美濃 明知城  例のない横堀と竪堀群の絶妙タッグの詳細

美濃 明知城  例のない横堀と竪堀群の絶妙タッグ
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 明知城  例のない横堀と竪堀群の絶妙タッグ
概要

美濃 明知城(白鷹城) (岐阜県恵那市明智町明知・城山) <県指定史跡>ここのところ久し振りに地元・美濃の城をめぐる機会が増えました。2月は駿河、3月は遠江、4月は志摩、5月は能登、越後、と外征が多かったからです。マラソン絡みもあったのですが、とても充実し、勉強になった春でした。…… more しばらくマラソン大会はエントリーしてませんので練習に集中です。子息たちの用事もここのところめっきり減り、うれしいような寂しいような感じです。・・寂しいといえば外征続きでお父さんのフトコロは落城寸前!(泣!)そんな諸事情のなかで本来の地元城めぐりも充実させたい、と思う今日この頃です。行きたいときにそこでいつでも待っていてくれる・・、地元の城って有難いものですね。「お金はなくとも、地元の城がそこにある」(泣くのはもうやめ♡)・・さて、今回は東濃地方における中世山城の傑城、明知城を訪ねます。明知城といえば城ファンの方なら知らない人はいない、という程、有名な戦国の城です。明知城が超有名な理由として次の3つが挙げられると思います。①、織田・武田両氏との間で壮絶な争奪戦が繰り広げられた。②、明智光秀の出生地として(可児市の明智長山城と並び)最有力視されている。③、※「遠山七家」の内の一つで、遠山氏の有力一族、明知遠山氏の本城である。(※「遠山七家」(岩村・阿寺・明知・飯羽間・串原・苗木・阿木)の一つです。その中でも最も有力な岩村・苗木・明知を「遠山三頭」と呼ぶこともあります)それでは見ていきたいと思います。明智駅を降り、南東に見える城山が明知城です。(比高80m程度)別名「白鷹城」、カッコいい名称ですね。幟のアピール度ハンパありません。こちらでみたらし団子や五平餅等を食べて腹ごしらえするとイイと思います。明知城に関するパンフなんかも入手できますよ。自分、そういえば元号が「令和」になって最初の作図調査になるのがここ明知城です。(強敵なのでしっかりかからねば・・、と気合をいれます)城下町は日本大正村としても有名。趣ある路地めぐりも発見がありますよ。町がそっくり、大正時代の空気に包まれ、なんだかタイムスリップしたような気分。大正のモダンなイメージをした洋風建築、大正ロマン館。城めぐりもいいのですが、たまにはのんびりと歩き散策もいいものですね。たたずまいを感じながら歩くと、眼に映るものがとても新鮮に感じます。「こういう感覚、しばらく味わってなかったな~」って、ときめいたりしました。明知城西麓の大手門近くには江戸時代には陣屋が築かれました。元和元年(1615)遠山方景は旗本として江戸に屋敷が与えられる事になり、城は廃城となりました。代わりに麗の大手門近くに代官屋敷が設けられ、代官を村上氏に任せて廃藩置県まで存続します。現在陣屋跡地には村上氏の屋敷と土蔵が残っています。 遠山家の菩提寺である龍護寺では、遠山家累代の墓所や明智光秀公の供養塔があります。少し前置きが長くなりましたが、明知城へと向かいます。さて、明智駅、並びに日本大正村方面からのアプローチはこんな感じ。他にも見所は沢山ありますので時間の許す限り、街歩きもいいと思います。こちら、「城」と「街」、「戦国」と「大正」を同時に味わえるのが特徴です。・・さて、そうは言っても・・。「明知城だけが見たい」、というせっかちな城最優先さんもいらっしゃると思います。かくいう自分もその部類の人間です。(最近、少しゆとりを持つよう努めていますが・・)そんな方には車にて城山裏手から仕寄るといいでしょう。↓城山の東側の道路には駐車場が完備されています。こちらの駐車場から城内までは僅か5秒!。早速左側にやや破壊された堀切を見ながら竪堀底を通って登城できます。せっかちな少年少女さんにはうってつけのコースだと思います。一見、城址に至る遊歩道のようですが、既に城内に足を踏み入れています。傍らや頭上を見上げると、切岸と畝堀を確認できます。どうやら通路を兼ねた横堀の堀底を通っていることに、ここで気が付きます。