第327回:安土城(織田信長による城郭の到達点であった)の詳細

第327回:安土城(織田信長による城郭の到達点であった)
こにるのお城訪問記
ページの情報
記事タイトル 第327回:安土城(織田信長による城郭の到達点であった)
概要

訪問日:2018年5月,2019年4月 等安土城は滋賀県近江八幡市にあったお城です。織田信長が最後に居城としたこの城は国特別史跡に指定され日本100名城にも選ばれています。説明要不要とも言えるこの有名城は織田信長が岐阜城に続く拠点として,より京都に近く琵琶湖の水運が利用できる安土…… more 山を選定。1576年より丹羽長秀に命じて3年の月日をかけて築城されました。目の前の繖山にあった六角氏の観音寺城からも影響を受けたとされる穴太積みによる総石垣。それまでに無い規模の地下1階地上6階建の天守がそびえ,大手道と言われる直線に築かれた城道等 当時の常識を超えた概念とスケールを備えた城であったと伝わります。1582年 信長とともに上京する徳川家康が訪れた際には明智光秀がこの城で接待に当たりました。その後に光秀が本能寺の変を起こし信長を討ったことは良く知られるところです,この時は蒲生賢秀が留守居役をしており信長の妻子を逃すことに成功しています。明智光秀が敗北した山崎の戦いの時に守備を任されていた明智秀満が去った後に安土城は消失してしまいます。焼失を免れた部分についてはその後も暫く利用されていたようですが,豊臣秀次による八幡山城築城の際に廃城となりました。  ●安土山に築かれた安土城の遠景。●正面登城口にやって来ました。20年以上ぶりに訪れたのですが,最近のお城ブームのお陰もあり随分と観光客が増えているようでした。  ●入口の前の田畑や荒地は内堀の名残です。●大手口伝わる入口です。現地にあった詳細な縄張図。城域は非常に広大で全山に及びますが,現在は有料化され地権の問題等もあるようで,見て回れる部分は赤字を中心と下部分と限定されています。  ●大手門は通常一つの入口なのですが,安土城の場合は京の内裏と同じく三門(大きな門の左右に小さな二つの門がある形式)で,大手三門と呼ばれています。これは天皇の行幸を計画していたからと考えられています。この写真は東側にあった門跡付近です。●こちらが大手三門の内,西側にあった門を内側から見ています。枡形虎口(右側)と平虎口(左側)の二つの虎口が開いている様子が分かります。  ●大手道入口付近の脇にある石垣は長辺を縦に積んだ立石と呼ばれる部分があり,見せるための工夫がなされています。●しばらく登ると有料部分への入口ゲートがあります。  ●一直線の大手道。非常に有名な構図の一つ。7m程度の幅広の城道がで直線で180m程も一気に駆け上がるという設計は本来,中心部への侵入を防御するための機能からすると全く相反する思想であります。これは,信長がこの大城郭を権威象徴として築いたことを表すと考えられ,軍事拠点であった戦国時代の城郭から政治色を持った近世城郭への移行期の城,天才信長の発想を直接感じることのできる場所です。●この大手道を中心に石仏や石塔からの転用石が多く見ることができます。これも合理的な信長系の城に多く見られる特徴です。  ●大手道の左側にある 伝羽柴秀吉邸跡。上下二段の曲輪に分かれ,下段には巨大な櫓門があったそうです。●伝羽柴秀吉邸跡 上段の主殿とされる場所です。  ●大手道の右側にある伝前田利家邸跡。近世城郭並みの内枡形虎口を備え非常に防御性が高い屋敷跡です。●伝前田利家邸跡の上段にあったとされる多門櫓への通路。  ●これは多門櫓の床下にあった木樋です。非常に見つけにくいところにありました。●現在の摠見寺のある場所は 伝徳川家康邸跡とされています。  ●元の摠見寺は1854年に大部分が焼失したため明治時代に現在の地に移されています。●内部では安土城の出土物などが見学でき,お茶で一服することもできます。  ●一直線に駆け上がった大手道はこの分で左に屈曲し,ジグザグと上っていきます。●大手道左手の伝武井夕庵邸跡背後には谷を埋める高石垣があります。  ●伝織田信忠邸跡の横で本丸に向かう大手道は右手に分岐折り返すように東に向かいます。直進すると摠見寺跡に向かいます。●伝織田信忠邸跡の裏から東に向かう大手道。  ●左手に織田信澄邸址と森蘭丸邸址の石碑がありました。