美濃 鶴ヶ城  ハノ字型に展開する鶴翼の城の詳細

美濃 鶴ヶ城  ハノ字型に展開する鶴翼の城
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 鶴ヶ城  ハノ字型に展開する鶴翼の城
概要

美濃 鶴ヶ城(神箆城)(岐阜県瑞浪市土岐町鶴城中町・城山)<県指定史跡>今年の東海地方は「梅雨」と呼ぶに相応しい天候に覆われています。雨模様なので、普段全くしていない小庭の手入れに勤しんでいる週末。やり始めるとキレイになっていくのが面白く、キリがありません。・・ついでに土塁や城柵…… more でも作ってやりたい気分です・・。(何のために?)さて、今回は瑞浪市の鶴ヶ城へ定期訪問(?)してまいりました。まだ若かった二十歳の頃、弟クンと特攻服で登った、「ほろ痛い」思い出の城です。それ以来、折に触れて登ること数知れず、子息らと昆虫採集にも訪れたりしています。丁度JR線を電車が通過中。国道19号、中央高速道も足下を通る街道筋。今回はまず始めに縄張り図を見て頂きたいと思います。↓何故「鶴ヶ城」と呼ばれるようになったのかがよくわかると思うからです。元々は※「高野城」「神箆城」といった名称ですが、別名のほうが正式名称になった例です。(※「高野城」「神箆城」は(こうのじょう)と読み、他「土岐城」「国府城」とも呼ばれます)本丸から派生する2つの出丸が羽を広げた鶴に似ているために「鶴ヶ城」と呼ばれます。(上図:A東出丸とB西出丸ですね)なんとも優雅なその名の由来。さすが花鳥風月を愛する岐阜県美濃びとの心優しさ(自分除く)。しかし地元・鶴町の方々からは驚きの表現を拝聴いたしました。実は遺構の無いもう一つ西の尾根を入れて3本の尾根構えだと仮定。(上図C:古道尾根 )3本の尾根で真ん中の尾根が鶴の首頭、その両脇の尾根をそれぞれ翼に見立てます。するとどうでしょう、対面からみると、見事な「鶴翼の城」に見えるではありませんか!この説には久太郎も目からウロコ、「な~るほど」と驚嘆したものです。車でのお越しは城址の東の諏訪神社の駐車場をお借りします。諏訪神社は城主歴の中の一人、延友三郎兵衛信光の心願により勧請されました。毎年10月の第2日曜日には秋の諏訪神社例祭が奉納されます。雨乞い踊りの伝承に従う「鶴城笹踊り」が継承され、披露されています。城跡入口には立派な石碑があります。QRコード説明付きの案内板、ご時勢ですね。城址碑から谷筋を登って行きます。実はこの谷筋大手道、2つの出丸の間を縫って上がる道。左右の出丸から乱射、乱投されたら、ひとたまりもない恐ろしい一本道です。そんなお仕置きをくらう、という妙なドキドキプリキュア感もたまりません。しかも途中の小郭には一の木戸、二の木戸なども用意されていたようです。敢えて敵勢を呼び込みながら応戦する体制も想定されていたのでしょうか。天然地形の桝形虎口に足を踏み入れた、と解釈すると解りやすいでしょう。先ずは両翼の一つ、西出丸(実際は本丸から見て南なのだが)を辿ります。この西出丸の入口にも虎口があります。到達した途端に御殿曲輪と出丸、上下両面から挟みこまれる仕掛けです。単純と思いきや、狭い尾根基部を最大に活用しているのが面白いです。西出丸からの眺望は土岐市方面から屏風山系の山々がよく見えます。御殿曲輪へ向かう途中には「手洗鉢」なる石があります。雨上がりしばらくはここに雨水が溜まります。なかなかきれいな円形にくり抜かれていますね。礎石として利用した門柱の穴だったのかもしれませんね。「葵の井戸」と呼ばれる大井戸。よくある落城にまつわる身投げ井戸伝説もあります。小心者の自分はおっかなくてあまり近寄れませんでした。井戸は保水性があり、今日でも水を湛えてます。続いていま一つの翼、東出丸を辿ります。写真では、出丸の先が明るくなって何も写っていませんね。これは中央高速道路建設に伴う工事でかなりの土砂が削られたからです。これは西出丸も同様ですが、東出丸はかなりの曲輪部分を消失しています。昭和20年前後の図面ではこの西出丸、もう20メートルほど南東に延びていたようで。両出丸は本丸から見ると末広がりのハノ字型を鏡に映したように展開していたそうです。その光景は残念ながら見る事ができませんので、今は想像するばかりです。主郭部から出丸へと延びる土塁状遺構。両出丸と主郭部との連結部には長い土塁が掻き残されています。曲輪の外側に向け普請されており、外側谷筋からの攻撃に備えてあります。