四津山城③の詳細

四津山城③
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
ページの情報
記事タイトル 四津山城③
概要

本丸へ 二の丸から土塁の先に中曲輪・本丸となります。 中曲輪の城壁、その先に本丸 堀切から二の丸を見返しています。 堀切と中曲輪 本丸、四津山神社 本丸を西から見ています。 「新編武蔵風土記稿」には長享元年、増田四郎重富の居城と伝えられています。 東から見渡して…… more います。 東の景色、市野川流域、鎌倉街道上道が走っていたそうで、この街道を監視する役目があったと思われます。 この階段を下り、腰曲輪(中継地点)に通じています。 城址遠景 次回 久しぶりに松山城へ 長享の乱③ 終結 長年、明応4年(1495年)に北条早雲が謀略をもって大森氏を継いだ大森藤頼から小田原城を奪ったと言われてきた。 ところが、この翌年にあたる明応5年(1496年)、上杉顕定は足利政氏と連合して相模に侵攻して扇谷上杉側の長尾景春・大森藤頼そして北条早雲の援軍と戦い、大森藤頼と援軍を率いてきた早雲の弟・弥次郎が籠る小田原城を攻め落としているのである。つまり、従来早雲が小田原城を手中に収めたとされている時期には追放された筈の大森藤頼が未だに小田原城主であり、早雲が盟友として藤頼を救援しているのである。この事実について近年では明応10年(文亀元年・1501年)までに何らかの理由(大森藤頼の山内上杉側への内応か?)で早雲が相模守護である上杉朝良の許しを得て小田原城を占拠して自分のものとしたと考えられている。 ここで注目すべきは、仮にも同盟相手とは言え他国の大名の家臣に領土の一部を譲り渡すという事態はそれだけ、朝良の戦況が苦境に立たされていた事の反映であると考えられている。早雲の武将としての才覚は勿論の事、彼が後見する駿河守護今川氏親(早雲の甥)の軍事力を朝良は必要としていたのである。事実、早雲の軍事的支援を受けて朝良は顕定に奪われた相模の諸城を取り戻している。こうして戦線は再び武蔵国内に戻る事になった。 永正元年(1504年)8月22日、上杉顕定は上杉朝良の拠点である河越城の攻撃を開始するが、らちがあかないと見るや今度は南の江戸城を攻撃しようとした。ところが途中で北条早雲が今川氏親と連合して武蔵国に向けて進軍中との情報を入手して武蔵国立河原(現在の東京都立川市)に軍を結集した。9月27日上杉顕定・足利政氏連合軍と上杉朝良・今川氏親・北条早雲連合軍が立河原で激突した。この立河原の戦いの戦いで上杉顕定側は2千人以上の戦死者を出して潰走した。 ところが、この報聞いた越後守護上杉房能は兄の顕定を救うべく、守護代長尾能景を鉢形城に派遣して11月に今川・北条の援軍が撤退して守備が手薄となった河越城を攻撃し、その勢いで椚田城(現在の東京都八王子市)と実田城(現在の神奈川県平塚市)を攻め落とした。皮肉にも立河原での扇谷上杉家の大勝が越後上杉氏による扇谷上杉家に対する大規模な侵攻を招く結果とあったのである。 永正2年(1505年)3月、再度顕定の軍勢に河越城を包囲された上杉朝良は降伏を表明した。顕定はかつての戦場であった須賀谷原近くの菅谷館に朝良を幽閉して出家させ、朝良の代わりに甥の上杉朝興を当主に立てることを扇谷上杉家臣団に強要した。だが、扇谷上杉家臣団の反発が強く、また古河公方家足利政氏と嫡男高基との不仲が問題化すると、顕定もこの方針の修正を余儀なくされ、朝良が解放されて河越城に戻ると直ちにこの話は無かった事とされた(なお、朝興当主説を後に朝良の子に代わって当主となった朝興周辺が家督相続を正当化するために作った創作とする説もある)。永正4年(1507年)、顕定の養子上杉憲房と朝良の妹の婚姻が成立して山内・扇谷両家の同盟関係が復活したのである。ウィキペディアより close

四津山城③
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー武州
投稿日時 2018-09-12 02:00:01

「四津山城③」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;