姫路城(兵庫県)の詳細

姫路城(兵庫県)
むぎの城さんぽ
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記事タイトル 姫路城(兵庫県)
概要

【 姫路城 】ひめじじょう 【 別名 】白鷺城 【 構造 】平山城 【 築城者 】羽柴秀吉、池田輝政 【 築城年代 】1580年(天正8年)、1601年(慶長6年) 【 指定史跡 】国指定特別史跡 【 場所 】姫路市本町68 地図  【 スタンプ設置場所 】管理事務所入口(入城…… more 口横) 【 城郭検定】出題あり 関ヶ原の戦いの武功により池田輝政が8年がかりで築城した姫路城。 それより以前は赤松則村が姫山に砦を築いたのが最初で、黒田孝高や豊臣秀吉が入城しています。 天守群の白壁が白鷺を連想させることから白鷺城とも呼ばれています。 太平洋戦争の空襲被害を受けつつも、市民に守られ今日までに昭和の大修理、平成の大修理を経て 白く美しい外観が甦った国宝であり、世界文化遺産でもある姫路城は日本を代表する名城です。 大手門 特別展示期間中は混雑するだろうと朝の開城前に並んでみました。 前回訪れた時よりも、むしろ列が短い 菱の門 安土桃山様式の格調高い櫓門です。 花菱 正面の冠木にある「花菱」がこの「菱の門」の名前の由来です。 三国堀 この堀はほぼ正方形で、姫山と鷺山の谷を堰き止める役割をしていて 用水池として使用されていました。 羽柴秀吉時代には姫山(天守側)と鷺山(西の丸側)との谷間があり その間に堀があったところを、池田時代に堀を埋めて四角くして三国堀を造りました。 現在の三国堀の形にした時の名残がこの石垣です。 では、西の丸へ行ってみましょう! この方向から見る姫路城もなかなか美しいです。 西の丸 かつてここには西の丸御殿がありました。 本多忠刻と再婚した千姫が暮らすために御殿を大改修し、多くの建物が築かれました。 土塀 姫路城では長い土塀が多くあるのが特徴的です。 しかも多門櫓になっていて、特に西の丸にある百閒廊下は内部を御殿女中の住まいとする 長局になっていました。 釘 ワの櫓の脇にある黒い格子窓の左上にL字の釘があります。 これは戦時中に空襲から逃れるために黒い網を掛けて城を隠したという 話を聞いたことがあるのですが、その網を引っ掛けるために打ち付けられたもの なんだそうです。(ガイドさん説) 百閒廊下 ワの櫓から靴を脱いで入ります。 ひたすら長い廊下を進んで行きます。 この長い廊下には長局と言って侍女たちが暮らす部屋も並んでいます。 ここの右側に見える土塀には戸が付いているのが確認できるのですが、 ここから外に出ても石垣と原生林、その下は内堀です。??? ヲの櫓に外へ通じる出入口が設置されています。 ヲの櫓 二重櫓になっていて、この先はタの渡櫓になっています。 女性ばかりが暮らす場所でも狭間や石落しなど防御、攻撃の仕掛けが しっかり施されています。 働く女中の住んだ部屋です。 このような部屋が並んでいます。 男山 千姫はここ長局の窓から見える男山に天満宮を祀り、 夫忠刻や嫡男幸千代を失い、その冥福を朝夕に祈っていたという。 松の羽目板 昭和の改修でヨの渡櫓から発見された松の羽目板を別の板に復元したものです。 化粧櫓 化粧櫓は、千姫が輿入れした際に父である徳川秀忠から持参金として 化粧料10万石が贈られ、化粧櫓と渡櫓、付櫓を増築しました。 以前訪れた時には、ここに千姫が娘の勝姫と「貝合わせ」をして遊んでいる 様子の人形が飾られていたのですが、見学者が驚くということがあり とりやめて千姫だけが奥の部屋に置かれるようになったとのことです。(ガイドさん説) 化粧櫓の外観です。 いの門 菱の門を入って真直ぐに見えるのがいの門です。 ここからは、天守へ行くための正規のルートで進んでみたいと思います。 ろの門 筋鉄饅頭金物や八双金物などの装飾が施された、脇戸付きの高麗門です。 