山形城(山形県)の詳細

山形城(山形県)
むぎの城さんぽ
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記事タイトル 山形城(山形県)
概要

【山形城】やまがたじょう 【別名】霞ヶ城 【構造】平城 【築城者】斯波兼頼、最上義光、鳥居忠政 【築城年代】1357年(延文2年)、1592年(文禄元年)、1623年(元和9年) 【指定史跡】国指定史跡 【場所】山形市霞城町 地図 【スタンプ設置場所】最上義光歴史館・山形市郷土館…… more 受付窓口・二ノ丸東大手門櫓内部 【城郭検定】出題あり 山形城は室町時代の初めに斯波氏によって築城され、安土桃山時代には最上氏によって 改修され近世城郭へと変化し、江戸時代の始めには鳥居氏によって改修され、 ほぼ現在の姿になりました。 その後鳥居氏に世継ぎがなかったため領地を取り上げられ、次にやって来たのは 二代将軍・徳川秀忠と乳母の侍女だったお静の間に生まれ、信州の高遠で育った保科正之でした。 保科氏は7年の後、会津若松へと移り、その後は徳川家の大名が次々と入りましたが 衰退し、明治維新後に山形城は廃城となりました。 東大手門 復元された大手門。 向って正面の門は高麗門で右が北櫓。 左には櫓門と続櫓があります。 中堀 大手橋の上からの景色。 中堀に沿うように走るJR山形新幹線の線路が見えます。 城域に新幹線が通るとは、明石城は新幹線の中から見られると有名ですが 山形城の堀を新幹線が走っているとは堀を覗き込んで驚きました。 残念ながら新幹線の通るタイミングではなかったのでカメラに納めることは出来ませんでした。 おしい! 東大手門枡形 内側から見た枡形。 高麗門をくぐると、そこは内枡形となっていて 山形城の東大手門の規模は江戸城の枡形に匹敵するほどの大きさで構築されています。 もともと最上氏時代には外枡形だったものを、内枡形に改修されています。 東大手櫓門 明治初期に解体された櫓門ですが、絵図や古写真などの資料をもとに 復元され、内部は一般公開されています。 続櫓入口 櫓の中を無料公開しているのでぜひ見学してみよう。 中には説明をしてくださるボランティアガイドさんが待機しているので 詳しいお話しを聞くことも出来ます。 ちなみにここでは「超高速!参勤交代」のロケを行ったそうです。 しまった!気が付かなかったなあ。 櫓の内部 建物内の構造に関しての資料は発見されていないため、造りは一般的な構造で造られています。 模型 内部にはこうした模型やパネルでの説明、発掘された瓦などが展示されています。 最上義光之像 最上義光騎馬像は、上杉景勝・直江兼続らが攻めて来た際、自らが陣頭となって 決戦の場へ向かって行く勇姿を再現したものです。 勇ましさが伝わる格好良い騎馬像ですね。(ちなみに私は上杉・兼続派ですが^^;) 本丸一文字門跡 見学台から見た本丸一文字門です。 こちらも枡形になっています。 高麗門 高麗門は鏡柱を支える控柱にも屋根が架けられて、扉が閉じた状態でも 開いた状態でも扉が屋根の下に納まる状態になる構造になっています。 木材は奈良県吉野産と高知県産の桧や杉を使用しています。 枡形土塀 本丸の枡形土塀は、東大手門と違って矢狭間や鉄砲狭間が設けられています。 東大手門の土塀の古写真には狭間が無かったため、復元された土塀にも狭間はありません。 しかし、雁木もありながら狭間が無いのはとても不自然なので明治期には穴が塞がれていたのでは ないかと考えられます。 本丸の枡形土塀は古写真が残っていなかったため、 一般的にあるべき狭間を再現することが出来ました。 一文字櫓跡 大手側にある本丸一文字門は枡形に構築された敵の侵入を防ぐ役目をしています。 この櫓台石垣の上に一文字櫓が存在していたはずなのですが、 復元に必要な資料(立体図面や古写真など)がみつかってないために 復元が叶わずまだ石垣だけの状態です。 櫓門跡 平面図にはこの石垣の上に櫓が載る「御櫓」が記されているんですけどねえ。 復元されると良いのですが…どこからか資料がみつかると良いですね。 イメージ図 ちなみにこれがイメージ図です。 平面図から想像すると、こんな感じに櫓が載っていたのではないかと思われます。 本丸 この奥には本丸御殿があったとされるエリアです。 現在も本丸区画の整備が進められていて、スポーツ施設の撤去工事などが行なわれています。 平成45年度完成を目指して工事が進められていますが、平成の時代も終わり 新しい年号に変わっての完成になりますね。 ここから櫓門に出入りしていたのでしょう。 櫓門の出入口は二ヶ所なのでここには写ってないのですが、もう一ヶ所階段が付いています。 ※イメージ図に記載されている階段のことです。 井戸跡 これは発掘された本丸御殿の石組井戸です。 江戸時代以前は木組で素堀が主流でしたが石組ということは 比較的新しく江戸時代以降の井戸のようです。 以前訪れた時は本丸の中には入れなかったのでこれだけでも見学出来て今回の収穫です。 見学路 本丸御殿の発掘調査の結果報告など貼られた掲示板があります。 最上氏時代の建物礎石や瓦などが見つかっています。 石垣の崩落跡 本丸の堀調査で発見された、江戸後期にあった「御櫓崩」で崩れた石垣の石。 崩れた部分は回収されることなくそのまま埋め均されたままの状態でした。 現在は崩れた石の一部が堀の中に見える状態で保存展示されています。 石垣石の加工 二の丸ではいろいろな石垣の石が展示されています。 安政時代のものや矢穴があるもの、刻印・朱書き・墨書など 並んでいる石をひとつひとつ見て歩くのもおもしろいです。 修羅 石垣に使う大きな石は採石所で伐り出され、「修羅」というソリに載せて 運ばれていました。 人力で運んで来るんですよ。昔の人は凄いですね。 こんな苦労ばかりしていたら長生きも出来ませんよね^^; 北不明門跡 ここから車は城内に乗り入れ可能です。 駐車場や博物館などの見学施設や体育館などの出入りが出来ます。 堀を渡り門のあった出入口は、石垣が設けられています。 西大手門跡 この石垣は修理を施されていない石垣で、今もはらんだり崩れたりすることなく しっかりとしています。 南大手門跡 南大手門も枡形の石垣が残されています。 表と裏で石や積み方が違っています。 前回訪れた時は博物館や郷土館に寄りました。 今回はとにかく城址を散策してみようと歩き回りました。 また、ボランティアガイドさんの話も聞けて、あまり品の無い話題で申し訳ないのですが つい立派な梁を見てしまうと「どこ産のおいくら?」と聞いてしまいます。 今回も東大手櫓門の梁が目にとまり、お聞きしてしまいました(^^; どこのお城もやっぱり太くて立派な梁というものは自慢の逸品で、 確保するのに大変な苦労とお金がかかっています。 しかし、この東大手櫓門の梁については市長さんの伝手でかなりリーズナブルに入手されたとのこと。 それでも柱1本で田舎なら家1軒買えちゃうほどになっちゃいます。 日本ではなかなか手に入らないし、とても高額になってしまいますよね。 しかし、この梁があるのとないのとでは大違い。 木造をみると柱の太さで価値をみてしまいます。 私の太さもそんな価値があるんです!(ウソです) 平成26年8月24日登城 平成30年9月29日再登城 日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき日本城郭協会学研プラス close

山形城(山形県)
サイト名 むぎの城さんぽ
タグ 百名城
投稿日時 2018-10-19 14:40:24

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