伊予松山城本丸・太鼓門前のソメイヨシノ桜が撤去の詳細

伊予松山城本丸・太鼓門前のソメイヨシノ桜が撤去
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記事タイトル 伊予松山城本丸・太鼓門前のソメイヨシノ桜が撤去
概要

伐採される、伊予松山城本丸・太鼓門前のソメイヨシノ桜(平成31年3月24日撮影)  誰が誰のためにおこしたのか大東亜戦争は、無条件降伏で昭和20年8月15日、終戦を迎えた。国民はただ黙って歯を食いしばり荊の道を歩み復興に努力し、記念に全国各地にソメイヨシノ桜が植えられてきた。その…… more ソメイヨシノ桜が天寿を迎えようとしている。 この度、伊予松山城本丸にある太鼓門前のソメイヨシノ桜が伐採撤去されることになった。撤去されるソメイヨシノ桜は、松山大空襲、昭和20年7月26日午後11時08分に始まり翌27日午前1時13分頃まで約2時間余りB29、120機の爆撃で投下された焼夷弾896トン(米軍資料による)で一夜にして松山の街は焼け野原と化した。松山城は攻撃から外されていたそうだが誤って焼夷弾が投下された。その一つの焼夷弾が、国宝であった太鼓門に投下され焼失した。昭和47年創建当時の設計図に基づき復元され、その記念に太鼓門前にソメイヨシノ桜を植えた。松山城本丸には沢山の桜があるが、筒井門・太鼓門・紫竹門各門の前にあるソメイヨシノ桜が松山城本丸3大桜である。  松山城本丸の一翼を担ってきた太鼓門前のソメイヨシノ桜、平成時代最後の輝きを見せた。残念に令和の新時代を迎えることが出来なかった。 松山は、本日4月4日から松山お城まつりが始まった。 画像の様に除去の説明が掲示してある。 伐採の理由は、ソメイヨシノ桜の樹勢が弱り倒木のおそれがあり観光に来られた方々に怪我が出ることを恐れての撤去である。 樹木調査中とある。 樹の中はかなり厳しく腐食が進行している。何らかの理由で枝を切り、切り口に腐朽菌防止剤を塗らなかったので腐れ込みが進行したのでは?これは管理不行き届きで短命となったのでは?です。切り口には、墨汁を塗布するといいようです。切り口から雨が入って雑菌などで腐るのを防止するためだと思います。桜は特に腐朽菌によります枝条の腐れ込みが激しいのです・・とある。 倒木防止の支えぎが施されている。 倒木防止の支えぎが年毎増えた。 平成最後となる花芽は開花寸前であった(平成31年3月24日撮影) 太鼓門内側から見たソメイヨシノ桜で、太鼓門は昭和10年5月13日、国宝に指定されたが、昭和20年7月26日、サイパン・イスレイ飛行場の米軍第73爆撃団所属の空飛ぶ要塞、B-29、120機が飛来し焼夷弾が投下され松山の城下町は一夜にして焼け野原と化した。米軍の資料によると896トンの焼夷弾を投下とある。但し、松山城は攻撃から外されていたそうだが誤って焼夷弾が投下され太鼓門は焼失した。 現在の太鼓門は、昭和47年創建当時の設計図に基き復元された。その時にソメイヨシノ桜を記念に植栽したのでは?そうであれば樹齢47年老木になるには早すぎる。手入れが行き届かず、病魔に侵されたのか??残念である。   3年前の太鼓門前のソメイヨシノ桜。沢山の花を開花させ観光客を出迎えた。 平成23年から松山城照明灯を水銀灯からLEDに変更工事を行い消費電力の削減を計画、同年4月からLEDに変更し松山城ライトアップイベント「光の城」ではLEDによる初めての4色のライトアップを可能にした。LEDでのライトアップは、愛媛県内で松山城が初めてであった。毎年、8月13日・14日お盆で故郷に帰郷した方、県外から観光に来られた方々をお迎えするお持て成しの心を篭めて松山のシンボル「松山城」本丸にある天守をはじめ櫓・城門・石垣に照明をあてて光の城として松山城に観光に来られた皆さんに楽しんで頂く特別企画を本丸広場で行われている。