第340回:高知城(現存天守の残る近世 土佐の中心)の詳細

第340回:高知城(現存天守の残る近世 土佐の中心)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第340回:高知城(現存天守の残る近世 土佐の中心)
概要

訪問日:2017年5月高知城は高知県高知市にあったお城です。現存天守をはじめとする多くの現存建築物(重要文化財15棟)を残す高知城は国史跡に指定され日本100名城にも選定されています。元々は南北朝時代に大高坂氏の築いた大高坂城(大高坂山城)があったとされる。その後は廃城になってい…… more たようですが,1587年に豊臣秀吉に降伏した長宗我部元親が再度 大高坂城を築城し,岡豊城より居城を移しました。しかしながら,治水が苦慮し1591年 わずか3年ほどで元親は浦戸城に移りました。関ケ原の戦いの後の1601年 改易された長宗我部盛親に代わり土佐国に入った山内一豊は当初 浦戸城を居城としましたが,城下町の発展のため難工事が予想されたこの地に築城技術に優れた百々綱家(どどつないえ)を総奉行とし近世城郭の築城に着手しました。全体は完成したのは10年後の二代藩主 山内忠義の頃で1610年頃には現在の高知城という名称に変更されました。  ●追手門側から登城します。現在も高知公園と整備された城域の表玄関となっております。●追手門の前にある山内一豊公像です。内助の功の逸話として奥様の千代(見性院)の方が有名かもしれませんが,一豊も織田,豊臣,徳川の世を生き抜きこの城を近世城郭として整備し高地を発展させた立役者です。さらにはこの土佐藩が幕末も薩長土肥の一角として活躍し坂本龍馬 等 多くの英雄を生み出すわけです。現地にあった,縄張図ですが。この図ですと右側の大手側からアクセスすることになります。  ●追手門前に残る水堀です。●これが重要文化財に指定されている現存の追手門で,1664年の再建です。巨大な石垣を配し,右に屈曲しながら入る枡形虎口となっております。  ●追手門の先には土佐が生んだ幕末の英雄の一人板垣退助の像がありました。「板垣死すとも自由は死せず」の言葉は暴漢に襲われた際の有名な言葉ですが,この時は生き延びることができました。●杉ノ段へ向かう石段。登りにくく下りやすいように幅は設計されており,この先で右へ屈曲します。  ●途中で見かける石樋は城内で16箇所も確認されているそうで,雨の多い土佐ではこのような排水設備が非常に重要であったそうです。●杉ノ段から見る三ノ丸の石垣。この部分は打込みハギで横矢が掛かっている様子もよくわかります。  ●杉ノ段にある井戸跡からは藩主の住む二ノ丸御殿へ飲料水が届けられていたそうです。●三ノ丸の入口にあたる鉄門跡です。枡形構造となっており防御上もかなり重要な門であることがわかります。  ●鉄門跡の枡形を上からみています。●三ノ丸は大書院と呼ばれる大きな建物があり,儀礼などが行われたとされる曲輪です。この曲輪にも排水の工夫である水路遺構が残されています。  ●また三ノ丸には発掘により発見された石垣が展示されており,これは大高坂城と呼ばれた頃,長宗我部氏時代の石垣です。チャートを主とした野面積みの石垣は大きさも小ぶりで山内氏時代の石垣とは明らかに違う表情を見せています。●三ノ丸は現存する天守が良く見える位置かもしれません。伝統的な望楼型天守は山内一豊の嗜好に合わせたものであるとか。  ●二ノ丸に向かうとこの詰門(重要文化財)が立ちはだかります。右手の二ノ丸と左手の本丸の間に建てられており中は通路となっており右手から左手へ通り抜けできる構造です。一瞬,この門を突破するのかと思わせておいて,二ノ丸へはさらに手前の右手に向かうルートとなっているため,目を引く門の前に誘導された敵を殲滅するための巧妙な偽装といえます。●天守脇から伸びる東多門櫓も現存建築物で重要文化財となっております。  ●二ノ丸に上ってきました。藩主の居住空間である二ノ丸御殿があった場所です。●二ノ丸の南西部にある築山と池は藩主家族のリラクゼーション空間というべき場所です。;  ●二ノ丸の北側には枡形の水ノ手門跡があります●二ノ丸から本丸へ向かう入口が先ほどの詰門の二階にあたり,そのまま廊下門の下部に接続し本丸に入る構造です。  ●詰門を抜けると廊下門(重要文化財)の下部を潜って本丸に入ります。●廊下門内部の様子です。   ●江戸時代の日時計がありました。●いよいよ,本丸御殿と天守に入りますが人が多くて写真を撮るのに悪戦苦闘。この天守は外からは四重ですが内部は六階となっています。  ●明治時代に懐徳館と改称された本丸御殿(重要文化財)は書院造様式となっております。本丸御殿と天守が残るのは高知城だけです。●本丸御殿上段ノ間は藩主の座所となった特別な空間です。  ●天守内部の様子。天井が低く急な階段は現存天守ならではです。●防御機構の一つ石落し。ここから石などを落とすことができます。  ●所々に開けられた狭間と呼ばれる穴から矢や鉄砲で敵を攻撃しました。●天守よりの眺望。追手方面です。  ●二ノ丸方面の眺望。詰門を渡って来る構造がよくわかります。●懐徳館西方に接続する入母屋造りのこの建物は納戸蔵(重要文化財)と呼ばれ,調度器具を保管した蔵です。  ●これも重要文化財の西多門櫓の内側です。●本丸の西側の入口となる 黒金門(くろがねもん)も現存建築物で重要文化財に指定されています。  ●高知城には写真のような矢狭間塀が現存建築物の横側に6ヵ所も残っておりそれぞれがやはり重要文化財となっています。●梅ノ段より見る本丸西側の様子。廊下門,西多門櫓,矢狭間塀といった現存建築物が並んでいるのがわかります。  ●これは二ノ丸の西側にあった乾櫓跡です。立派な櫓台です。●個人的に好きなポイントは二ノ丸北側に連なる並木群と石垣。人も少なく落ち着くのです。  ●城の外側,西側の内堀跡が平面展示されていました。●こちらは旧山内家下屋敷長屋展示館。16代藩主の山内豊範(やまうちとよのり)が建てた下屋敷跡に残る現存長屋です。内助の功で有名な山内一豊に始まる山内氏が明治維新までこの城を本拠として土佐国を治めました。現存天守はもちろん必見ですが,土佐藩は歴史的にも明治維新から日本の近代化の過程で坂本龍馬や板垣退助といった多くの英雄達を輩出したことでも知られますよね。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第340回:高知城(現存天守の残る近世 土佐の中心)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 高知県の城郭
投稿日時 2019-09-08 00:40:02

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