心の準備ができていないと城内に入った感覚すらありません。細かい間隔の小さな畝堀もあれば・・。身の丈をはるかに超える、土塁+竪堀ともいえる巨大畝堀もあります。これらの遺構は主郭曲輪群の外側をほぼ全周に渡って設けられています。一般的に見られる斜面に落とされた竪堀とは一味違う明知城独特の見所です。こんな狭い一方通路を攻め上がるなんて・・、考えただけで恐ろしい・・(;゚Д゚)。しかも、このような多数かつ大規模な遺構を複雑に組み合わせています。自分は作図しながら改めてその連動性に驚嘆せざるを得ませんでした。おそらく武田氏摂取時の改修遺構なのでしょう、と推察します。城内には大きな貯水池があったようです。水の手曲輪ですね。南出丸に足を運ぶと門に使用された石垣址が一部残っています。(石垣というか列石・・)城内には陣屋として使用された名残も併存しています。本丸と南出丸を介する二の丸に向かいます。曲輪の際を歩くとどこも切り立った絶壁になっていて足がすくみます。畝堀を経た堀底からこの切岸をよじ登ることは不可能に感じます。「曲輪は際を歩く」とその特徴がわかりますね。プレートには「虎口」と示されるスロープ状の連絡口。本丸に到着しました。高い所から撮影、広さが伝わるといいのですが(´∀`)。説明版と高田徹氏の縄張り図があります。石碑はありませんが、標柱が立ってます。(細い・・)各曲輪間は大きな堀切で断ち切られています。遊歩道からは主郭部と畝状竪堀・畝土塁などは見学し易いようになっています。しかし、見上げるほどの堀切、圧巻の切岸などはブッシュによって全貌が掴めません。踏み込んだ探索を希望する方は作業着での来城をおススメします。このようなブイブイいわせるVの字堀切も見所です。元亀3年(1572)、明知城主・遠山景行と東濃諸氏は上村(恵那市上矢作町付近)に布陣。武田氏の武将・秋山虎繁ら伊那衆らを迎撃しますが、敗北、戦死します。父の景玄も戦死したため、家督は孫の一行(かずゆき)が継承します。天正2年(1574)には明知城に武田勝頼の軍勢が押し寄せ、城を包囲。これを知った織田信長は明知城を後詰めすべく、嫡子・信忠と共に岐阜を出陣します。信長父子は、神箆城(鶴ケ城)に着陣し、進軍を予定しましたが・。明知城内では飯狭間右衛門が謀反を起こし、織田方の城番・坂井越中守一族を殺害。城を武田方へ明け渡し、明知城は落城します。後詰めは間に合いませんでした。信長は、神箆城に河尻秀隆、小里城に池田恒興を配し、岐阜に戻っています。その後、僧となっていた景行の次男・利景が還俗して城を奪取、一行を猶子とします。天正11年(1583)、利景は金山城主・森長可の圧迫で明知城を退去、徳川家康に仕えます。しかし、遠山利景と一行は諦めません!、再興のその日をじっと待ちます。天正12年(1584)、利景は小牧・長久手合戦で森長可の守る明知城を再度攻略します。しかし、その後羽柴秀吉の命令により明知城は森忠政に返されてしまいます。しかし、これでもまだまだ諦めないのが利景らのスゴイ所です。慶長5年(1600)、関ケ原の戦いでは家康の後ろ盾で三度目の明知城奪取に成功します。外敵の侵攻に立ち向かった景行・景玄ら、不屈の再興を誓った利景・一行ら。受け継がれた彼ら遠山明知氏の領主としての生き様は東濃戦国史に語り継がれるのです。久太郎も2日間に及ぶ作図調査をしました。(参考にしていただければ嬉しいです)現地には高田徹氏による縄張り図面が掲載された案内板があります。折角なので自分の作図図面も公表したいと思います。(一心不乱に取り組みました)100人書けば、100通りの図面ができるものですが、肝の部分はほぼ同じです。Ⓢは車にて見学するのに大変便利な専用駐車場を示します。車の施錠をしたら5秒で城内に入ります。5秒ですよ。Ⓖは明知城の本丸の位置、城山頂部です。 close

美濃 明知城  例のない横堀と竪堀群の絶妙タッグ
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 恵那市の城めぐり
投稿日時 2019-06-20 01:20:01

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