昭和12年3月19日に松竹キネマの映画「大坂夏の陣」での戦闘シーンを撮影中、 撮影隊が「ろの門」付近の土塀周辺に火薬を仕込み、土塀や石垣を爆破させたという 今では考えられない過去があります。 国宝を吹っ飛ばすとはびっくりなエピソードです。 ここでもよく映画や時代劇のロケが行われ、映画「007は二度死ぬ」の撮影がここで行われた際には 土塀に向かって手裏剣を投げ、土塀にキズを付けるという事件が起きました。 ガイドさんからは映画の撮影に使われた場所ですよという案内はありまいたが 事件のことは聞いてませんでしたので、今ではプラス要素の部分だけ売りにしているのですね。 はの門 ここでは向かって右下の礎石に注目です! 石灯篭の基礎 姫路城では転用石も多用されています。 はの門の礎石には石灯篭の礎石として使われていたものが使用されています。 よ~く見ると柄入りの石が使われているので、ちょっとアンバランスな気が…^^; 十字紋瓦 はの門を過ぎて、二の門を下から見上げると十字紋瓦が見えます。 下を向いて進んで行くと見落としてしまうので注意です! これはキリシタンだった黒田官兵衛にゆかりがあるものと思われています。 にの門 ここでは攻め寄って来る敵を狭い門に追い込んで行きます。 天井が低く、門の中で右に折れています。 櫓の床板を外して、門内を通過しようとする敵兵の頭上を槍で突き 仕留めることが出来る構造になっています。 ほの門 埋門になっているほの門は、くぐったすぐ右手に油塀があります。 門は狭く、目の前は階段になっていて門の方が低い構造になっています。 油塀 羽柴秀吉時代のものと伝わる油塀で、山土に豆砂利を加え もち米のとぎ汁やおかゆで固めたと伝わる珍しい塀です。 石臼(姥が石) 石垣の材料集めに苦労していた秀吉に、貧しい老婆が使っていた石臼を寄進すると それを喜んだ秀吉は、この石臼を乾小天守の北側の石垣に使うことにしました。 その老婆の石臼がここに使用されています。 北腰曲輪の多門櫓 こちらは、倉庫に使われていた櫓で、塩蔵であったことが判っています。 井戸 櫓の中に井戸があり、ここでも籠城を想定された設備が完備されています。 軒丸瓦と滴水瓦 まるで赤ちゃんのよだれかけのような形をした瓦が付いていますが これは「滴水瓦」又は「高麗瓦」と言うもので、 屋根の雨水をこの瓦で滴らせる役割をしています。 姫路城ではこのような瓦があちこちで見られます。 水一門をくぐると、水二門へ向かって下っているのがわかります。 (写真ではわかりずらい) 水二門 さらに水二門から水三門へ向かって更に下っています。 水三門 ここも埋門で目の前は直角に折れています。 この先はいよいよ天守入口です。 水五門 門の様子はよく見えない状態ですが、ここで靴を脱いで入城です! 天守(地階) 地階は日が差さないため暗く、流しや雪隠という生活に必要な個所と 戦うための武具庫などがあります。 流し 用途は不明で籠城時に食事を作るためのもとと推測されています。 中央部に水が集まるように傾斜が付けられていて北側の中庭に 排出するような構造になっているらしいですが、板が張られているため 内部構造は一般には目にすることは出来ません。 武具庫 地下にも武具庫。 城内武具庫をはじめ、至る所に武具が置かれているようです。 天守(1階) 武者走 1階から3階までは身舎の周りに廊下状の武者走が巡っています。 各階の隅(写真正面)には斜めの筋交柱で補強されています。 耐震補強 木の箱で囲われた部分は耐震補強をした部分です。 天守(2階) 武具掛け 現在は何も掛っていませんが、こうした武器を掛ける場所があちこちで見られます。 ここに銃や槍が掛っていたら物々しい光景だったでしょうね。 千鳥破風内部 千鳥破風の内部に小部屋のような空間があります。 窓が付いて明るいので破風の部分の小部屋ってなんだか好きです 天守(3階) 西大柱 地下から6階までのびる四角い西大柱。 