どうやら,この未整備ゾーンの奥の下方あるようなのですが侵入は出来ませんでした。●主要部の入口となる伝黒金門跡です。巨石を多用した枡形虎口です。  ●黒金門跡を抜けて左手に向かうとある伝長谷川竹秀一邸跡にあった織田信雄公四代供養塔。信長の子である信雄から信武までの四代が祀られています。●伝二の丸の南西側の石垣。築城当時の姿を伝えると言われています。  ●二の丸へ向かう途中にあった仏足石。昭和初期に発見されたそうです。転用石と考えられるものの,石垣には組み込まれることなく置かれていたとか。●こちらは蛇石(じゃいし)。信長公記によると1万人以上で3日間かけて運んだ巨石とされているが,それ程大きなものでないので真偽は不明。   ●伝二の丸の様子。●伝二の丸にある織田信長廟。1582年に羽柴秀吉により建立され遺品が治められたと伝わります。  ●伝本丸に到着。広大な面積を有し千畳敷と呼ばれるこの場所に本丸御殿があったとされます。●伝本丸に残る礎石跡。非常に大きな建物が立っていたことがわかっており,落城時の物と思われる焼けた跡も見られます。  ●伝本丸から天主台跡への取付台です。●天主台跡の虎口です。  ●天主台跡の穴蔵(地階)に残る礎石跡です。●天主台よりの眺望。現在は田んぼになっている部分も当時は一面の湖面が広がっていました。  ●伝本丸北虎口です。八角平や搦手口方面に伸びているはずですが,現在は立入ることが出来ず荒れ放題の様相です。●伝織田信忠邸跡付近の分岐に戻り摠見寺跡を目指します。  ●摠見寺跡の本堂跡です。天正年間に織田信長により建立されたのですが,信長が自信を祭るための寺であったとも言われます。安静年間の1854年に多くの建物が焼失し伝徳川家康邸跡に仮本堂が移築されました。●訪問時は修築中であった重要文化財の三重塔。  ●現存する摠見寺の仁王門も重要文化財に指定されています。西の百々見口より登城した家臣たちは必ずこの場所を通ることになり,やはり信長を崇め奉るための仕掛けという説には説得性があると思います。●外に出てきまして,安土城の外周部に蓮池として残る内堀跡です。  ●有料部の他に立入禁止となっておらず安土城にアクセスできる入口があります。写真の松源院弘法大師堂の裏よりその道は伸びています。●ここを進むと東門跡にたどり着きます。  ●しばらく登ると現れる東門跡。●東門は厳重な枡形構造であったことが分かります。  ●謎の石積みピラミッドがある削平地はお茶屋平と呼ばれる曲輪です。安土城の東の部分は元々六角氏の家臣である目加田氏の城があったとされ,その雰囲気を残すエリアです。●この分岐で左折し城道と思われる経路を進みます。直進すれば建物の背後より尾根筋に伸びる道があります。  ●東門跡からの城道も多くの石垣を見ることが出来ます。●馬場平の側面に築かれた豪快な石垣を横目に見ながら進みます。  ●途中右折して上に上りますと馬場平の虎口に到着します。●馬場平の虎口に残る櫓台跡。 &nbsp●馬場平よりさらに上に進みますと立入禁止。この道は搦手側から本丸北虎口に続いていたようです。●元に戻りまして馬場平の内部を進みます。写真は東側の部分です。  ●馬場平を抜けますと写真のような尾根道を下りていきます。●前述の分岐地点に戻ってきました。  ●安土城の周辺遺構で見ておきたいのがこのセミナリヨ跡です。セミナリヨとは信長が保護したキリスト教の神学校です。●セミナリヨ跡の横には外堀跡が残っていました。あまりにも知名度が高く説明しつくされている感のある城ですが,改めて丁寧に回ると多くの発見がありました。20年以上前に訪れた時はもっと自由に立ち入りできた記憶があるのですが,人気の城ですから仕方ないですよね。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村 FC2 Blog Ranking close

第327回:安土城(織田信長による城郭の到達点であった)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 滋賀県の城郭
投稿日時 2019-06-02 15:40:02

「第327回:安土城(織田信長による城郭の到達点であった)」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;