第326回:一乗谷朝倉氏遺跡(朝倉氏の栄華の跡である居館群と詰城){付 小見放城}の詳細

第326回:一乗谷朝倉氏遺跡(朝倉氏の栄華の跡である居館群と詰城){付 小見放城}
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第326回:一乗谷朝倉氏遺跡(朝倉氏の栄華の跡である居館群と詰城){付 小見放城}
概要

訪問日:2019年4月一乗谷城は福井県福井市にあったお城です。山麓の居館跡と詰城である山城(一乗谷城)を含む全体が一乗谷朝倉氏遺跡として国特別史跡に指定されており,日本100名城にも選ばれています。戦国時代に越前を支配をし強大な勢力を誇った戦国大名朝倉氏はこの一乗谷に京の都にも匹…… more 敵するとされた文化都市を築きました。戦後の発掘作業で埋もれていた町並み全体が明らかになり整備が進み,現在はまさに戦国時代の街並みの息吹を感じることができる場所として人気の高い観光地となっています。一乗谷に本拠地を移したのは戦国時代の初代にあたる7代 朝倉孝景(敏景)とも言われていますが,実際には南北朝時代より拠点として機能していたようです。10代 朝倉孝景の頃に全盛期を迎え,1499年 京都を追われた室町幕府 10代将軍 足利義稙が来訪。11代 朝倉義景の1567年には後の15代将軍 足利義昭を迎えるなど,貴族や将軍家との直接的な交流も文化が発達した要因と考えられています。越前で強大な勢力を誇った朝倉氏でありましたが,1573年 織田信長の侵攻を受け滅亡,一乗谷も火に包まれました。織田軍旗下の柴田勝家が越前支配拠点を北ノ庄城に移したことにより,いつしか一乗谷は田畑の下に埋もて忘れ去られたことにより,昭和になるまで日の目を見ることはありませんでした。  ●一乗谷の入口の手前にある一乗谷朝倉氏遺跡資料館。ここで一乗谷,朝倉氏について情報を入することができます。●資料館内に展示されていた復元模型。この南北に2km弱の谷筋に戦国の城下町が残っており,山上には詰城等の山城跡が残っています。  ●北側から奥に向かって一乗谷を見ていきます。●最初に現れる下城戸跡。一乗谷北側を守る施設です。  ●下城戸跡は地形の狭くなった部分を利用し土塁と堀で守られ内部が見通せない構造となっていました。●下城戸跡には巨石を用いた枡形虎口が残っています。  ●内部から見た下城戸跡の枡形虎口,屈曲している様子が分かります。●先に進むと左手に現れる朝倉景鏡館跡(あさくらかげあきらあと)です。義鏡は朝倉義景の従兄弟にあたり最後は朝倉氏滅亡時には当主の義景を裏切ったことで良い印象の持たれない人物ですが,朝倉館跡に次ぐ広さは朝倉氏内部における景鏡の重要度を示しているといえるでしょう。現地の案内板によると朝倉景鏡館は外堀や土塁を備えていたこともわかります。  ●朝倉景鏡館跡に復元された土塁と堀跡。●朝倉景鏡館跡から300m程奥に進むと右手に見えてくるのが平面復元地区です。建物跡,井戸跡,便所跡,墓地跡等が平面復元され戦国の城下町の様子を感じることが出来ます。  ●これは建物の入口ですね。●平面復元地区より詰城のある一乗山を見ております。桜が満開の時期でした。  ●居館地区のメインである朝倉館跡の唐門。一乗谷朝倉氏遺跡の紹介では必ずと言って良いほど出てくる構図ですね。この唐門は元々 朝倉義景の菩提を弔うために建てられた松雲院の山門です。●館跡内は写真のように建物跡が平面復元されています。朝倉館跡の案内板。このように堀や土塁で囲まれた城郭造りの館であったことが分かります。  ●朝倉館跡に残る立派な土塁。●戦国 五代目であり最後の当主であった朝倉義景公墓所がありました。一乗谷朝倉氏遺跡の一つの見所として国の特別名勝に指定された4つの庭園跡があります。4つもの特別名勝庭園跡を一度に見れるところは他に無いでしょう。  ●まずは館跡内に併設されている朝倉館跡庭園。最後に発掘調査が行われ発見された庭園です。●次に館跡の南の高台にある湯殿跡庭園。4つの庭園のうち最も古いと考えられ,戦国時代の荒々しさを感じさせる庭園です。  ●南の中の御殿跡に向かいますが,朝倉館跡との間に築かれた土塁と堀です。●堀の向こうにある中の御殿跡は朝倉義景の母である光徳院の屋敷跡と考えられています。左手に巨大な土塁が築かれ石垣も随所に見ることが出来ます。  ●中の御殿跡は内部にも写真のような土塁の痕跡が見られます。●中の御殿跡の南側に開く虎口。  ●中の御殿跡の後は山側に進路を取りました。写真は英林塚と呼ばれる戦国時代の初代 朝倉孝景(敏景)の墓所です。●英林塚より館の背後を回り込んで北側の高台に,3つ目の庭園があります。ここは後に室町幕府15代将軍となる足利義昭をもてなしたとされる南陽寺跡庭園です。  ●高台から下りますと需要な水の手であったと思われる瓜割清水があります。400年以上 豊富な水が湧き出ているそうです。●再度,朝倉館跡の前を通り南側に来ました。ここは朝倉義景の妻である小少将の屋敷があったとされる諏訪館跡です。  ●朝倉義景が妻のために造ったとされる諏訪館跡庭園4つの庭園の内でも最も大きく豪華で,戦国時代の池泉回遊式庭園としては日本の中でも第一級のものだそうです。