加徳城 : 海峡の入口を守る小島に築かれた城。の詳細

加徳城 : 海峡の入口を守る小島に築かれた城。
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記事タイトル 加徳城 : 海峡の入口を守る小島に築かれた城。
概要

半島南部の重要拠点だった加徳島と海峡を守るべく、加徳島のすぐ北に隣接する訥次島(ぬるちゃ)という小さな島の頂部に築かれた城。訥次島に築かれていることから訥次倭城とも呼ばれる。山頂部全体が開梱および植林(松)され、ごく一部の石垣遺構等を除きどこまでが当時の姿なのか分かりづらい状態に…… more なっているものの、半島との間の細い海峡を見張るには絶好の立地であることが感じられる。冬場で山火事防止のため立入りが制限されていたらしく、途中で監視員がやってきて退去させられたが、主要部の石垣は見ることができた。 <基本データ> ●名称:加徳城 (訥次倭城) ●所在:釜山広域市江西区 (地図) ●城主:小早川隆景ら ●築城:文禄二年 (1593) ●遺構:石垣 ●時間:1時間 (9:00−10:00) ●情報:倭城 訪問時期:2018年11月 ●続・倭城めぐりの旅 [2018] – 熊川/泗川/順天/長門浦/東莱/加徳/金海竹島 ●倭城めぐりの旅 [2017] – 安骨浦/釜山母/機張/西生浦/蔚山/永登浦/松真浦/長門浦/梁山/亀浦 <訪問記> かつては半島南部から細い海峡を挟んだ孤島だった加徳島および訥次島だが、現在は加徳橋でつながっている。右奥の白い建物(教会)の奥に見える小山が倭城跡だ。回り込むように坂道を上がっていく。 途中で説明板を発見。紛らわしいのは、この説明板の裏側にある山ではなく、説明板の向いている先にある山が倭城跡だということ。最初は間違えて、説明板裏の方の山に登ってしまった。 訥次倭城 説明板。訥次は英語表記では Nulcha(ヌルチャ)と読むが日本語で読むと「とつじ」か。訥の字はあまり使わないけど「朴訥(ぼくとつ)」の「とつ」の字。 以下 説明板 概要→「大同江と咸鏡北道まで進撃し全国を荒廃させた日本軍が、義兵と補給不足で南下し洛東江と南海岸を通じる戦略的要所を掌握するために加徳島に築いた城。安骨浦城や金海竹島城を支援する役割を持ち、1598年の撤退時まで日本軍が駐屯していた。訥次倭城は加徳新城から1.5km離れた北の訥次島にある倭城で、標高70mの山頂を削平し周囲に石垣を構築、その外側にも土塁を持つ曲輪を持つ。主郭部の石垣の一部が残るものの、城跡の殆どは耕作地となった。」 では改めて加徳城を目指そう。正面の山、右側頂部の削平されているあたりが主郭となる。左奥に見えている陸橋が、朝鮮半島と訥次島・加徳島を繋ぐ加徳橋。 城跡は、説明板にもあったとおり、殆どが耕作地となっている。山頂まで道が続いているものの、耕作のために作られた道かも知れない。 このあたりもすでに城跡だったのだろうが、よくわからない。 山頂部手前の尾根道まで出てきた。正面は畑になっており、小屋もある。倭城を歩くによると正面畑のあたりも南西曲輪群と書かれているが、完全に畑で、このあたりの韓国人は英語も全く通じない可能性が高いので見に行くのはやめておこう。 尾根にあがって右側を見る。柵に囲われた奥の頂部が主郭のようだ。 柵に沿って奥へ。 頂部へ上がる石段があった。石段の上には小さく積み上げられた石の壁。明らかに当時の石垣ではないし、私有地っぽい雰囲気がすごいので、とりあえずスルーして外周部を更に先へ進んでみる。 柵も終わり、斜面外周にゴロゴロと石材が散らばり始めた。当時の石垣の残骸だろうか? ここで視界が開け、頂部の削平地へと続く道が出てきた。石垣らしいものは見当たらない。道らしいのはここまでで、この先は斜面になっていたので、ここから上へあがってみる。 