諏訪大明神を祀った城 諏訪原城のなごりの詳細

諏訪大明神を祀った城 諏訪原城のなごり
つわものどもが夢の跡
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記事タイトル 諏訪大明神を祀った城 諏訪原城のなごり
概要

つわものどもが夢の跡駿河と遠江の国境に築かれた城跡を訪ねました。<土橋>貴重な遺構。国の史跡となっています■舌状台地の丘城■今回訪問の諏訪原城は、台地の突き出た部分の先端に築かれた山城です。いわゆる舌状台地ですので三方に高低差があり、残りの一方に念入りに堀や曲輪を配置する縄張りと…… more なっています。<絵図>[撮影:諏訪原城ビジターセンター]こんな感じです。大井川と菊川に挟まれた南北に細長い台地、その南側の先端部を利用した城です。すぐそばには旧東海道が通っていることから、昔から交通の要所だったと思われます。城の三方が断崖で、突きだした台地の端が本丸(主郭)。地続きとなる台地側に細長い二の丸を設けて本丸への直進を拒み、その二の丸への入口(虎口)には念入りに馬出しを設ける。主郭を要に、扇状に広がる縄張りに武田氏らしさが漂います。■武田氏の城■城の始まりは武田信玄が築いた砦という説があるものの、定かではありません。1573年に武田勝頼の命で馬場美濃守信房により築かれた。諏訪原城はこの時に始まるという説が有力で、少なくとも本格的な築城はこのタイミングと考えて良さそうです。築城の目的は、ずばり遠江(徳川領)の攻略です。駿河と遠江はもともとは今川氏の支配下でしたが、その衰退により、駿河は武田、遠江は徳川という構図になっていました。信玄亡きあと、武田内部に混乱はあったものの、勝頼は拡大路線を引き継いで遠征を続け、1574年には駿河と遠江の国境に位置する高天神城を攻略しています。これは父・信玄でも成し得なかったこと。そう、武田の後継者・勝頼は結構強いのです!■築城の名手・馬場信房■ ばばのぶふさ諏訪原城の築城者とされる馬場信房は、信虎・信玄・勝頼の三代に仕えた武田屈指の家臣。当然「武田二十四将」の一人に数えられます。ちょっと大げさですが、幾多の合戦に参加しながら、長篠の戦いで討死するまではかすり傷一つ負わなかったと言われています。戦場での働きもさることながら、馬場信房は築城の名手という評価も得ています。武田氏の多くの支城が信房により築城されました。ここからは逸話のレベルですが、その馬場信房に築城術を教えたのは山本勘助という話もあります。■徳川氏の城■武田勝頼は遠江をほぼ手中におさめることに成功しましたが、あの有名な長篠の戦い(1575年)で織田徳川連合軍に大敗し、一気に勢いを失います。徳川家康はこれに乗じて遠江の武田氏拠点を次々攻略し始めます。諏訪原城はひと月あまり抵抗したものの、城主今福浄閑斎(いまふくともきよ)が討死し、落城となりました。徳川側の手に落ちたことで、諏訪原城は逆に勝頼率いる武田軍を牽制する城となりました。家康は諏訪原城を大改修し、名も牧野城と改め、亡き今川義元の嫡男・氏真を城番として送り込みます。推定ですが、ここで今川氏真を用いたのは、この地がもともと今川氏の所領だったことから、まずは地元民との調和を優先したからではないでしょうか?(繰り返しますが推定です)。次に送り込まれた松平家忠は、城に関わる土木の技能に優れた人物です。整備を重ねる必要があったということでしょうか(これも推定)。いずれにせよ、諏訪原城は徳川氏の遠江攻略の拠点としてしばらく機能し続けます。しかし1582年、天目山に追い詰められた勝頼の自害により武田氏が滅亡すると、城そのものの存在意義が徐々に薄れ始めます。正確な時期は分かりませんが、豊臣秀吉の命で徳川家康が関東へ転封となった直後、諏訪原城は廃城となったのではないかと考えられています。■現地訪問■本丸・二の丸の前に、まずは更に外側の曲輪から<大手曲輪と外堀>城の南側の大手曲輪と南側の外堀です。勿論、昔はもっと深かったわけですね。<大手曲輪>大手とは城の正面のこと。