第341回:[土佐]朝倉城(本山氏と長宗我部氏が覇権を争った)の詳細

第341回:[土佐]朝倉城(本山氏と長宗我部氏が覇権を争った)
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記事タイトル 第341回:[土佐]朝倉城(本山氏と長宗我部氏が覇権を争った)
概要

訪問日:2017年5月朝倉城は高知県高知市にあったお城です。土佐を代表する中世城郭の一つに数えられ県史跡に指定されています。築城時期は不明確ですが,土佐七雄の中でも最大勢力を誇った本山氏の当主 本山茂宗(清茂/梅慶)は大永年間(1521~1527)に土佐中央部に進出するために朝倉…… more 城を築きも本山城より移ったとされます。1555年 名将であった茂宗の死去の後,子の本山茂辰(もとやましげとき)が跡を継ぎましたが,本山氏の勢いに陰りが見え始めます。1560年の岡豊城の長宗我部国親による長浜城攻めより長宗我部氏との覇権争いは激化し,国親の後を継いだ長宗我部元親による1562年の攻撃も茂辰は撃退しましたが勢力回復とはならず,1563年には朝倉城を廃し元の本山城に撤退しました。  ●100m程の丘陵に築かれた朝倉城の遠景。城域は広大で全山に広がっています。●東登リ口の下にある北城山公民館。この付近に案内板もあります。事前情報では車 1台程度駐車できるとのことでしたが,駐車禁止の看板が。。。仕方なく,離れた場所のなるべく道幅の広いところに駐車することとなりました。  ●公民館の横を登っていくと朝倉城跡東登リ口に到着します。●登山道はこのような感じで,東登リ口自体がかなり標高を稼いでいるため大した登山にはなりません。山頂の詰ノ段にあった案内板です。中心部は本丸に相当する詰ノ段を中心に輪郭式のような縄張りとなっていますが,西側に離れた茶臼ヶ森にも遺構が残っておりかなり広い城域であったことがわかります。この縄張図でいうと右に書き加えた矢印が東登リ口からのアクセス。下側の矢印は西登リ口となります。  ●少し登ると写真の案内板の場所に到着しますが,この近辺には既に遺構が点在しています。案内板には防御機構の一般的な説明が記載されています。●案内板と逆側には規模の大きい竪堀が残っていました。竹が侵食しており分かりにくい。  ●詰ノ段方面には写真の虎口のような部分を抜けていきます。●虎口付近には石積みが多く残っていました。 ●詰ノ段の北側一段下の曲輪には井戸が残っています。●井戸はまだ水を湛えていました。石積みは後世に積み直しされたものです。  ●詰ノ段の虎口です。●本丸に相当する詰ノ段の様子。  ●詰ノ段に一部残る土塁。●史蹟 朝倉城趾 の城碑です。  ●詰ノ段から二ノ段に伸びるスロープ状の竪土塁です。ちなみに二ノ段は竹藪が酷い状態で,突入は諦めました。●詰ノ段の西側は大堀切で詰西ノ段と切り分けています。非常に幅が広く,一見堀切とはわからない規模のものです。  ●大堀切の対岸は詰西ノ段なのですあ,どうやらこの曲輪も未整備のようで内部の調査は断念。●三ノ段を西側に向かって進みます。  ●詰西ノ段の南側の三ノ段のさらに南側には多くの空堀が残っています。●空堀に沿って写真のような土塁も残っていました。  ●空堀の中に下りてみました。●空堀の先端には水が溜まっています。このように水が溜まりやすいということはそれ程水の手に不自由しなかった城であることが想像できます。石積みも確認できることから意図的に水を溜めようとした可能性もありますね。  ●詰西ノ段より西側に位置する堀切です。●さらに西の茶臼ヶ森を目指します。この辺りは畑地などで改変された跡のようで,開けており様相が異なっておりますが,奥に茶臼ヶ森が見えてきています。  ●茶臼ヶ森近辺にも遺構が残っており写真は竪堀の一つ。●茶臼ヶ森の高台は切岸のようになっており恐らく見張り台等の役割を果たしたのではないかと推定できます。  ●高台の周りにあたる北側には空堀が掘られていました。●茶臼ヶ森の北西部の曲輪の突端には二重堀切がありました。写真はその内の一つ。  ●茶臼ヶ森の上には金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)があるそうです。●登ってみると写真のような社がぽつり。  ●中心部に戻り南の西登り口に向かって下山します。写真のような大規模な竪堀に沿って下りていきます。●西登リ口に下りてきました。一時期は土佐七雄の中でも最大勢力を誇った本山氏が後に土佐の覇者となる長宗我部氏と覇権を争った場所です。やはり,土佐の戦国史には欠かせない場所です。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第341回:[土佐]朝倉城(本山氏と長宗我部氏が覇権を争った)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 高知県の城郭
投稿日時 2019-09-16 09:00:02

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