河後森城 [1/3] 予土国境に位置するシンプルな造りの中世山城跡の詳細

河後森城 [1/3] 予土国境に位置するシンプルな造りの中世山城跡
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記事タイトル 河後森城 [1/3] 予土国境に位置するシンプルな造りの中世山城跡
概要

河後森城(かごもりじょう)は愛媛県の南、伊予と土佐の国境地帯に位置する地元領主の中世山城で、主に戦国時代前半の天文後期(1550頃)から天正中期(1580頃)頃に稼働していたとされる。派手な遺構は無いものの、独立丘陵の中央に位置する谷を囲むようにU字型に郭を配置し、堀切や切岸など…… more で郭を守っている。藤堂高虎が伊予を支配した頃に河後森城の天守相当の大櫓が宇和島城へ移されたという伝承も残る。国指定史跡として発掘に基づく各種復元や説明板が随所に設置され、草刈りも行われており非常に見やすい整備がなされている。JR松丸駅の裏山という駅チカ物件。 <基本データ> ●名称:河後森城 (Wikipedia) ●所在:愛媛県北宇和郡松野町 (地図) ●城主:河原渕教忠?(土佐一条氏系) ●築城:12世紀末? ●遺構:石垣、堀切、郭、井戸跡 ●時間:2時間 (1230−1430) ●情報:続日本百名城 No.179 (一覧) 訪問時期:2019年7月河後森城 訪問記 − 其の一、二、三。 <訪問記> 宇和島駅からJR予土線に乗って約45分、松丸駅へ到着。ちなみに予土線は写真の「しまんトロッコ号」や「ミニ新幹線車両」など趣向を凝らしたオモシロ列車で有名なんだとか。行きは写真のトロッコ号(ただしトロッコ部分に乗るには別料金)、帰りはカッパをモチーフにした「かっぱうようよ号」だった。ちなみに予土線は1日8本ほどしかないので電車登城の際は時間管理を確実に。今回は12:26松丸着、14:48松丸発の電車に乗った。乗り過ごすと次は2時間後!駅は無改札。駅舎に温泉施設が併設されていて、駅舎自体はとてもキレイな作り。ただ殆どの客は車で来ている模様。無料の足湯もあり。写真は駅舎内に掲示されていた河後森城跡ウォークマップというパンフレット。配布されているパンフはこれとは別デザインだった。この図を参考に、まず駅から城のある丘陵の向こう側へ回り込み、そこから谷に入って登城する(①→②→③…の順)。同じく駅舎に設置されていた現状ジオラマ。谷を囲むような尾根上に郭が構築されていることがよく分かる。駅舎は右端あたり(ジオラマにはない)。では駅を出て城へ向かおう。駅を出て最初に目に止まるのは、古い町並み。旧松丸街道。土佐から宇和島へ抜けるメインルートだったようだ。写真は造り酒屋。野武士!松丸街道を進み、山側へ入って行く。見づらいが右側の赤い建物の脇に「← 河後森城 風呂ケ谷登城口」の看板あり。城のある山をぐるっと廻るように奥へ進んでいく。途中「永昌寺」の看板がある分かれ道へ。ここを降りると実は河後森城の城跡碑があるのだが、降りずにそのまま右奥へ。城跡碑は最後に街道側から回り込んで発見した。道なりに進んで、大きな交差点へ。歩いてこのルートを行く人はあまり居ないのだろうか、車の駐車場を示す案内板のみ。左へ。暫く進むと 河後森城跡 の大きな案内板へ。この先に風呂ケ谷駐車場があるようだ。ちなみにこの右側少し進んだところにトイレが有る。風呂ケ谷駐車場へ到着。ここから城内へ。巨大な案内板があるので見ていこう。駐車場に建つ巨大な案内板。一瞬かなりの建物や柵などが復元されているように見えたが、よく見ると小さな字で「復元イメージで実際の整備状況とは違います」とあった。ここから谷を上がっていくと西第十曲輪へ到着するようだ。本郭を中心に、西は第十、東は第四まで郭を展開し、更に古城、新城と多数の郭が配置されているようだ。谷の奥へ。入ってきた場所以外の270度を高い切岸と郭で囲まれている!木々が生えていてもこの囲まれた圧迫感を感じる。木々がなくズラリと柵や櫓が建ち並んでいればその迫力たるや!切岸の上へはいくつかのルートがあるようだ。まずは西第十曲輪へと通じる、向かって左側の道へ。しばらく進むと、斜面へあがる道と、谷間に入る道とに分かれる。井戸跡と書いてある。井戸跡が残る井戸郭のようだ。色々説明板がある。地元の小学生が社会学習の一環で作成したと思われる、手書きの説明板。微笑ましい。新城から見ると西第十曲輪や本郭が見えて敵が来たらすぐに知らせることができる!新城に上がったらぜひ見てみよう。小学生説明板は何枚か構成になっていた。ぜひ現地でめくって読んでみよう。当時の人口。200人から500人程度。築城は1196年とある。頼朝の鎌倉幕府な頃か。この案内板は城内の各地に設置されており、29年度設置と30年度設置のものがあった。次は令和元年度設置か。さて、こちらが肝心の井戸。井戸の説明板は足元のプレート。こちらも小学生作成。深さや広さなどが2つずつ書いてある。目の前の井戸を見る限り、左側の規模だが、右側の数字はどういう意味だろうか。今は埋もれているが発掘調査で判明した当時の規模は右側という意味? 断面積も随分違う? 深さ11mはかなりの深さ。こちらが井戸現物。土がかなり積もっていて、現状の深さは30cmも無さそうだ。よく見ると縁の手前側は石積みになっている。透明度の高い水が溜まっていた。雨水を貯める井戸穴ではなく、湧いている?では井戸曲輪から坂道を上へあがり、尾根上の曲輪群を目指そう。しばらく上がると開けてきた。谷から西第十曲輪への道は最後に大きく折れ曲がり、虎口を形成している。城の虎口と門 説明板。虎口は急斜面で、その出口部分にはかつて門が建っていた跡が発掘されている。そして門の左右には土塁が築かれその上には矢来(木材などを縦横に組んで作った簡素な囲い)があったとか。では虎口から西第十曲輪へ向かってみよう。キレイに整備されていて、虎口感が出ている。門をくぐって西第十曲輪へ。最も最前線の曲輪らしく、土塁と門、矢来、櫓などが取り囲み厳重に守っていたようだ。発掘調査の結果を簡潔に説明したパネル。1550年頃の遺構と、1600年頃の遺構の2種類が出ているという。図の中央、青い部分が1600年ころの遺構で、多聞櫓が建ち並んでいたという。復元は古い方ベースで行われている。西第十曲輪の復元。平面復元と立体復元がされている。奥の建物はしっかりした作りで、奥には馬屋跡もあったとか。今は休憩所になっていて中に入ることも可能。続100名城スタンプもここにある(縁側のカゴ内)。城の暮らし 建物について 説明パネル。立体復元された建物に比べ、平面復元の建物は柱の列がゆがんでいて素人づくりだった、とか。同時期には建てられない(屋根が当たる)ので、最初に右側が建てられ、後でちゃんとした左側の建物を建て直したのだろうか。 >> 河後森城 [2/3] へ続く。<< 訪問時期:2019年7月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm 一番上へ戻る。 close

河後森城 [1/3] 予土国境に位置するシンプルな造りの中世山城跡
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 続日本100名城
投稿日時 2019-08-27 02:00:02

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