東側にも丸い東大柱が並行してのびています。 武者隠し(南西) その名の通り、この狭い小部屋に武者が入って隠れて狙い撃ちします。 昔は小柄な人が多かったのでこんな狭いスペースでも籠ることができたのでしょう。 しかし、良く見るとなぜか武者隠しの下に狭間が付いています。 ここまで敵が侵入して来た時のことを想定して付けられたのでしょうか。 開かずの間 武蔵が姫路城の天守に3年間幽閉され精神修養をした部屋と伝わる場所です。 他にも宮本武蔵は姫路城にまつわる妖怪退治をしたという伝説もあります。 天守(4階) 石打棚 千鳥破風にある窓が高い位置ににあるので窓の開閉や弓、鉄砲の攻撃足場として 利用されていたと考えられています。 天守(5階) 刻み番付 南北にある破風の間を見上げてみると、棟木に番付の文字が刻まれているのが確認できます。 ちなみにこちらは南側の破風です。 天守(6階) 幻の窓 現在この部分は板が張られ、狭間も付いていますが ここは元々は窓として建築されていたようです。 角の部分なので強度を考えても窓の無い現在の状態の方が安心かなと思いますが、 なぜ、変更されたのかは不明です。 刑部明神 刑部神社は姫路城が築城される以前に姫山にあり、 由緒ある地主神として地元の人たちの信仰の対象でした。 それを秀吉が築城のために姫山から総社に移したため、たたりが起き 輝政はあっけなく亡くなり、その子供たちも次々に若死していきました。 他にも、誰もいないはずの天守閣に夜な夜な怪しい灯りがともり、 大勢の人が泣きわめく声が聞こえるなどたたりの噂が広がりました。 そこで刑部神社は天守の最上階に移され姫路城の守護神として現在も 火災・災害などの災いの神として信仰されています。 埋木 昭和の大改修の際、長押の板にある節を削り取りそこにいろいろな形をした 埋木を施しています。 刑部明神の裏手には星型の埋木があるので探してみてください。 イの渡櫓(入口) ここから先は特別展示になるので別途入場料を払うことになります。 世界遺産登録25周年記念、冬の特別公開ということで 小天守群内部公開を見るためにはるばる足を運びました。 観覧料300円を払った人はここから二階へ上ります。 一般の入城料だけの人は階段を登らずに真直ぐ進んで1階を見て退城となります。 イの渡櫓(2階) 普段は行列をなしての観覧のようですが、この日はこのように空いていました。 イの渡櫓から見た乾小天守です。 との門 イの渡櫓から見下ろした「との門」です。 東小天守(入口) この先が東小天守です。 東小天守(2階) 2階は窓が無いので暗いです。 内部は小天守と言うだけにこじんまりした造りです。 東小天守(3階) 艮隅櫓とも呼ばれていた東小天守は地上3階、地下1階(塩の貯蔵庫)で、普段は公開されていません。 今回最上階の3階部分は初公開ということでじっくり見て回りました! (…というほど広くないですが) 最上階は見張りに使用していただけに窓もあり、とても明るいです。 破風の間 北側の千鳥破風の部分です。 破風の間の両隅には狭間も付いています。 破風の間の上部は引き戸の明かり取り用の小さい高窓と 弾薬を吊り下げる棒があり、小天守の中はしっかり武装されていたようです。 窓のレール部分を見てみると、雨水が溜らないよう排水出来る穴が付いています。 部分修理のプレート 西側には高い位置に明かり取り用の小窓しかなく壁になっています。 部分修理のプレートがあり、平成14年に屋根目地漆喰塗替・平壁漆喰塗替・屋根瓦部分差し替えの 部分修理を行ったことが刻まれています。 天井 天井は吹き抜けではなく、棹縁天井が張られていて書院風の造りになっています。 ロの渡櫓(2階) ロの渡櫓の2階内部です。 東小天守と乾小天守を結ぶ渡櫓で、「北の長や」と呼ばれていました。 鉄砲 歩いていて、振り返ったら火縄銃が!! 槍 横を向いたら槍が!! 見上げると火薬がぶら下がっています!! 武器庫のような渡櫓になってます。 