第310回:中津城(黒田官兵衛が築いた屈指の水城)の詳細

第310回:中津城(黒田官兵衛が築いた屈指の水城)
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第310回:中津城(黒田官兵衛が築いた屈指の水城)
概要

訪問日:2017年1月中津城は大分県中津市にあったお城です。羽柴秀吉の名軍師である黒田官兵衛(孝高,如水)の築城で知られるこの城は県史跡に指定され続日本100名城にも選定されています。また,中津川の河口に築かれ海水を堀に取り込んだ縄張りの城としてしられ日本三大水城の一つとされます…… more 。1587年 黒田官兵衛は豊後国に所領を得て馬ヶ岳城を居城としましたが,山城であり城下町を発展のため1588年より平野に中津城の築城を開始しました。1600年 関ヶ原の戦いでは東軍につき中津城より九州の西軍勢力を攻めました。息子 黒田長政も東軍方として活躍したことから黒田氏は加増を受け名島城に移りました。次に中津に入ったのが細川忠興で,細川氏の時代に現代に見える姿への拡張が完了しています。1632年 熊本城に移った細川氏に代わり入ったのが小笠原長次。1717年小笠原氏が無嗣改易となった後は奥平昌成が入り明治維新まで奥平氏が同地を治めることになりました。  ●正面の中津神社の大きい鳥居のある入口は後世に開けられた入口です。中津城本丸にはこの他にも複数の神社があり駐車スペースも十分です。●正面入り口の前に復元された水堀と石垣があります。戦後に石垣の上半分は取り壊され,堀も埋められ石垣の下半分も見えなくなっていたそうです。掘り起こされ現在見ることのできる石垣の下半分(黒っぽい部分)が黒田時代の物です。  ●現代の入口により断ち切られた石垣と堀の部分で石垣断面を見ることが出来ます。外側(左)から内側(右)に向かって石垣を増築していった跡が確認でき,外側より見える部分は古い時代の石垣ということです。●入口の西側もきれいに復元されています。  ●この櫓台跡にある野面積みの石垣は典型的な黒田時代の物で近江の石垣職人集団であった穴太衆による穴太積みです。●入口から入って少し奥にある三斎池。1620年に隠居して小倉城から中津城に戻った細川忠興は城内の水不足を補うために山国川より水をひきこの池に溜め,同時に観賞用にもなりました。忠興の号である三斎にちなみ山斎池と名付けられています。  ●現代の入口付近にある中世館と寺院跡。中津城築城前には二重の溝と土塁で囲まれた中世館があったそうです,小規模であるものの城郭に定義され得る城館があったということでしょう。また,黒田時代には寺院があり,細川時代に寺院は二の丸に移ったことにより消滅したことがわかっています。●東側に開いたこちらが本来の正面入口に当たる椎木門跡です。当時の様子を描いたイラストの”現在地”に椎木門が描かれており,枡形虎口になっていることがわかります。現在の正面入り口はこの図でいうと本丸の南辺にあたる部分に後世に開けられたものです。幕末の絵図によると枡形虎口のさらに扇形の石垣が築かれ,進路を制限していることがわかります。  ●この石垣が扇形の石垣の一部が残ったもので,上手ですと赤四角で囲われた側面の入口です。●中心部に向かうと豊前の国のお伊勢様として親しまれる中津大神宮があります。  ●城内には中津城で謀殺された城井鎮房(きいしげふさ)を祀った城井神社もあります。名門宇都宮氏の一派である城井鎮房は一度は羽柴秀吉に服従するも反旗を翻すなどし,秀吉の指示もあり両国経営における禍根を断つため黒田長政は手段を選ばない騙し討ちをすることになりました。●奥平歴史資料館となっている模擬天守に入ります。中津城の天守は江戸時代の絵図にも無くそもそも無かったという説も有力ですが,1964年に萩城の天守を参考にして建てられました。手前にある奥平神社は藩主であった奥平氏を祀っています、  ●天守の内部では奥平氏ゆかりの展示を見ることが出来ます。●長篠の戦い前夜に長篠城で武田氏の猛攻をしのぎった奥平氏だけに長篠の戦い関連の展示が多いようです。  ●天守よりの眺望,南側に広がる城下町。●北側には中津川の河口が広がります。  ●本丸の東から北を巡る薬研堀。断面がV字になっている堀を薬研堀と言います。水城だけにこの堀の水は潮位によって水位が変わります。●堀の中に見える輪は中津祇園祭で使われる祇園車の車輪で,祭りの後には外して埋めておくと虫食いや風化が防げるそうです。  ●先ほど上った模擬天守。この瞬間だけ天気が晴れて中々良い写真が撮れました。