第317回:小田原城(謙信や信玄をも退けた後北条氏の居城)の詳細

第317回:小田原城(謙信や信玄をも退けた後北条氏の居城)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第317回:小田原城(謙信や信玄をも退けた後北条氏の居城)
概要

訪問日:2017年3月小田原城は神奈川県小田原市あったお城です。戦国時代 関東の覇者として名を馳せた後北条氏の本拠地であり名城と知られるこの城は国史跡に指定され日本100名城にも選定されています。元々は扇谷上杉氏に属する大森氏が15世紀半ばに八幡山に築いた拠点が前身とされます。1…… more 5世紀末に伊豆より進出してきた北条早雲により攻略され,以後 100年間にわたり北条氏五代の本拠地として機能しました。北条氏康、氏政の時代 1561年には長尾景虎(上杉謙信),1569年には武田信玄によって小田原は攻撃されました。この二大戦国武将とも言える両者の攻撃を退けたことからも,当時の小田原城の堅城ぶりは想像に難くありません。ところが,1590年 豊臣秀吉による小田原征伐では圧倒的な物量の前に開城を余儀なくされ北条氏は滅亡してしまいます。この時に迫り来る秀吉軍に対抗するために全長9kmにわたる総構えが完成したと言われています。江戸時代には大久保忠世・忠隣親子の前期大久保時代,大久保氏改易後の番城時代,稲葉正勝が入城後の稲葉氏時代を経て近世城郭への改修が進み現在の姿になっていきました。稲葉氏の後は1686年大久保氏が復活し大久保忠朝が入り明治維新まで大久保氏の治めるところとなりました。  ●現在,城址公園として整備されている本丸,二の丸エリアの正面入り口にあたる馬出門と二の丸東堀です。手前に見える平櫓は二の丸隅櫓です。関東大震災までは現存していたそうですが倒壊後の1934年に木造で復興されています。●2009年に復元された馬出門。馬出として二の丸の外側に配置された馬屋曲輪への入口となり枡形構造となっています。現地にあったイラスト。二の丸へは馬出門,銅門 二つの枡形を抜けていくことがわかりますね。こちらはもう少し全体的な城址公園の案内板です。右側が正面入口になります。  ●馬出曲輪内部。奥に見るのは南隅に残る櫓台跡。地表面には建物跡や井戸跡がわかる工夫がなされています。北西側は御茶壺曲輪に続きますが,二の丸へは銅門の枡形に向かう必要があります。●馬出曲輪と二の丸の間に残る住吉堀です。  ●住吉橋で住吉堀を渡って銅門の枡形に侵入します。●二の丸の入口にあたる銅門(あかがねもん)。1997年に復元されました。  ●銅門の枡形内部です。●銅門の礎石とされる石が門の横に展示されています。  ●だだっ広い広場となっている二の丸は江戸時代には政庁や藩主居館があった実質の中心部でした。ガイダンス施設の小田原城歴史見聞館もここにあります。●二の丸から本丸方面を臨みます。  ●菖蒲園となっている本丸東堀。●本丸の入口となっている常盤木門は1970年の復元の櫓門で,もちろん枡形構造になっています。  ●常盤木門を抜けると天守が姿を現します。1960年にコンクリートで復興されたものですが,町のシンボルであります。休日なので写真にどうしても人が入ってしまいます。●天守の内部は資料館になっていますので入ってみましょう。  ●この復元模型は近世版なので三の丸くらいまでですね。大外の惣構えは無し。●葵の御紋の瓦。城内に将軍や幕府に関係する施設があったと考えられます。  ●天守よりの眺望。こちらは戦国時代初期の中心部であったとされる八山古郭方面です。●こちらは豊臣秀吉が小田原征伐で築いた石垣山城方面。  ●天守の東側にある御用米曲輪(ごようまいくるわ)。礎石建物跡や庭園跡が見つかっています。これらは戦国期の遺構で,北条時代の中心的な居館があったと推定されています。●天守の西側。切岸になっており戦国期を彷彿とさせる光景です。  ●本丸と小峰曲輪の間に残る空堀は現在は分かりにくいですが内部が仕切りで区切られた障子堀であったようです。これも北条時代からの名残を感じさせる遺構です。●小峰曲輪のあった場所には二宮尊徳を祭る報徳二宮神社があります。  ●小峰曲輪から二の丸南西外側の三の丸を進みます。堀越しに見えるのは南曲輪で現在は小田原市立図書館等が建っています。●こちらは先ほど中を通った馬屋曲輪の外側です。ここからは三の丸に残る遺構を見ていきます。  ●幸田口門跡の横に残る土塁です。当時は駐車場の部分が堀でした。●こちらは大手門跡。僅かに櫓台の石垣が残され上に鐘つき堂が建っています。  ●JRの線路を渡った先にある八幡山には,八幡山古郭の遺構が広がっています。戦国初期の中心部であったとされ,後期には北条氏直に家督を譲った北条氏政が在したとも言われます。特にこの東曲輪は公園整備もされており,向かいの本丸天守からも良く見える部分です。●八幡山古郭 東曲輪から天守を眺めます。次に現在は大部分が小田原高校の敷地となっている八幡山古郭の中心部を見ていきましょう。  ●小田原高校の敷地内に残る本曲輪の土塁。●こちらは西曲輪の虎口付近に築かれたとされる三味線堀があった場所です。  ●ここからは全長9kmに及ぶ惣構えの遺構を探索します。まずは城域の東部に残る蓮上院土塁です。中世に築かれた土塁の一部には太平洋戦争という近代の戦闘で爆弾が着弾した跡が残るという珍しい場所です。●北部に残る屈曲した地形は惣構城下張出。ここは横堀跡で切岸の上には平場と呼ばれる削平地が残ります。惣構えの中でももっとも有名な遺構である小峰御鐘ノ台大堀切の案内板です。単に小峰の大堀切とも呼ばれ西堀,中堀,東堀の三本の大きな堀切が展開されていたことがわかります。  ●これは特に堀切と土塁の落差を感じることが出来る東堀です。●見よ! この横矢のかかった屈曲。  ●中堀は道路になっているのですが,やはり屈曲した形状が堀切であったことを感じさせます。●これは東堀と中堀の間に残る空間。土塁が残り,ここから堀切に落ちた敵を射撃したと思われる場所です。  ●こちらは西堀です。最近整備が進んだような雰囲気で見やすくなっていました。●最後に城域の西部に残る早川口遺構にやって来ました。二重戸張(ふたえとばり)と呼ばれ二重の土塁と堀で防御していたそうです。現在は少し分かりにくくなっていますが写真の様に外側の土塁は良く残っています。関東戦国史を語る上で欠かせない名城中の名城。現在の城址公園では主に近世に整備された姿を見ることができるのですが,町中に北条氏の名残である中世城郭遺構が残り,すべて見て回るには丸一日を覚悟しなければいけません。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへにほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第317回:小田原城(謙信や信玄をも退けた後北条氏の居城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 神奈川県の城郭
投稿日時 2019-03-09 17:00:04

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