駿府激戦の山城 蒲原城の詳細

駿府激戦の山城 蒲原城
つわものどもが夢の跡
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記事タイトル 駿府激戦の山城 蒲原城
概要

つわものどもが夢の跡駿府にあった激戦の山城を訪ねました。<蒲原城跡石碑>■今川氏の重要拠点■築城時期は明らかではありませんが、今川氏によって、南北朝時代に築かれたのではないかと考えられています。戦国時代になると、今川氏の家臣にして一族でもある蒲原氏が守る拠点となっていました。位置…… more 的に今川領の東側に睨みを利かす城ということですかね。そんな役割を担う城。今川氏の重要拠点であり続けました。■今川氏の衰退■1560年の桶狭間の戦い。超有名な戦いですね。織田信長が、たった数千の兵で今川の大軍を破った戦いです。この敗戦を機に、名門・今川氏の力はあっという間に衰退しました。今川領はどうなってしまうのでしょうか?ここで今川氏とは同盟関係にあった小田原の北条氏が援軍として駿河に進出。今回訪問の蒲原城は、実質北条氏配下の城となりました。■今川領分割案■崩壊しそうな今川を支援する北条。同盟国を守る「義」ともとれますが、甲斐の武田氏が出てくると厄介という事情もありますね。かといって駿河だけに拘るわけにもいきません。北条氏は関東でもライバルと戦わなければなりません。戦国時代はホント大変ですね。この局面で、武田信玄は北条側(氏康と氏政)に対し、今川領の分割を提案します。つまりまぁ争うより半分ずつ分け合いましょうということですね。相手にも利益があり、己も利益を得ようという交渉ですから、いわゆるWin-Winの提案。ただ北条側はこれを拒否しました。そう、この提案では今川氏が置き去りになっていますよね。北条氏はこれを受け入れませんでした。Win-Winはよく使われる言葉ですが、もともと経営学用語。経済では済まない、人としての何かがあるということですね。最後の最後に、その何かを優先した。こういう話、私は好きですね。■武田の駿河侵攻■武田軍の進攻が始まります。今回訪問の蒲原城は重要拠点。当然戦乱に巻き込まれます。1569年、武田勝頼が率いる軍に攻撃されて落城。この時の城主は北条一族の新三郎。あの北条早雲の孫です。配下の兵約7百人とともに全滅だったと伝わります。蒲原城は武田氏の支城となりました。■孤立する武田■蒲原城が武田配下になった4年後(1573年)、あの武田信玄が他界します。これは一大事ですね。そして1575年の長篠の戦いで、当主の座を継いだ武田勝頼の軍は、織田信長・徳川家康連合軍に大敗してしまいます。一般的に、ここで既に勝負あったかのようなイメージですよね。しかし勝頼は、その後も何とか生き残る道を画策。1577年には北条氏政の妹を継室に迎えて同盟を強化します。その翌年、今度は越後の上杉謙信が亡くなります。これは直接関係ないようで、実はその後の運命を大きく左右しました。勝頼は上杉の後継者となる景勝と和睦(甲越同盟)。景勝と後継者争いをした景虎は北条出身ですので、北条氏から同盟を破棄されることに繋がりました。北条氏は織田・徳川と手を組みます。これにより、武田の立場はますます苦しくなりました。■廃城■しばらく武田の支配だった蒲原城。織田・徳川連合軍による武田領侵攻が始まると、徳川軍に攻められ落城(1582年)。その後廃城となりました。■現地訪問■城跡巡りはほぼ一人ですが、この日は久しぶりに会社の仲間2人とともに探索。現地まで車で送ってもらい、ちょっと楽させて頂きました。ありがとうございます。<駐車場>山を登る途中に駐車場があります。麓から歩いた方が険しさを実感できますが、他の城も行く予定なので、この位置から登ることにしました。向かい側にはトイレもあります。右手の小さな建物です。<相棒>この日お世話になった車と携帯で各々情報を確認する二人。イケメンですが、プラプラ遊んでる様子が勤め先で広まると面倒なので、顔は隠させて頂きました。勿論、車のナンバーも。<案内板>尾根道を進んで行くと、山城への侵入口付近に案内板があります。ここで大筋どんな構造か分ります。<蒲原城址鳥観図>蒲原城は丘陵地帯に位置しますが独立峰。典型的な山城です。山の標高は約150m。左手は海もうですから、比高もそんな感じでしょう。本丸(主郭)は山頂。まぁ基本ですね。南北に長い区画となっています。その北東側に堀が設けられ、その先がまた曲輪。他にも西側から南側にかけては土塁や切岸などなど。本丸から外側へ向かって、高低差を意識した城の仕掛けが散りばめられています。これらを、山の途中から侵入して探索する。そんな感じですね。<険しい><良く見えないけど堀>現在は公園ですが、迫力満点で「城のなごり」が漂います。ただもうちょっとだけ草が刈ってあると助かりますね。予算もあることなのでなんとも。まぁガッチガチに再造成されてしまうより、趣があって良いのかもしれません。<山登道>道は確保されていますので、草を掻き分けるといったことなく登れます。<遺構の中>お仲間二人が草木に覆われた斜面に何か見つけたようです。曲輪の下を迂回しながら登っているので、注意深く見ればあちらこちらで城の痕跡に気付きます。<大空堀>ところどころこんな案内があります。この下は空堀。ちょっと撮影困難ですが、現地では深い谷になっていることが実感できます。<遺構と夏草>「夏草や兵どもが夢の跡」などという情緒に浸る余裕もなく、てくてくと進んでいきましたが・・・行く手を阻まれ始めました。これはやや山登道を逸れようとしたからであって、頂上まで普通に登るだけなら、ちゃんと安全な道が確保されています。訪問される方はご安心を。傾斜と草の具合で、この上部が曲輪だと分ります。ここから登るのは得策でないと判断し、一旦通りすぎることに。ただ、結局は後でチャレンジすることに。ここが虎口でした。押し寄せる自然<説明板:布橋桜>仲間の一人が佇んでいましたが、周辺に木々が多く、私はどの木を指しているのか確認しないまま通り過ぎてしまいました。ちゃんと読み返すと、深い謂れがあるようです。無茶なことをしなくても、登山道から遺構を確認できます。<駿河湾>まもなく頂上というところで撮影。ここが激戦の城となる理由が分る気がしますね。無視して東海道を通り過ぎることはできないでしょう。<主郭>頂上主郭は神社(城山八幡宮)となっています。冒頭の石碑のほか、城を守った北条新三郎の石碑などもあります。この日は穏やかな日でしたが、海風をまともにくらう場所ですね。以下は主郭の周辺の画像になります。<主郭から見た別の曲輪>主郭から見下せる場所に曲輪が見えています。来る途中に断念した善福寺曲輪。ここからは行けないようです。<善福寺曲輪虎口>帰りに再チャレンジ。ここだけは一人で突入しました。<善福寺曲輪>城内はだいたいこんな感じです。■つわものどもが夢の跡■<険しい山城>激戦区だけに、いろんなドラマがありました。その欠片だけでも感じることができ、有意義な訪問となりました。お城巡りランキング close

駿府激戦の山城 蒲原城
サイト名 つわものどもが夢の跡
タグ 城跡[中部]
投稿日時 2018-10-21 15:20:02

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