大和 多聞城  松永弾正久秀殿に逢いたくて・・その②の詳細

大和 多聞城  松永弾正久秀殿に逢いたくて・・その②
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 大和 多聞城  松永弾正久秀殿に逢いたくて・・その②
概要

大和 多聞城 (奈良県奈良市多門町・多聞山・現若草中学校) 【年末恒例・城友さんと行く年納め城めぐり紀行その⑥】平山城でも低い部類に入る多聞(山)城。永禄3年(1560)に松永久秀によって築かれた多聞城。松永久秀の大和支配の拠点の一つとして有名な城です。有名な理由として、多聞櫓の…… more 由来となった城、いうのも挙げられます。・・ご存知だと思いますが・・。「多聞櫓」とは、城内の宿舎長屋を櫓としても使えるよう石垣端に建てた施設。後の城郭建築に多大な影響を与えた画期的な建築技法となっていきます。近年に設置された案内版が詳しいです。ルイス・フロイスによりヨーロッパにも、城の天守風建築物の様子が伝えられたといわれます。日本の近世城郭における天守閣の始まりは、この多聞城こそが先駆建築である、とも。信長の安土城にも影響を与えた、という話も本当らしい気がします。城跡は若草中学校の敷地となっています。無断での校内散策はご法度のため今回は周囲からのみの見学です。城の西側は仁正皇太后陵と聖武天皇陵となっているのでここも立ち入りはできません。部分的にはには遺構が残されているそうですが・・、残念です。この石碑があるとやっぱり雰囲気が格段に上がります。元亀三年(1572)、久秀は反・信長包囲網に加わり反旗、多聞城には子の松永久通が籠城します。しかし、天正元年(1573)甲斐の武田信玄が没して包囲網も破綻。多聞山城を明け渡すことで信長に降り、信貴山城へと退きました。信貴山城を見学した後だけに、当時の壮麗な「松永流城郭」を想像したひと時でした。Ⓖは階段横に城址碑が立っている位置で、手前には案内板もあります。駐車場は特にありません。 close

大和 多聞城  松永弾正久秀殿に逢いたくて・・その②
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 大和の城めぐり
投稿日時 2019-01-15 02:20:02

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