第307回:佐伯城(江戸時代初期に築かれた総石垣造の山城)の詳細

第307回:佐伯城(江戸時代初期に築かれた総石垣造の山城)
こにるのお城訪問記
ページの情報
記事タイトル 第307回:佐伯城(江戸時代初期に築かれた総石垣造の山城)
概要

訪問日:2017年1月佐伯城(さいきじょう)は大分県佐伯市にあった城です。読み方は“さえき”ではなく“さいき”。続日本100名城に選定されています。江戸時代築かれた城郭は平城が主流なのですが,この城は近世城郭の技術で築かれた総石垣造の山城で,鶴が羽を広げたような縄張りとなっており…… more 鶴屋城,,鶴ヶ城とも呼ばれます。関ヶ原の戦いの後,1601年 この地に入った毛利高政は戦国時代からの拠点であった栂牟礼城(とがむれじょう)を居城としました。中世山城である栂牟礼城は相当山深いところにあり不便でした、このため高政は1602年よりより利便性の高い八幡山に佐伯城の築城を開始しました。築城には安土城築城にも携わった市田祐定等が命じられ,1606年に完成。1617年には火災で天守をはじめとする多くの建物が消失しました。3代藩主 毛利高尚(もうりたかなお)の時代に山麓に三の丸を築き,以降の政務は三の丸で行われました。1709年より6代藩主 毛利高慶(もうりたかよし)は火災以降荒廃した山上の建物を修復しましたが、天守は再建されませんでした。  ●生憎の荒天の中,麓の三の丸櫓門に到着。この櫓門は現存建築物で県指定重要文化財となっており,手前にも素晴らしい石垣が残っています。●櫓門の内側に入りました。  ●三の丸御殿があった場所は佐伯文化会館になっており,内部は目ぼしいものは残っていません。●ここから山上の曲輪に登りますが,この分岐で3本に分かれ,どの道でも山上に到達します。独歩碑の道(右手)、登城の道(真ん中)、翠明の道(左手)麓の案内板でも3本の道が山上に伸びている様子が描かれています。今回登りは雨も降っていましたので右手の独歩碑の道を進むことにしました。  ●独歩碑の道は車両も通れるような整備された道で勾配もなだらかですが,距離は少し長いと思います。●案内板に九合目広場とあるこのスペースは捨曲輪と呼ばれる予備の曲輪です。実際には戦争経験が無かった佐伯城ですが,いざ実戦の時は防御のための施設として機能するように設けられたと考えられます。  ●独歩碑の道は屈曲して本丸東虎口に入り,本丸外曲輪に到着です。●天守曲輪と本丸外曲輪の二段になった本丸。正面には天守曲輪に登る階段が見えています。この階段は後付けかな?当時の様子を描いたイラスト。中央右の虎口より入りました。  ●虎口横の櫓台跡。案内板には二重櫓が描かれていますね。●登山道の由来ともなっている獨歩碑。  ●天守曲輪南面の石垣。本丸外曲輪も狭い。●眺望は荒天のため不良。霧も出てきました。  ●天守曲輪の上。前方が天守台で,三重の天守がありました。●天守台の上には祠がありました。  ●西側に開くこちらが当時からの天守曲輪から下りる虎口ですね。●本丸隅の石垣は珍しい鈍角で滑らに湾曲しながらも反りを持つという珍しい作りです。他で見られる鈍角のシノギ積みとは少し違うような気がしますが,九州という地勢の関係上,朝鮮式や沖縄式の城郭などの影響を受けた可能性もあるのではないかと思います。  ●北出丸へはジグザクに屈曲した虎口を抜ける必要があります。●案内のイラストによると北出丸虎口には本丸外曲輪櫓があったようです。枡形のように鉤の字状に進みます。  ●長細い曲輪の北出丸。●先端には二重櫓がありました。  ●北出丸から本丸方面を振り返った光景が個人的には一番好きです。天守曲輪の豪快な石垣と手前の複雑に折れ曲がる虎口。霧が晴れた一瞬を狙って撮った写真です。●水の手門があった虎口より貯水池を目指します。  ●谷を石垣でふさいで造った貯水池が残っています。写真は雄池(おいけ)。雄池と雌池(めいけ)の二つの池があったのですが,残念ながら雌池は直近の風雨による土砂崩れで完全に壊滅してました。●二の丸と本丸の間に設けられた堀切を橋で渡しています。  ●二の丸側面も立派な高石垣です。●二の丸から本丸方面を見ています。  ●二の丸も長細い曲輪です。当時は櫓が二つあったようです。●二の丸南虎口。この先に西出丸があります。  ●二の丸南虎口を外側から。●この細い部分を進んでいくと西出丸です。  ●西出丸の様子。細い部分の先の突端は丸くなっていおり,写真左手には虎口が開きます。●西出丸突端にある櫓台跡。  ●西出丸虎口の様子。ここからの登山道は登城の道か翠明の道の二択です。●下山は最短の登山の道を選択しました。登りの独歩碑の道と比べると荒れており急なため登りはきつく,雨天時は足元に気を付ける必要がありそうです。  ●せっかくなので風情のある城下町を見ていきましょう。●状かに残る藥医門。  ●安井(あんせい)と呼ばれる井戸。藩医・今泉元甫が資材を投じ領民のために掘った井戸の一つです。●城内建造物であったお浜御殿が旧坂本家として移築されています。文豪 国木田独歩が下宿していたことがあり現在は城下町佐伯 国木田独歩館となっています。  ●城下町に残る長屋門。●状かの端にある養賢寺には毛利家墓所があります。  ●三の丸櫓門の正面の道を進んだ付近が大手門跡です。●佐伯市歴史資料館では佐伯市の古代から近代までの歴史を学ぶことが出来ます。資料館にあった復元模型。イメージがわきやすい。  ●資料館の前にある毛利家御居間は明治時代の毛利家の屋敷の一部で市指定有形文化財となっています。●これは歴史博物館の発掘調査で出てきた井戸跡を移設したものです。  ●資料館から道に面した場所にある三府御門(さんぷごもん)。元々役所のあった場所で現存する藥医門と言われています。●市内の住吉神社には三の丸御殿の一部が移築されており住吉御殿と呼ばれています。歴史的に戦闘は無かったのですが,山上に築かれた総石垣造りの城は見るものを圧倒し堅固である様を見せつけます。山麓の現存建築物や城下町と合わせて大変見所の多いお城であると思います。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第307回:佐伯城(江戸時代初期に築かれた総石垣造の山城)
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 大分県の城郭
投稿日時 2019-01-03 01:40:01

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