美濃 上村城(前田砦)  重機なしでここまでの土木事業とは・・。の詳細

美濃 上村城(前田砦)  重機なしでここまでの土木事業とは・・。
久太郎の戦国城めぐり
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記事タイトル 美濃 上村城(前田砦)  重機なしでここまでの土木事業とは・・。
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美濃 上村城(前田砦)(岐阜県恵那市上矢作町本郷・城山)・・たまにふと考えることがあります。【城】と【砦】の違いってなんか基準はあるんだろうか??・・と。あと【塞】、とか【塁】、とか言い出したら・・。「わからないことはググれ!」、という次男の口癖。(はいはい)時代は変わりました。…… more まずひも解くものが辞書ではなくなったのです。しかしウェブだろうと広辞林だろうと、「調べる」という率先的な行動は持ち続けたいものです。・・さて、辞典とかには「本城の外の要所に築く小規模な城。規模の小さな出城」とあります。当然、この程度の説明では城郭ファンを頷かせること、できようはずもありません。何故ならこの表現では当てはまらない事例が多すぎるからです。今回訪れた上村城は「前田砦(ぜんだとりで)」と呼ばれるほうが親しまれているようです。しかし、現地に立つと「砦」という呼称が全く不似合いであることを感じます。先程の説明での「砦」どころか「大城郭」と呼ぶに相応しいからです。見ていきたいと思います。かなり離れないと山の全容がつかめないのも大城郭の証です。前田砦は上村川と飯田洞川が合流する地点の東山上尾根にあり、東へ伸びています。縄張り図を作図をした限りでは主郭部だけで東西200メートル、南北150メートルの山城です。城山の尾根先端部からの登山道があります。城山の西麓に公民館があるので、車はそこに停めさせていただきました。共同精米機が設置されてあるので邪魔にならないように駐車します。この山道は大船寺への参道としても利用されていますね。これから登ろう!、という時にこう言い切られては・・。ということで今回は熊除け鈴をこれでもか!、とダブルで装着。(うるさいのですが安全にはかえられません)登っていくと道が2つに分かれます。右は城内に向かう近道で、左は城山稲荷への近道。どちらを進んでも脇から主郭部へは辿り着きます。城山の奥には城山稲荷が祭られています。気を付けなければならないことが多いのが山城探索だが、頭上まではちょっとね・・。最奥(東)の大堀切から度肝を抜かれていきます。傾斜もあり、堀底も見事な薬研ぶりです。一部登山道で分断されていますが両側面部には大きな竪堀につながっていきます。この様子では当時の堀底、容易に歩けなかったことでしょう。堀底を辿ると気付くのですが主郭部を囲うようにコの字型(弓型)になっています。この堀切から登った曲輪には大土塁(櫓台?)まで備えられています。土塁上に置かれた石塔。何を語っているのか。(え、何?城址碑?のワケないです・・)あまりにも美しいので逆方向からも見とれます。二度おいしい。最高所の曲輪の北側側面には石積も見られます。土留め用ですね。東より2条目の堀切。どれもメイン級の堀切で意識高すぎ・・。適度な林業伐採が入り、遺構同士の見通しもよいです。東より3条目の堀切。堀底は窪地となっており、むしろ曲輪を兼ねているよう。城中最大規模の東より4条目の大堀切。箱堀、というより堀底に居住空間ができるほどの余裕の広さがあります。いずれも両側面は竪堀へと続く、という一貫性も見られます。東美濃ではここでしかお目にかかれない超ド級の土木普請量、間違いありません。ホントとに重機とか、使ってませんよね?(思わず疑いたくなるほど)この高切岸も頂部手前は登攀困難でした。さて、この前田砦ですが。『恵那郡史』では元亀3年(1572)上村合戦で遠山景行の家臣、門野(かどの)兄弟が千騎で籠もり、武田氏の武将・秋山虎繁軍を待ち受け対峙したそうです。文面から察するに門野氏はこの地をあくまで陣地として利用したようです。山上一帯に砦を構え、伊那から侵入する武田軍を待ち受けたのでしょう。前田砦、という呼称はこの時の陣城を指すものと思われます。また『丹羽氏聞書』では原弾正を城主としています。原氏はおそらく武田氏から派遣された人物かと思われます。伊那と岩村を結ぶ重要地点として前田砦を上村城と称した大城郭へと改修したのでしょう。あくまでも個人的な感想ですが・・曲輪配置や堀切の規模、舌状台地を利用した縄張り、どっかで見たことがあります・・。そう、信濃の飯田・駒ヶ根地区の城郭と類似してるな・・という感じです(飯田城・赤須城等)。縄張りには秋山虎繁麾下の春近衆が関与しているのかもしれません(あくまで楽しい想像)。城山から望む飯田洞方面、岩村城への糧道。上村城から岩村城までは同時に武田氏による糧道も整備されたそうです。水晶山を通過して岩村城の搦手に直通する、最短かつ安全な道でした。こういった城と軍事道路をセットで普請するのも武田氏の得意とするところですね。主郭部の北に位置する城山稲荷も行ってみました。おそらくここ一帯も当時は城郭の一部であったことでしょう。広い平場が大きな横堀で守られています。この横堀遺構がこれまた巨大です。飯田洞川と主郭部と巨大横堀に守られた隠れ曲輪のように感じます。武田氏と東濃遠山氏、そしてその後の織田氏との戦いの後先を語る前田砦こと上村城。山の形を変えてしまう程の土木普請量、岩村城では感じ得ない別の魅力がありました。この地に立てば武田氏の東濃計略裏方としての意気込みが伝わってくるようです。Ⓢはお借りした公民館の駐車場です。Ⓖは主郭部の頂部。 close

美濃 上村城(前田砦)  重機なしでここまでの土木事業とは・・。
サイト名 久太郎の戦国城めぐり
タグ 恵那市の城めぐり
投稿日時 2018-12-14 05:00:03

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