し、掛川城には城代として、家康の重臣:石川家成と康通親子が入城しました。その後駿河国に入った武田信玄と徳川家康は敵対して、信玄は掛川城に近い牧之原台地に諏訪原城を築きます。また、掛川城の南方にある、高天神城は武田・徳川両氏の激しい攻防戦の舞台となります。しか、し掛川城は1582年の武田氏の滅亡まで徳川氏の領有でした。天正年間から慶長初年 その後も掛川城は石川氏が城代を務めますが、1590年(天正18年)に、家康が東海から関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の家臣であった、山内一豊が5万1千石で城主となり、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。石垣・瓦葺の建築物など近世城郭としました。 山内一豊肖像画です。掛川城に初めて天守を造りました。 1994年に木造で再建された天守です。 再建された大手門です。 国替え後の高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。江戸時代 1600年の関ヶ原の戦いのあと、山内一豊は土佐一国を与えられて高知城に異動しました。その後、掛川城は多くの譜代大名が城主になります。1746年に太田資俊(太田道灌末裔)が5万石で城主になり、以後は太田氏が幕末まで続きました。 江戸時代初期正保の掛川城です。(パンフレットより) 1854年(安政元年)の幕末に、安政東海地震があり、掛川城も天守を含む大半の建物が倒壊します。その後、藩主の住む二ノ丸御殿は1861年に再建され、太鼓櫓・蕗の門も再建されますが、天守は再建されませんでした。 天守最上階から見た二の丸御殿です。 二の丸御殿間取図です。(パンフレットより) 近代 明治2年廃城となります。 1994年(平成6年)4月 天守が再建されました。再建された天守は、日本初の木造復元天守です。建坪は92.3坪で、建築費は10億5千万円でした。天守閣の屋根を守る鯱は青銅製で、高さが4尺(1.2m)で、一基約200kgです。復元では、和釘を使用しました。幕末に建築された掛川城二の丸御殿は新しいので、川越城御殿のように転用されて残り、廃城後も学校や掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに使われ続けました。国の重要文化財に指定されています。江戸時代の御殿は全国4城しかありません。(二条城・川越城・高知城・掛川城です)再建された天守は高知城に似た外観で、3層内部4階です。2006年には、日本城郭協会により日本100名城に選定されました。今回はここまでで、明日に続きます。 読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。希望があれば、相互登録します。毎日午後8時半頃に更新しています。「相手わかるように」に設定して読者登録してください。読者のブログ村・ブログランキングは出来るだけ押しに行きます。 Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。 お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ                                                                                                                                                                                                                                                               お願いします。  close

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投稿日時 2019-10-08 01:00:02

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