まぁ正門のある方ですね。ここに位置することから大手曲輪と呼ばれるわけですね。位置的には主たる曲輪より更に外側。外曲輪です。武田勝頼が家康配下の高天神城を攻略すべくこの城を築いた頃は、この外曲輪はありませんでした。徳川氏により増築されたものと考えられます。周辺の茶畑も、かつての大手曲輪です。<大手曲輪と外堀>こちらは大手曲輪の北側の堀です。堀の右手は惣曲輪と呼ばれる区画になります。曲輪と曲輪隔てる堀ということですね。この細長い堀は城の南側を通る旧東海道付近にまで達します。徳川氏による城の拡張は、街道を城内に取り込むためだったのかも知れませんね。<諏訪原城跡の石碑>先ほどの堀を越えた惣曲輪にて撮影。近くに説明板もありました。親切な城跡です。ただの道と思って撮影しませんでしたが、この付近に馬場もあったようです。<三日月堀と丸馬出>3号堀惣曲輪を進むと大きくて独特の堀が目に飛び込んできます。三日月堀ですね。そしてそれとセットの半円形の馬出し。丸馬出です。ここは徳川時代の造成のようですが、堀の特徴としては武田流築城術の特徴です。画像の右手が二の丸。その出入り口を守る馬出ということになります。<馬出側から撮影>ここは「二の曲輪中馬出」と表示されていました。諏訪原城にはたくさん馬出がありますが、大きさで最大級です。このすぐ北側に北馬出しがあります。<二の丸(二の曲輪)へ>橋が用意されていますので、二の丸側へ渡って撮影。左手が先ほどの丸馬出と二の丸を隔てる堀です。<二の丸の外堀>北へ向って撮影。復元された薬医門が見えています。あの付近が北馬出。<惣曲輪と二の丸の最北端>城はここまで。ここより北は断崖です。ちょっと戻って、向う側へ渡ることに。<北馬出し>城の最北端ということになります。<復元された門>馬出と内側を隔てる門がこの付近にあったということですね。現地の状況を感覚で捉えるのに役に立ちました。<二の丸>細長い曲輪です。途中に段差があり、二つの曲輪とみなすこともできます。あるいは段差を帯状にした帯曲輪のような機能も考えられますが、どうなんでしょう?<二の丸の北側>先ほどと似た画像になりますが、こちらは段差を越えた北側。本丸へはこの区画を通らないとたどり着けません。高くしているには訳があるのですね。<本丸>本丸の入り口付近、いわゆる虎口に到着です。ということでここまで大手曲輪・惣曲輪から二の丸経由で本丸までをご紹介しました。一番大きな二の丸の周辺には、まだまだ貴重な遺構がたくさん。<探索中>この日は会社の友人二人と訪問。蚊に備えて暑いなか長袖です(私も)。以下はこんな雰囲気でてくてくと探索した結果を、個別にご紹介させて頂きます。<大手馬出>こちらは城正面の大きな三日月堀と丸馬出です。先ほどご紹介した中馬出同様、二の丸への侵入を拒む防衛施設です。木漏れ日の関係でちょっと見にくい画像ですが、実物は迫力満点の遺構でした。<南馬出>こちらは更に南側の丸馬出。やや小規模になりますが、立派な遺構です。<東馬出><内堀><断崖の堀><土橋><空堀><井戸>そして最後に<諏訪神社>大手馬出の近くには、武田の守護神・諏訪明神が祀られています。この城の名の由来です。結果として武田信玄の後継者となった勝頼ですが、一度は諏訪家に養子として出されていた身。勝頼の「頼」は諏訪氏の通字です。そう思うと感慨深いですね。■つわものどもが夢の跡■遠江攻略を目論む武田勝頼の命で築かれた城です。やがて宿敵の手に渡り、勝頼の死を境に役割を終えました。------■諏訪原城■------別 名:牧野城・扇城築城主:馬場信春築城年:1573年(天正元)城 主:今川氏真・松平家忠廃城年:1592年(天正18)[静岡県島田市金谷]お城巡りランキング close

諏訪大明神を祀った城 諏訪原城のなごり
サイト名 つわものどもが夢の跡
タグ 城跡[中部]
投稿日時 2019-08-12 00:40:16

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