太鼓門前のソメイヨシノ桜にも電飾が取り付けられた。 平成24年4月6日撮影の太鼓門前のソメイヨシノ桜、何時ものように花を咲かせた。 平成31年3月30日撮影の太鼓門前のソメイヨシノ桜で満開には少し時間がかかる。松山城は最近外国人の観光客が増えた。 昨日、平成31年4月4日、撮影の太鼓門前のソメイヨシノ桜で8分咲きであった。 昨日、平成31年4月4日、撮影の太鼓門前のソメイヨシノ桜。 3年前と比べると樹勢が弱り花の付きが少ない。元号も改元され最後の輝きを見せる伊予松山城本丸・太鼓門前のソメイヨシノ桜。 今季花が散ると伐採される太鼓門前のソメイヨシノ桜、観光に来られた観光客、記念に写真を撮っていた。昨日、4月4日撮影。 これからは青森県弘前市、弘前城のソメイヨシノ桜を紹介する。平成20年5月9日伺い、弘前市観光協会所属の弘前城観光ガイドさんに紹介して頂いた。右の方がガイドさんで、松山から来るとの事で一番詳しいガイドさんが付いて案内して頂いた。この時既に天守は傾いていた。 弘前城のソメイヨシノ桜の説明板で、日本最古のソメイヨシノ桜、樹齢137年、私が伺った時は、平成20年5月9日だから樹齢127年の時撮影です。 弘前城には樹齢100年を超すソメイヨシノ桜が300本以上ありその一つに樹齢137年のソメイヨシノ桜が元気で育っている。 今年樹齢137年の弘前城のソメイヨシノ桜。撮影は、平成20年5月9日で、桜祭りは大混雑するので祭りが終わってから伺いました。桜は葉桜でしたが弘前城のソメイヨシノ桜は元気でした。弘前城のソメイヨシノ桜は樹木医が管理をしていていた。 東京では、寿命が短く病気に弱いソメイヨシノ桜に代わり、公益財団法人日本花の会では、平成21年からソメイヨシノの苗木の販売・頒布を中止し、替わって、てんぐ巣病に強く、開花時期が近く花がソメイヨシノに類似するジンダイアケボノへの植え替えを推奨しているそうです。 神代曙(ジンダイアケボノ)染井吉野(ソメイヨシノ)と同じ親のオオシマザクラとエドヒガンの交配種で、花は中輪、一重咲きで淡紅色。開花期は4月上旬。花弁に部分的に濃いピンク色がのこる姿が素敵です。 神代曙(ジンダイアケボノ)は、東京 調布市の神代植物公園で生まれ、西田尚道氏が東京都調布市(神代植物公園)にあった個体から発見した品種で、各部にエドヒガンの特徴が見られ染井吉野(ソメイヨシノ)の代わりに植えることを推奨されているのが、この”神代曙(ジンダイアケボノ)”です。・・とある。 東京国立劇場のジンダイアケボノ桜。 昭和8年、今上天皇が皇太子として御生誕されたことを祝し、そのころ「大学町」と呼ばれていた現在の大学通りの住民たちが「国立町会」という会を結束し、昭和9年から翌年にかけて大学通りの両側の緑地帯へ、当時の谷保村の青年団と一緒に桜の木々を植樹したのが始まり。それから86年を経た今年、「平成」の時代がそろそろ終焉を迎えようとしていますが、くにたちの大学通りの桜は今年も美しい花々を咲かせているが、平成26年頃から183本に内33本をジンダイアケボノ桜に植え替えたとTVで放映された。その内ソメイヨシノ桜に代わって、ジンダイアケボノ桜になっていくのでしょうか?桜の植え替えは、苗木の植え替えでなく桜は連作が出来ないので、先ず土壌の入れ替えから行わなければならず大変な作業と費用がかかるとの事です。 平成最後の松山お城まつりは、4月4日(木曜日)~4月7日(日)まで開催される。   close

伊予松山城本丸・太鼓門前のソメイヨシノ桜が撤去
サイト名 EEKの紀行 春夏秋冬
タグ 伊予松山歴史散策
投稿日時 2019-04-05 15:00:02

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