順天城 [2/3] 大々的に積み直しを行いセメントで固められた本丸石垣。の詳細

順天城 [2/3] 大々的に積み直しを行いセメントで固められた本丸石垣。
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記事タイトル 順天城 [2/3] 大々的に積み直しを行いセメントで固められた本丸石垣。
概要

順天城 訪問記 其の二。 <前回までのあらすじ> 巨大堀の脇に作られた駐車場から散策開始。かつて海水を引き入れ干潮差を利用した軍港となっていた堀は埋め立てにより今や池となっている。かつては岬全体を取り囲むように築かれていた石垣も今は失われ、積み直しによりキレイすぎる姿に復元された…… more 2つの城門だけがポツンと佇んでいる。城門を越えて、本丸へ向かおう。 訪問時期:2018年11月 順天城 訪問記 − 其の一、二、三。 ●続・倭城めぐりの旅 [2018] – 熊川/泗川/順天/長門浦/東莱/加徳/金海竹島 ●倭城めぐりの旅 [2017] – 安骨浦/釜山母/機張/西生浦/蔚山/永登浦/松真浦/長門浦/梁山/亀浦 <訪問記> 二番目の城門を越えて、本丸へ向かう。絵図にあったとおり、二番目の城門を越えると斜面となり、一段と高い本丸へとつながる。 絵図再掲。征倭紀功図巻 の模写。現在は、中央に描かれた土橋の先の、2つ目の城門(櫓門)を越えたあたり。この先は最高所の本丸へ続く斜面となっていることが分かる。 本丸ヘ向かう道。日本語で順天倭城と書かれた看板。右からでも左からでも入れる。真っ直ぐ進もう。 真っすぐ進んで斜面をあがると、巨大な石垣の城壁が見えてきた。先の二重の城壁は、城門付近のみ復元されていたが、本丸は外周含めて全面的に石垣が積み直しにより「復元」されている。 本丸の一段下の帯郭に設けられた虎口。本丸下虎口とでも呼ぼう。ここにも巨大な櫓門が建っていてそうな雰囲気。逆光でもiPhoneが頑張ってくれたことに驚き(太陽そのものは見切れているが手で隠し光量を減らしている)。 本丸下虎口から見返した本丸・天守台方面。最も見映えする定番スポット。インスタバエ。 本丸下虎口を越えて虎口越しに見る本丸全景。個人的にはこの構図か、後に挙げる本丸虎口石垣上からの構図が一番好き。よく見ると虎口石垣の左端は「縦積み」になっている。倭城石垣は石材の長辺を縦に積む「縦積み」がよく見られるが、ここは積み直し復元のため、本来もこうだったのかは分からない。 こちらが本丸下虎口の石垣上から見た本丸全景。青空と石垣の茶色が相まって圧巻の要塞感。石垣をここまで大々的に復元するのなら、絵図に載っているような木柵や銃眼付き土塀も復元してしまえばいいのにと勝手に思ったり。 本丸下虎口入ったところの曲輪は外周が土塁で囲われていた。復元前は全体的にこんな感じだったのだろう。 本丸下虎口の石垣。奥に見えるのは本丸虎口。なお石垣の周りに排水溝が設けられているがこれはセメントでガッチリ固めた復元工事の際の副産物だろう。築城当時は敵地最前線での戦闘拠点としての突貫工事だった。 本丸下虎口を、帯郭側から見返す。 本丸下虎口(右側)と本丸虎口(左見切れ)。この要塞感! では本丸へ。本丸虎口。先の絵図には本丸には1つしか城門が描かれていなかったが、実際には二重構えになっている。本丸が二重構造、土橋までの間に更に二重の城壁。 本丸虎口は先の本丸下虎口よりさらに堅固で、高い城壁に囲まれた細い通路が左に90度曲がっている。実際にはここまで明朝鮮軍に攻められることはなかった。 左に曲がった先もスロープが続いていて、そのまま本丸へと繋がる。 本丸虎口の最奥から天守台方面を見る。いつものカメラなら虎口全景が撮れたが、iPhoneの画角ではこれが限界。参考)換算画角 iPhone X 広角側 28mm、いつものカメラ(X-T10+XF10-24) 15mm。 本丸虎口の正面石垣の上から、本丸全景。こちらも定番構図。 本丸虎口の城壁を写し込んだ、迷路感が強調される構図。 本丸虎口石垣の上から、一段下の帯郭にあった本丸下虎口を見下ろす。この上にも櫓門や櫓が建っていたと考えれば、ここから明兵が外郭ラインを攻撃している状況も一望だっただろう。 本丸へ。細長い削平地で、奥に露出した岩盤の上に築かれた天守台がポツンと見える。 露出した岩盤の上に築かれた天守台。他の倭城とは異なり、順天城だけは天守台が独立して曲輪の中央に築かれている。本丸が海に面した立地から城壁の内側にそびえ立つ大天守は、まさに威容を示していたことだろう。先の絵図には白亜の三層天守が描かれている。天守台の石垣も独立が故に高く積まれており、「そびえ立つ」という表現がピッタリだっただろう。 