前山古城(北東尾根の新城)②の詳細

前山古城(北東尾根の新城)②
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記事タイトル 前山古城(北東尾根の新城)②
概要

三の丸から二の丸・本丸へ(北東尾根の新城) 三の丸(仮に)は南奥に櫓台が見えます。 櫓台を見ています。 三の丸を見返しています。 櫓台の南に二重堀 櫓台を見返しています。 二重堀を越えて二の丸の北先端部 二の丸(仮に)この曲輪にしろ、三の丸においてもかなり広大です…… more 。私は推測ですが武田信玄が佐久攻略のために、前山古城を拡張して新城を築き拠点にしたのではないかと推測しています。裏付ける史料はありませんが。 二の丸の南側に浅い空堀 新城の本丸 前山城主、伴野氏(前山古城は支城と考えられています。) 尊氏と弟の直義の間に、高師直兄弟がからんで幕府内に深刻な対立が起こり、ついに尊氏と直義の兄弟が生死をかかえて争う「観応の擾乱」がはじまった。正平四年(1349)八月、高師直兄弟は直義を討とうとして京都に入った。この師直軍のなかに信濃守護小笠原政長、伴野長房らが加わっていた。対して、直義は南朝方と結ぶなどして擾乱が続いたが、直義は尊氏に降参し、正平七年正月、尊氏とともに鎌倉に入り急死した。一説、兄尊氏によって毒殺されたともいわれる。  伴野長房は南北朝内乱のなかで一貫して尊氏方に属し、高師直と結んで次第にその力を伸ばして、伴野荘の地頭職を掌握するに至ったようだ。そのことは、足利尊氏が長房にあてた「御判御教書」の写からもうかがうことができる。正平八年(1353)、旧直義党が南朝軍と合して六月京都に攻め込んだ。この時、尊氏はまだ鎌倉にあり京都は義詮が守っていた。この戦いに義詮は京都神楽岡に陣をとり、伴野長房は義詮に属して戦い討死、敗れた足利勢は近江に退いた。 伴野氏、二系に分かれる  長房の討死後の長房系伴野氏の動向については明らかではないが、長房が戦死してから三十九年後の元中九年(1392)八月、将軍足利義満の相国寺落慶供養にの先陣随兵に伴野次郎長信の名が見出せる。この伴野長信を若狭守護代小笠原長房とする説もあるが、おそらく長房の子にあたる人物とであろうかと考えられる。  ついで、相国寺落慶供養から七十三年後の寛正六年(1465)、信州伴野弥四郎貞棟が将軍足利義政に上総介受領を願いで出て、受け付けられて、同人から礼物が差し出されたことが、室町幕府政所代蜷川親元の『蜷川日記』に記されている。この貞棟こそ長房の系統を継いだ者と思われ、伴野氏の嫡流は在京して奉公衆を務めていた。一方、伴野荘の在地における伴野氏の活動をみると、伴野上総介貞棟と同時代に、前山城主伴野光利がいたことが知られている。  前山城は伴野時長の子長朝が築き、数代続いて時長十代の孫伴野光利が相続し、子孫相続して戦国時代に至ったことが『洞源山貞祥寺開基之由」に記されている。そして、前山城主伴野氏は時直─長泰系とは別で、時直の弟で佐久郡跡部に住した跡部長朝系ということになる。これによれば、室町時代には伴野荘に、長房系と跡部長朝系の二人の領主が存在していたことになる。  文明三年(1471)信州国人伴野上総介貞棟が将軍足利義政に太刀一腰・銭十貫文を贈っているが、これは上総介推挙に関する謝礼であろう。また貞棟は松原神社に寄進をしており、十五世紀中期において伴野荘に勢力を持っていた人物であることは疑いない。そして、この貞棟と同時代に伴野荘に存在した前山城主光利との関係の位置付けが困難となっている。先述のように光利は跡部長朝系と思われ、伴野長泰・長房系の貞棟とは系統の異なる伴野氏であった。室町時代の伴野荘には、二系統の伴野氏が存在していて、貞棟は野沢館に住していたものと考えられている。武家家伝ー伴野氏より close

前山古城(北東尾根の新城)②
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー信州
投稿日時 2019-01-10 03:00:01

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