第698号菩提寺城の詳細

第698号菩提寺城
城 新 聞
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記事タイトル 第698号菩提寺城
概要

 1559年、竹中重元によって築かれたと伝えられています。前年まで同地の豪族であった岩手氏が西美濃の勢力を張っていましたが、竹中重元が岩手弾正を攻め、岩手氏は滅亡。重元は6000貫の領主となり、竹中氏の新たな居城として築城したことがはじまりと伝えられています。&nbsp…… more ;なお、重元は羽柴秀吉に仕えて播磨国三木城攻略時に病没した竹中半兵衛(重治)の父親です。 伊吹山系の東端にある標高401.1mの菩提山に位置した山城で、縄張りは、山頂部に主郭を置き、南に向けて二の曲輪、三の曲輪、南側に出丸を配置しています。また、主郭虎口部分には三日月堀と土塁を伴う馬出、そして枡形虎口を形成。さらに一段下がった所にある台所曲輪とも連携した複雑な階郭式となっていたようです。その他、岐阜城(稲葉山城)よりも標高が高く西美濃屈指の大規模なこの山城には、出曲輪や堀切が至るところにあり、数条並べた特異な竪堀もあり、かなり堅固な護りであったと考えられます。 築城の翌年、重元は病没し、家督は半兵衛が16歳で継ぎ城主となったと云われています。また、この時期に西美濃三人衆の一人、安藤守就の娘と結婚しています。 1565年、わずか21歳の半兵衛は、16人の手勢で岐阜城を陥落させ、暗君の龍興を追い出しています。半兵衛は岐阜城を半年程占拠した後に放棄し、龍興は戻りますが、1567年、今度は織田信長の侵攻により追われます。斎藤氏の滅亡後は半兵衛は、一時、浅井長政の客分として東浅井郡に3000貫の禄を賜りますが、1年程で禄を辞して旧領の岩手へと帰り、隠棲。その頃に木下秀吉の「三顧の礼」によって、織田信長の家臣、やがて秀吉の与力となり、次々と武功を挙げます。 1578年、信長に対して謀反を起こした荒木村重に、同じく秀吉の与力であった黒田官兵衛が有岡城に監禁されます。 これに信長は官兵衛が村重に加担したと誤解し、官兵衛の息子、松寿丸(後の黒田長政)の殺害を秀吉に命令。しかし半兵衛は、信長の首実検に際し、秀吉に偽の首を提出させることで松寿丸の命を助け、松寿丸は菩提寺山城で引き取り、家臣の不破矢足の屋敷に匿ったと云われています。 翌年の1579年、半兵衛が播磨三木城攻め(三木合戦)の陣中にて病没。竹中氏の家督は嫡男重門が継ぎましたが、幼少のため、菩提山城には重治の従兄弟の竹中重利を城代として入城させ、重門は秀吉のもとで養育されました。 1588年、成人した重門は帰城すると、麓に岩手城を築いて居城とし、菩提山城を詰の城としました。 1600年、重門は関ヶ原の戦いにて東軍につき、徳川家康に菩提山城を提供。戦後、麓の竹中氏陣屋に居を移したことから菩提山城はやがて廃城となりました。  現在は、白山神社が登城口となり、所々に「土塁」など看板が立ち、土塁や堀切などの遺構が多く残っています。登城口から本丸までの距離と標高はけっこうあるので、日常は麓の竹中氏陣屋あたりに居館がすでにあったと推測します。【半兵衛について余談】その1〉初陣は1556年で斎藤道三、義龍親子同士の戦い、長良川の戦いです。斎藤道三に味方しましたが、このとき父親の重元が不在のため代わりに大将を務め、籠城戦の末、斎藤軍を退けたとされています。この時わずか12歳。その2〉有岡城から助け出された官兵衛は、半兵衛の行動に深く感謝したものの、その時、すでに半兵衛はこの世を去っていたため、代わりに感謝の意として、竹中家の家紋を貰い受け継いだと云われています。【近隣の高校】岐阜県立不破高等学校1950年に創立しました。現在は、普通科のみですが、2004年まで理数科が設置されていました。部活動では、珍しくスポーツチャンバラ部があり、人気があるそうです。 スポーツチャンバラについて調べてみたところ、種目は、短刀の部、小太刀の部、楯小太刀の部、楯長剣の部、長剣の部、両手長剣の部、ニ刀の部、どの得物(武器)を使ってもよい異種の部と多種多様です。また、1人対1人で行う「対戦」から、1人対多人数、多人数対多人数といった多人数対戦の「乱戦」、50人対50人の「合戦」といった対戦方式もあり、国際大会も開催されているそうです。 close

第698号菩提寺城
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投稿日時 2019-04-21 02:00:03

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