岩盤の上から本丸全景を見返す。本丸内には武器庫・兵糧庫に加え、兵の駐屯用の小屋が建ち並んでいたのだろうか。 では岩盤の上に登って天守台に上がってみよう。なお天守台も全面的に積み直しされている。そして中央に天守まで貫く大手道のような階段、これも日本国内の天守台では通常見られない様式で、まるで仏塔のようだ。現存していた遺構は本当にこんな姿だったのだろうか。 天守基壇 説明板。相変わらずスペリングがひどい。英文の和訳→「かつて築かれていた城のメインタワーである天守の石の基壇(天守台)の遺構。天守台の手前には低い基台も見られる。天守は城で最も重要な建物で、指揮官の武力と権威の象徴だった。1598年の戦役を描いた絵図には、順天城の天守として切妻破風・寄棟屋根を持つ三層の建物が描かれているが、天守台の下から見つかった碑文には “海上が一望だった五層の塔” と書かれており、実際には五層の建物があったと想像される。時の経過とともに天守台は崩れたが2007年に現在の姿に復元された。天守台は整形されていない岩をランダムに積み上げて築かれ、特に天守台の角部にはよく整形された石材が用いられた。現存していた天守台の石はそのまま用い、その上に新たな石を積み上げ、元の天守の高さが分かるようにした。」 天守台の下の方はオリジナルの石材のようだ。では積み直し前の現存遺構はどのような姿だったのだろうかとネットを検索してみたところ、堀口健弐さんのサイトに旧状の写真が掲載されていた。それによると崩れがちだった石材はビシッと積み直され、高さも倍ぐらいに積み上げられていることが分かる。 絵図の天守部分アップ。よーく見ると、二層目が一層目よりも広く造られている、いわゆる「唐造り」であることが分かる。岩国城(再建)などで見られるスタイル。異様に縦長で縦横比がおかしいが、細かく見てみると破風、廻縁、せり出した二層目を支える柱など、細かい意匠がしっかりと描き込まれていて、当時この実物を見ながら現場で描いたんだろうなあと思わせる。 天守台には手前に小天守あるいは附櫓らしき張り出し台がある(絵図には描かれていない)。その上から、天守台を見る。入ってくださいと言わんばかりの一直線の階段。先の復元城門の上に上がる階段もこんな感じだった。うーん。 天守台の上へ。赤っぽいセメントでガッチリ固められている。表面にはかつて大天守を支えていたのだろうか、礎石が並んでいる。復元前の写真を見ると上部がかなり崩れていたのだが、この高さまで復元した後に、礎石を持ってきて並べたのだろうか? 天守台から海の方面(北東方面)を見てみる。当時はこの真下は海で、絵図のようにこの真下まで明朝鮮連合軍の軍船が迫ってきていたのだろう。今は埋め立てられ工場地帯となり、海はかなり向こうになってしまい、当時の面影は失われた。 北西方面。こちらも大きく海がせり出していたはずだが、このとおり。 天守台上から本丸を見下ろす。当時はこの上に三層の大天守が建っていたと思うと、かなりの高さとなったことだろう。 天守台の隅石。先の復元前写真だとこの半分ぐらいが現存していたようだ。当時の石をそのまま使っていると説明板にあったが、どこまでが現存の石の積み直しで、どこからが新たな石なのか、判別がつかない。また天守台の隅石には、突貫工事で荒割の野面積みが多い倭城において珍しく矢穴を用いた加工の跡が見られる石材が多く使われているとのことで、後ほど降りて見てみよう。 順天城 天守台 全景。建物はないのに、この要塞感。 矢穴が残る順天城天守台の隅石。少なくともこのあたりは当時の石材だろう。かなり上部の方まで矢穴のある石が積まれているということは、どこまでが現存石垣なのだろうか? あるいは数段しか残っていない様にも見えた先の写真は、下にかなり土が積もって埋もれていたので、掘り出したら高く残っていた、ということだろうか? ちなみに順天城の積み直し石垣は、最初に行われたときは朝鮮式(勾配が少ない)に積み上げられてしまい国内外から不評を買ったため、新たに日本から城郭研究者を招聘し、積み直しの積み直しが行われたという。その結果が現在見られる石垣とのこと。 >> 順天城 [3/3] へ続く。<< 訪問時期:2018年11月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る   close

順天城 [2/3] 大々的に積み直しを行いセメントで固められた本丸石垣。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城 倭城
投稿日時 2018-12-30 03:20:01

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