床板 武器が沢山用意されている櫓だと思っていると、 床はとても格式高い手斧仕上げの床板になっています。 これは節目に穴が空いてしまったところを削って修復した跡で 姫路城内には職人さんの遊び心でいろいろな形で修復されています。 ここは菱型をしていますね。 乾小天守入口 この先は乾小天守です。 三つある小天守の中で一番大きいのが乾小天守になります。 乾小天守(2階) ここでも上を見上げると梁に番付けがされているのが見られます。 この棚は石打棚とは違うようで、階段も無ければ窓側でもありません。 ということは…甲冑などを置いていた棚でしょうか。 このような造りをほかの城址で見たことあるような気がします。どこだったかな? 乾小天守(4階) 最上階の窓は東西南北すべての面に取りつけられていてとても明るい造りになっています。 外に格子も無いのでとても解放感があります。 火灯窓 先ほどのシンプルな東小天守とは対照的で、装飾品で飾られた小天守です。 中からは飾られた部分が見えないのでシンプルに見えますが 外からは黒漆に飾金具の装飾が格好良く見えています。 部分修理のプレート 乾小天守は昭和に二回と平成に部分修理をしています。 城内の様子が見渡せます。 西小天守 今回は公開されていない、もうひとつの小天守である西小天守を 乾小天守からうらめしそうに?眺めています。 どうせなら三ヶ所全部見たかったなあ。 乾小天守の天井も書院造り風に棹縁天井で仕上げられています。 ここは眺めも良いのでかなりの時間居た気がします。 心地良い空間ですね。 東小天守 そして、東小天守から乾小天守を見たように東小天守を望む。 大天守 間近で見る大天守は迫力あります。 ここから見られる天守は貴重です。 ハの渡櫓(2階) 乾小天守と西小天守を繋ぐ渡櫓です。 西小天守は公開になっていないのでここで行き止まりです。 姫路城の総構模型 乾小天守の1階部分に展示されている姫路城の総構模型です。 軸組構造模型 東小天守1階部分に展示している軸組構造模型です。 ロの渡櫓(1階) 台所(入口) この扉の向こうに台所があるのですが、ここも公開になっていないので 見学することは出来ません。 石落し 窓の外側で縦格子との間に設けられた石落しです。 蓋を上に開けて、石や熱湯、糞尿など敵めがけて何でも落しちゃえ!って感じですね。 原始的ですが想像すると嫌ですね^^; ハの渡櫓(入口) この先、ハの渡櫓が天守内部からの出口となります。 西小天守(入口) 西小天守は見られません。 特別公開を待つしかありません。 このように、数年に1度とか特別公開する個所があるのでぜひ見たい!と思っている 場所の公開を見逃さないよう今後もアンテナを立てていた方が良いでしょう。 水四門 水ノ四門から外に出ます。 振り返ってみると、これまた迫力のある大天守。 乾小天守の火灯窓が品格を増して美しい姿です。 本丸(備前丸) かつて本丸御殿があった備前丸。 藩主と家族はここに居館を置いて生活していました。 但し、御殿を置くにはちょっと手狭だったようで後に本多時代には御殿は 三の丸に移っています。 備前門 備前門の上は折廻櫓が載っていて、折廻櫓は二階建てで書院造の部屋もあり 中を覗いてみたいところでしたがこちらも公開されていないので 見ること叶わず。残念~ 石棺 一見、とても立派な巨石を切り出して来たなあと思える石ですが、 これは古墳から持って来ちゃった棺石です。 なんて罰当たりなことしてるんでしょうか。この時代は。 旧番所 正面が旧番所で左奥にちの門があります。 右の建物が井郭櫓で櫓内に井戸が設置されています。 抜け道のような小道で入って行ってみたかったのですが通行不可でした。 帯郭櫓(腹切丸)と太鼓櫓(への櫓) 正面に見えるのが太鼓櫓で、左手に見えるのが帯郭櫓(腹切丸)です。 帯の櫓 この場所、外から見るとかなりの高石垣の上に載っている櫓です。 雁木が付いているので搦め手からの敵をここからも狙い撃ちですね。 