駿河 興国寺城  早雲旗挙げの城の詳細

駿河 興国寺城  早雲旗挙げの城
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 駿河 興国寺城  早雲旗挙げの城
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駿河 興国寺城 (静岡県沼津市根古屋赤池・篠山)<国指定史跡 >【続日本百名城】【静岡マラソン2019と迎えてくれた駿河の城・覚書その⑤】静岡マラソンにて見学することができた駿河の諸城の覚書・5回目です。今回は長年の憧れだった北条早雲旗挙げの城、興国寺城への念願の訪問です。ブロ友…… more のしんこうさんが先だって興国寺城を見学されていましたので想いは募るばかり。『しんこうさんの趣味のブログ』も是非ご覧になって頂ければと思います。しんこうさんの記事は感性が豊かで、とても旅情に溢れた内容です。お城はもちろん、城をとりまく街の風景や風物、城下の雰囲気も伝わってきます。自分がブログを立ち上げるにあたって、今でもモデル構成を参考にさせていただいてます。南向きに展開する興国寺城本丸の様子。興国寺城の構造は本丸より南に二ノ丸、三の丸と続く連郭式城郭です。さらに本丸北には北曲輪、その東側には清水曲輪が配置されています。当時の絵図と見比べると本丸以外はほぼ削られ、或いは埋められ旧状は損なわれている様です。主な城主としての天野康景(左)と北条早雲(右)の石碑。北条早雲(当時は伊勢宗瑞)は、妹婿・今川義忠が文明8年(1476)に戦死した後、今川氏親の家督相続争いをまとめた功にて興国寺城主となりました。 早雲は後に伊豆国に韮山城を築いて居城を移しました。その後、今川義元によって、興国寺城は本格的な城郭へと改修されます。今川義元が織田信長に討たれると武田氏と北条氏が駿河国に侵攻し興国寺城を落とします。元亀2年(1571)、武田氏と北条氏は和議を結び、武田氏の穴山梅雪の家臣が城主となります。今川・北条・武田・徳川の間でめまぐるしく城主が変わっていきます。武田氏が織田氏に滅ぼされると徳川家康の所領となります。牧野康成、松平清宗、そして豊臣家での中村一氏の臣・河毛重次と変わります。関ヶ原合戦後、天野康景が藩主となりましたが・・。康景は百姓を殺害した家臣の引渡しを拒み、その裁定に不満を募らせて出奔しました。康景は家康の三河時代からの譜代の忠臣で、本多重次、高力清長と共に三河三奉行と称されます。「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」と評価されてます。(清長は寛大、重次は剛毅、康景は慎重) 「直きをまげて曲れるに随はん事、素懐にあらず」(正しきを曲げて間違った事に従うのは、自分の常の心掛けと異なる)この事件には色々ないきさつがありますが、康景の信念だけは偽りない真実なのでしょう。本丸の三方(西・北・東)を取り囲む高土塁にあがります。 伝・天守台から稜線が如く延びる高土塁。「土塁」というより山尾根の稜線をそのまま削り残したようです。登り上がるのにも一苦労、これを「土塁」と言い片づけていいものでしょうか?自分には巨大な「山塁」として映りました。天然の侵食谷を利用したものでしょう。土塁の中央に据えられた本丸の伝・天守台。伝・天守台には南面に存在感ある石垣が組まれています。伝・天守内部には礎石群も確認できます。伝・天守台から見下ろす背後の大堀切。北側直下の背後は大空堀で遮断されています。この伝・天守台は大空堀に対して張り出した形になり、堀底に対して横矢掛けが効いています。かなりの土木普請量が感じられる見所の一つでしょう。・・余りの開放感に少し遊んでみたくなりました。ちょっとやってみたかったので・・。駆け上がったり・・。飛び跳ねたり、と羞恥心無きセルフショットがエスカレートしていきます(;^ω^)いい大人がバカげたなマネをしてゴメンナサイ。夢にまでみた興国寺城での土塁上トレランやるのが念願でして・・。但し、遺構を痛めることだけはしていませんので片眼をつむって頂ければ幸いです。・・さて、それでは堀底に行ってみたいと思います。伝・天守台を弧状に取り囲む様に掘り込まれた素晴らしい大堀切。堀底にある3つの穴は・・?、・・何でしょう、不思議です。ローム地層を切通した深い~い堀底でした。最後は石碑でお別れです。以上、超特急でしたが、j城内をあちこちを走り回ってみました。走り回った割には肝心なところをかなり見落としているかもしれません。でも憧れていた城で、マラソン大会前日のいい調整ジョグもできました。このはしゃぎざま、城好きの皆さんならおわかりいただけますよね??Ⓢには広い駐車場が用意されています。Ⓖは本丸の伝・天守台付近です。むやみに走ったりせず、ゆっくり散策してみましょう。(お前な) close

駿河 興国寺城  早雲旗挙げの城
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 駿河の城めぐり
投稿日時 2019-03-19 01:40:02

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