葵の井戸や御殿曲輪を囲い守っているようにも感じます。いざとなったらお互いの最短移動通路として使用された節も感じられます。そして「千畳敷」と呼ばれる本丸部に到着しました。東西45メートル、南北20メートル前後の主郭です。東側には虎口があり、東西の端部からはそれぞれの出丸へと連絡します。ここに至るまで細かく折れ部分を通過していくのも見所でしょう。鶴ヶ城は語るに長い歴史を有しています。鶴ヶ城は 建仁年間(1201~1204)に美濃国守護・土岐光衡による築城とも伝えられます。しかし確証はないにせよ、土岐氏一族によって築かれた可能性は大きいでしょう。史実で明らかなのは天正2年(1574)、岩村城を足場に武田勢が東美濃に侵入した時です。武田軍は岩村城の南西に位置する明知城を包囲します。織田信長と嫡男・信忠は岐阜から救援に駆けつけ、こちらに着陣します。しかし前回の記事で述べたように明知城は空しく落城してしまいます。この頃の鶴ヶ城は城主として延友氏(三郎兵衛信光とその弟・佐渡守)の名がみられます。信長は明知・岩村両城の押さえ対策として小里城城番の守将に池田恒興を配置。この鶴ヶ城には黒母衣衆・筆頭の河尻秀隆を配置して備えました。また、天正10年(1582)、甲斐侵攻作戦の際にも織田信忠は鶴ヶ城に宿泊しました。東美濃衆を中心とした信忠軍団は補佐役の河尻を中心に形成されたようです。そういった意味では当城が重要な東美濃軍事拠点であったことを物語っているといえます。後、慶長5年(1600)関ヶ原合戦で、鶴ヶ城は岩村城主・田丸直昌の支城にありました。この時は妻木城主・妻木頼忠らによって攻められ開城しました。同じ東濃衆の妻木氏や小里氏、遠山氏らの攻撃に遭う、なんとも皮肉な終焉でした。本丸より岩村方面を見て、対武田への最前線を担った緊張感を感じます。大規模な鶴ヶ城の大堀切は一見の価値あり!(;゜0゜)。さて、ここ鶴ヶ城の隠れた見所は主郭続きの尾根を大きく断ち切った西の大堀切でしょう。あまりにも急角度のためこの堀切に降りること叶いません(てか危険極まりない)。みすみす見学しないであとにする方もたくさんいらっしゃるようです。しかし、どうかこの大堀切を土産に見て下山していただきたいものです。西出丸へと続く土塁が一旦途切れた箇所から降りる細道があります。冒頭の図面でもポイントだけマークしてあります。そしてここでお願いがあります。是非とも見学をおススメしたい大堀切ですが本丸から直に降りることは絶対避けてください。滑落の危険極まりないですし、主郭端部と切岸の遺構を痛めてしまうからです。軟質な土壌ですので大切に見学していただきたいと思います。落ちたらスマホやカメラが壊れるではすみません、本当に怪我をしていまいます。堀底から見上げる本丸はこんな感じで絶壁状になっています。しかもここから主郭を北方面に回り込むと西の堀切もおまけで見学できます。もちろん西の堀切も主郭部jから直で降りることはできません。いかにこの主郭部が孤島状になっているかがわかると思います。逆(北)方面からみるとこんな感じで、本丸側は垂直状態です。デンジャラス!鶴ヶ城は石垣や技巧的なパーツを持つ城ではありません。しかし、鋭い切岸と多彩な折れ導線プラス木戸を多用した「土の城」そのものです。城内へ深く足を踏み入れるほど、頭上の両出丸からの包囲殲滅攻撃を受けます。外周は切り立った切岸で仕上げられ、滑りやすい土壌は登攀を困難にしています。古くからここに城館が構えられたのには理由があるんですね。戦国末期までこのプランで存続したことにも大きな意味を感じます。それにしても在りし日の両出丸から延びる鶴の翼・・。 この目で是非とも見てみたかったものです。 ・・いや、現地で瞳を閉じたら見えてくるかもしれません。Ⓢは諏訪神社の駐車スペースを示してあります。Ⓖは鶴ヶ城の登り口です。大きな石碑が目印です。ここから眼下の高速道路がよく見えます。足早に往来する車やトラックをぼんやり眺めているのもなんか面白いものでした。・・そんな変人、自分だけでですかね(笑)。 close

美濃 鶴ヶ城  ハノ字型に展開する鶴翼の城
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 瑞浪市の城めぐり
投稿日時 2019-06-30 04:40:04

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