●北側に回り込むと黒田時代の石垣と細川時代の石垣の境界線を見ることが出来ます。一見加工石を使った右側の方が新しいと思うのですが,黒田官兵衛は築城の際に付近にある古代山城である唐原山城(とうばるさんじょう)の神籠石(こうごいし)を持ってきて再利用しています。この神籠石は加工石で逆に左側の新しい時代の細川時代の石垣は自然石を使用した野面積みです。  ●中津川沿いまで回り込みますと,黒田官兵衛が古代城から持って来た神籠石による素晴らしい石垣を見ることが出来ます。●神籠石の先にあるのが鉄門跡。現在は埋められている者の川から直接本丸に繋がる珍しい構造です。  ●本丸南西に開く水門跡。開口部には特徴的な縦長の石材を配置してアクセントとしています,これは立石と呼ばれる見せるための工夫です、●ここから本丸外から外郭に向けて残る城郭遺構を見ていきましょう。再度,大手筋の椎木門から南東に向かうと三の丸から二の丸への入口であった黒門跡があります。この手前には内堀続きがあったはずです。  ●さらに大手筋を下りますと南部小学校の前に残る大手門跡。当時は三の丸の東隅にあたり枡形虎口で矢倉門が建っていました。外から侵入した場合,現在の道路は直進していますが,この場所で右に屈曲していました。●大手もなとから道を挟んで斜め向かいの南部公民館の場所には御用屋敷がありました。現在は埋め戻されていますが,江戸時代の陶磁器などが大量に出土しました。また,大手門の前を流れていた堀(中堀)も検出され石垣とともに復元されています。  ●南部小学校の校門となっているのは生田門(しょうだもん)は貴重な現存建築物で家老であった生田家の門でした。明治維新後は西日本有数の英学校である中津市学校の校門にも使用されていました。その後,移設や解体修理といった変遷を経て今の場所にあります。●三の丸の西の端に来ました。ここに残るのが西門跡です。  ●西門の枡形虎口を形成していた石垣が残っています。●こちらは西門のさらに西にあった小倉口付近。細川時代には三重の堀のうち最も外側にある外堀で囲われたの惣構えとなっていました。このように今でも外堀の名残を水路に見出すことが出来ます。惣構えの外郭部分は都市化によってほとんど消滅してしまったのですが,外堀を示す一部の水路の他にも土塁遺構がおかいこい山という名称で残存しています。  ●自性寺に残るおかこい山。元々は総延長2.4kmに及ぶ土塁であったそうで,ここに6ヶ所の城戸口が設けられていました。最もよく残るこの部分は県史跡に指定されています。また,右側の水路は外堀の名残と言えるでしょう。●寺の内側の様子です。高さは5.5mもあったそうですが,今でもその規模を感じることが出来る場所です。広大な惣構えを表した案内板で6ヶ所城戸口も示されています。次に向かうのは金谷口です。  ●こちらは金谷口に残るおかこい山で市史跡に指定されています。丁度JR日豊本線の線路の部分が外堀と重なります。●線路を超えたところ(惣構えの外側)にあった馬つなぎ石。鉄道工事の時に多数出土したとか。  ●金谷口の外側には城下の拡大に伴って造られた金谷辺と呼ばれる下級武士の武家屋敷がありました。今でも半割玉石と呼ばれる河原石を半分に割った石を基礎とした土塀を見ることが出来ます。●もう一つ残る外堀のおかこい山は鷹匠町にあり,これも市史跡に指定されています。  ●やはり外側を流れる水路は外堀の名残です。●最後にいわくつきのお寺を訪問。合元寺(ごうがんじ)は黒田長政が城井鎮房を中津城で忙殺した時に鎮房の家臣を引き離し殲滅した場所です。返り血で白壁が赤く染まり,何度塗り替えても赤く浮き出すため赤壁にしたと。戦国から明治にかけての有名人が関わったお城です。遺構以前に歴史的に非常に見所の多い城であり町です。秀吉の名軍師として名が甲斐黒田官兵衛が築城し武人としても文人としても名を上げた細川忠興(奥さんのガラシャの方が有名?)が発展させ奥三河の山家三方衆から徳川政権の譜代格に登り詰めた奥平貞能・信昌の子孫が感染させたそして、日本の近代学問に貢献した福沢諭吉(今回は触れてませんが)大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第310回:中津城(黒田官兵衛が築いた屈指の水城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 大分県の城郭
投稿日時 2019-01-19 15:20:01

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