穴門 この穴門をくぐって下って行くと腹切丸です。 完全な袋曲輪で、出入り口はここだけ。 ちょっと物騒な名前の付いた曲輪ですが、本来の用途は 城内に進入した敵を背後から奇襲するために兵を隠しておくための 隠し曲輪なんだそうです。 ここにも棺石がはまっています! 所々に使われている転用石ですが、これを見るとどれだけの 古墳が荒らされたのか、そしてこれでは崇りがあるのも仕方ないのかなって思う^^; お菊井戸 上山里曲輪にあるこの井戸は 怪談話では有名な「播州皿屋敷」のお菊井戸です。 最近の子供たちはこの話を知っているのかわかりませんが、私の子供の頃は 夏になると良く耳にした怪談話です。 「いちま~い、にま~い…」とお皿を数える様を、よく真似したものですが 今でも怖くてこの井戸ばかりは中を覗き込む気になれませんでした^^; 大天守の鯱鉾 リの一渡櫓では明治・昭和・平成時代の鯱瓦を展示しています。 そして、次は令和の鯱鉾が並ぶのかなあ。 令和の時代に改修があるかどうかわからないけどね。 ぬの門 姫路城では最大の二階建ての櫓門です。 門扉は総鉄板張で、さすがに天守への近道上にあるだけあって 重厚で厳重な造りの門扉が付けられています。 人面石 ぬの門を出てすぐの石垣には「人面石」と呼ばれる人の顔のような並びの 石垣があります。 ハートの石 「人面石」の左側にはハート型をした石もあります。 しかし、この人面石とハートの石は当時意図して積んだのかと言うとちょっと疑問ですね。 たぶん偶然このように見えるような並びになったのではないかと思いますが 縁起が良いと言われるのであれば素直にそう思って探す方が楽しいですよね るの門 埋門になっていて、石垣の中を通る狭き門です。 大手口から天守への最短距離での抜け道になっています。 かつてはここに門扉があったことが判る礎石が見られます。 石垣の中に吸い込まれそうな道です。 継ぎ目のある石垣 この継ぎ目の右手が羽柴秀吉の築いた石垣で、左手が池田輝政が築いた石垣です。 縄張りは秀吉時代のものを引き継ぎ、池田輝政が増築しているのが判ります。 一周して三国堀、菱の門まで帰って来ました。 三の丸(御居城) 広大な三の丸御殿があった場所で、藩政の中枢でもありました。 この日は姫路城マラソンが開催されていました。 帯郭櫓 扇の勾配を持つ高石垣で、備前丸西側の石垣と競う高さを持っています。 中堀 かつては上山里曲輪めで堀が入り込み、船溜として利用されていました。 この日は姫路城マラソンの日で、道路や城内は一部規制が入り、好古園の方へは行けませんでした。 しかし、このマラソンの規制があるということで城内は日頃より空いていて 訪れた目的の特別展である小天守群をじっくり見ることが出来たのでむしろラッキーでした。 攻城団で団員さんたちからのアドバイスや、「城がたり」でこうの団長さんやコースケ副団長さんにも アドバイス頂いていたおかげで目星を付けて攻城出来たので教えて頂いた方々に深く感謝です。 それにしても、今回で4回目の登城となったのですがこれまでこんなにしっかり じっくり見たことがなかったので、こんなにもいっぱい見どころがあったのに 私は今まで何を見て来たんだろうと、そしてまさか4回も訪れるなんて思ってもみませんでした。 子供のころに憧れた姫路城は、何度訪れても飽きることのない魅力的なお城であることは ずっと変わらないなあと思いました(^^)v やっぱり、姫路城は凄い! 昭和57年3月登城 平成19年1月再登城 平成26年5月3日再登城 平成31年2月24日再登城 城めぐり手帖「現存天守編」 ~自分だけのトラベルノート萩原 さちこ技術評論社 close

姫路城(兵庫県)
サイト名 むぎの城さんぽ
タグ 百名城
投稿日時 2019-04-09 16:20:02

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