第225回:都於郡城(日向を支配した伊東氏の居城)の詳細

第225回:都於郡城(日向を支配した伊東氏の居城)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第225回:都於郡城(日向を支配した伊東氏の居城)
概要

訪問日:2016年2月都於郡城(とのこおりじょう)は宮崎県西都市にあったお城です。戦国時代には現在の宮崎県である日向国を押さえる戦国大名となった伊東氏の本拠地で,国史跡に指定されています。築城は南北朝時代の1335年 伊東祐持(いとうすけもち)によると言われています。二代目の伊東…… more 祐重(いとうすけしげ)の改修により大規模な城郭になっていきました。戦国時代に日向国の大半を支配することになった伊東氏の全盛期の当主は伊東義祐(いとうよしすけ),伊東義益で,この頃には伊東四十八城と呼ばれる本城・支城網が整備されていました。この間 都於郡城は佐土原城とともに本城として機能しました。1577年島津義久が義祐に勝利し豊後に追うと,佐土原城に島津四兄弟の一人である島津家久が入城,家臣である鎌田政親が都於郡城に入り属城として機能しましたが,豊臣秀吉の九州征伐で島津氏が敗北し機能を失いました。正式な廃城は江戸時代 1615年 一国一城令によります。  【左】国史跡だけあって駐車場は十分に整備されていますので,ここに車を置いて登城開始。【右】中馬場という標柱のあるこの辺りは外郭にあたるのでしょう。先に縄張の案内を提示します。台地上に幾つかの曲輪を並列に配置した連郭式でそれぞれが深い堀切で区切られていることがわかります。  【左】本丸の切岸の横を通り,まずは北にある奥之城を目指します。【右】本丸(左)と奥ノ城(右)の間の堀切。圧倒的な威圧感です。  【左】まずは北側の奥ノ城の虎口です。壁にぶつかり左右のどちらかに進まなければいけません。【右】虎口を上から見ています。この細い通路で進軍を阻まれ上から一斉に攻撃されるというわけです。  【左】奥ノ城の様子。北側へ眺望が開けています。城主の家族も住んでいたプライベート空間にあたり,1577年 島津氏の攻撃による落城時にはここから豊後国へ逃れたとされます。【右】奥ノ城の南面,東免を中心に築かれた土塁。  【左】本丸東側の虎口。侵入後は左へ屈曲する枡形構造です。【右】本丸は大きく二つの曲輪に分かれており,これは北側。周囲を土塁で囲まれている他に内部にも目隠しのような土塁を確認することが出来ます。多数の沖積や16世紀の中国製磁器が発掘されたそうです。  【左】本丸土塁の北側に開いた開口部。現在はここからも堀切に下りれるようになっていますが,虎口と言うには唐突でもあります。後世の改変か,奥ノ城との連絡通路があったのか?良く分かりませんでした。【右】本丸北側の開口部から奥の城との間にある堀切を上から見ています。やはり深い!  【左】もしかしたら伊東氏関係で最も知名度の高い伊東マンショの像。マンショは伊東義祐の外孫当たるそうでここ都於郡で生まれました。1582年 九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟,大村純忠,有馬晴信がローマに向けて派遣した天正遣欧少年使節の一人として知られます。【右】本丸の南側曲輪です。ここも土塁を確認することが出来ます。  【左】本丸西側の虎口。ここから一度堀切に下りて,二ノ丸へアクセスする構造となっています。【右】本丸(右)と二ノ丸(左)の間にある巨大な堀切。人が小さく見えますね。  【左】二の丸は本丸の西側にあり,最も古い時期に造られた曲輪で戦略上重要な曲輪であったと考えられています。現在も東面,北面に2m程度の高い土塁が残っています。【右】二ノ丸とさらに西側にある三ノ丸の間の堀切を上から見ています。これも深い。  【左】三ノ丸方面へ向かいます。威圧的な切岸の下を通っていきます。【右】各曲輪間の連絡は基本的に堀底道を進むことになるので,常に上からの一斉攻撃に晒される構造であることがわかります。 【左】三ノ丸と西ノ城の間の堀切。【右】三ノ丸は西ノ城と同じく城域の西側に位置し,物見台や狼煙台があった場所と考えられています。  【左】三ノ丸の東側(二ノ丸側)には土塁が残っています。当時は周囲にあったのでしょう。【右】三ノ丸の北側と西側は断崖絶壁となっており,凄まじい切岸を確認することが出来ます。  【左】三ノ丸の南側にある西ノ城は大きく三つの曲輪に分かれています。下の曲輪から上の曲輪を見ています。【右】二ノ丸の方面を見返しています。整備されていますのでそれぞれの曲輪や通ってきた道が良く分かります。  【左】三財地区を見渡すことのできる西ノ城は斥候城(ものみじろ)とも呼ばれ,城外からの敵を監視する役割が強かった曲輪と考えられています。【右】県道18号線からと都於郡城へ入っていくあたりなのですが,この辺りの丘や小山には都於郡城の外郭というべき外城が多くありました。駐車場にあった案内板にも外城が多く記載されています。時間があれば訪れてみるのも良いかもしれません。南ノ城,中野城,向ノ城,東ノ城,日隠城 等と記載のある部分です。日向国の雄である伊東氏の本城です。高い切岸と深い堀切を築き各曲輪を区切りながら配置する南九州の特徴が良く出たお城で,整備も行き届いており非常に見易いお城でした。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第225回:都於郡城(日向を支配した伊東氏の居城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 宮崎県の城郭
投稿日時 2017-03-01 05:20:01

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