●朝倉館跡の迎えにある復元町並にやってきました。ソフトバンクのテレビCMなんかにも使われた場所ですね。  ●武家屋敷等が復元され戦国時代にタイムスリップできる空間として一般の観光客にも人気のある場所です。●復元された屋敷跡と満開の桜が印象的でした。  ●さらに南に進むと一乗谷の案担を守備していた上城戸跡が見えてきました。●上城戸跡には100mを超える土塁や堀が残っています。一乗谷川沿いには石垣も築かれています。  ●上城戸跡を越えてさらに南に進むとある御所・安養寺跡は足利義昭が9ヶ月間滞在した場所と言われています。●史跡地区の中ほどにある一乗谷史跡公園センターに戻ってきました。ここにはレストランもあり食事をとることもできますが,駐車場もあり詰城登山の拠点として活用できる施設です。  ●詰城への主要登山ルートである馬出ルートの入口。ここから標高473m 比高も400m程度あるハードな山城に挑みます。●しばらく進むと何段か削平地と石垣が見えてきます。馬出と呼ばれている地区です。詰城の大手道とされるこのルートの入口を守る施設があったのでしょう。  ●馬出地区の全景。●ここから約1時間の登山,どんどん登っていきます。  ●登山道の途中,砂防ダムのような施設を過ぎたあたりに小見放城(こみはなちじょう)という出城があります。●小見放城は全く整備されていなさそうですが,スルーするわけにもいかず取りついてみると尾根を断ち切った堀切がありました。  ●さらに主郭と思われる曲輪によじ登ると土塁が残っていました。●下方には数段の曲輪が築かれているようです。小見放城から離脱する時に滑って転んでドロドロになりました。。。  ●元の登山道に戻って上を目指すとあった摩崖仏。ここから上までまだ0.8kmあるらしい。●ひたすら急な山道を進む。  ●いよいよ詰城の城域に入ってきました。この辺りから曲輪が出現し,案内板もあります。●少し進むとある不動清水。山城には不可欠な水の手です。詰城の縄張図。上側から進んできています。500m程度に渡る広域な城域を誇っています。  ●城内で最も広大な面積を有する千畳敷跡です。朝倉義景の頃には本丸の役割を担っていたと考えられています。●千畳敷跡の南隣にある観音屋敷跡。三方を土塁で囲まれています。  ●観音屋敷跡から宿直跡に抜ける虎口。通路は右に屈曲しており枡形虎口のようになっています。●虎口の宿直跡側。石垣を配した土塁により形成されていることが分かります。  ●宿直跡は眺望が良く見張り台のような役目を担ったと考えられます。●宿直跡に残る礎石跡。  ●宿直跡よりの眺望は眼下に城下町を見下ろし,福井平野や三国湊まで見渡すことができます。●こらは赤渕神社跡から宿直跡に伸びる竪土塁のような遺構。  ●観音屋敷跡の情報に位置する赤渕神社跡。●宿直跡よりさらに高所に築かれた月見櫓跡。  ●千畳敷跡よりさらに奥に進みますと土塁を切って開けた虎口を抜けます。●分岐地点で直進すれば三万谷ルートを経て林道に向かいます。このルートは比較的高所まで車で上れることもあり時間の制約がある場合に有効です。右手前に折り返すように登って行けば一の丸等へ向かいます。左側には見所の一つである畝状竪堀が広がりますので,そちら見ていきます。  ●草木も少ない時期なので畝状竪堀群がはっきり見えました。●写真では分かりにくいので奥の竪堀に人を立ててみました。  ●先ほどの分岐地点を折り返し一の丸方面に上っていきます。●分岐直後,左手に尾根を断ち切る堀切を確認することが出来ます。  ●一の丸の切岸が見えてきました。●一の丸の周囲には横堀のような窪みが確認できます。  ●一の丸によじ登ってみましたが曲輪内部は未整備。●一の丸から西側に向かって伸びる竪堀です。  ●一の丸の北西側(二の丸方面)にある堀切。●二の丸が見えてきました。  ●二の丸の内部も一の丸と同様に未整備でした。●二の丸の南西側尾根との間には巨大な堀切が築かれており土橋も確認することが出来ます。  ●二の丸の北西側もやはり堀切で尾根を切られています。●堀切は山斜面を竪堀となって下りていきます。  ●三の丸は最高所に位置する長細い曲輪ですが,曲輪途中で写真の堀切で分断されています。●三の丸の南端の様子。見張り台でもあったのでしょう。とにかく素晴らしい城館跡と城下町の復元。そして遺構が良く残る詰城である山城跡。そして広大な城域に見所満載。私の場合は朝の9時に資料館に入り,この地での最後の写真は17時となっていましたので,実に8時間もかかったことになります。館跡から城下町そして山城までつぶさに見て回る人は最低丸一日を充てる必要があるということです。朝倉氏の夢の跡を十分に堪能して欲しいものです。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第326回:一乗谷朝倉氏遺跡(朝倉氏の栄華の跡である居館群と詰城){付 小見放城}
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 福井県の城郭
投稿日時 2019-05-26 15:20:02

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