頂部の削平地は一面の植林されたての松林といった様相。数年後には松が育ち全く見えなくなるかもしれない。松林の中を外周に沿って歩いてみよう。 外周部はなんとなく盛り上がっている気もしないでもないが、一面植林されていて、よく分からない。倭城を歩くによると石垣が一部現存するということだったので、外周に沿って歩いて探す。細い海峡を見張る位置にあった加徳城だが、登城時はあいにくの濃霧で、半島はおろか海峡すら全く見えず。 しばらく外周に沿って奥へ進むと、斜面奥に石垣らしきものが見えてきた!削平地の端ぎりぎりまで植林されているので非常に進みづらいが、石垣の方へと向かう。 おお、石垣と折れが見える!上からだと見えないので、斜面へ降りてみる。斜面は湿っておりまた11月末とはいえこのヤブ感。冬場以外は全く降りられないかも知れない。 石垣に近寄ってみよう。開墾地に似つかわしくない、ゴツゴツした割石が積み上げられている。折れの凹部は崩れたように失われているが、折れの先の隅部はバッチリ残っている。 加徳城 主郭に残る石垣。土を削って整備すると、あと2段ぐらいは石垣が出てきそうな雰囲気だ。 石垣アップ。これだけしか無いけれど、逆にこれだけしか無いので到達したときの感動は計り知れない。石材は似ているが、近くの安骨浦城(脇坂安治ら)や熊川城(小西行長)とは石垣の積み方が少し違う印象。倭城は多くの戦国大名がそれぞれの技術で築城しており城により構造や雰囲気が異なるケースも多い。 少し斜面を降りて俯瞰しようとすると、見えなくなってしまう。夏場は全く見えなくなりそうだ。 角度を変えて俯瞰に挑戦するも、これぐらいが限界か。この一角にしか石垣は現存していないようだが、当時はこういう石垣がぐるっと全周巻いていたのだろう。 斜面をそのまま奥へ進み、隅部辺りまで来てみたが、もうこれ以上石垣は見当たらなかった。このすごいヤブの中には埋もれているかも知れないが。   再び主郭の上にあがって、上から石垣が見えないか散策。石垣の上端(天端)とも思える石材がヤブの隙間から頭を出している。 ウロウロしてみたが、これぐらいが限界のようだ。残念。 なおこの主郭の北側には、小さな頂部があり、そこにも北側曲輪と呼称される場所もあるようだ。おそらくあれだろう。その間は完全に森状態で、訪問を断念。 その後、山頂部分を散策していると、ユニフォームを来た韓国人のおばちゃんが登場。何かしゃべっているが、英語が全く通じず、何を言っているのか分からない。どうやら撤退しろということを言っているようなので、一緒に下山しながら、何を言っているのかアプリを駆使してなんとかコミュニケーションを図るも、全く要領を得ない。おばちゃんは山麓にあるこの小屋までやってきて、なぜかここでコーヒーを入れてくれた。小屋の前にある文字を翻訳アプリで見てみると「山火事監視警戒所」!韓国は乾燥して冬場は山火事が多く、冬季は規制される山があると聞いたことがあるが、ここもそのうちの一つだろうか。ただ山頂は畑仕事をしている人もいたので、禁止というわけではなく、大量の外国人が訪れたので連絡が行ったのかも知れない。 下山して山麓から城山を見上げる。小さな訥次島の北端にある小山の上。あんなに濃霧がきつかったが、降りてくる頃には晴れ始めた。 訪問時期:2018年11月 撮影機器:FUJIFILM X-A3 + XF10-24mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る close

加徳城 : 海峡の入口を守る小島に築かれた城。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 倭城
投稿日時 2019-03-11 01:40:02

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