四津山城②の詳細

四津山城②
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
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記事タイトル 四津山城②
概要

二の丸から三の曲輪・四の曲輪へ 二の丸を北から見ています。土塁の先に本丸との間を仕切る空堀 南から二の丸を見ています。左手先に虎口があります。 虎口を下り 堀切、中間曲輪 尾根を歩き、先端に三の曲輪が見えてきます。 三の曲輪 尾根を振り返って見ています。 三の曲…… more 輪を見下ろしています。 三の曲輪の西側部、この上に 四の曲輪 四の曲輪から三の曲輪を見下ろしています。 四の曲輪の西下の大堀切 小川町教育委員会の縄張り図は、四の曲輪を三の曲輪内に入れています。 長享の乱② 経過 長享2年(1488年)に入ると、顕定は実父の越後守護上杉房定の支援を受けて、2月に太田資康や三浦高救とともに本拠のある武蔵国鉢形城を1000騎で出発、一気に定正の本拠糟谷館を制圧しようとした。ところが、定正は留守を兄の朝昌(定正の養子・朝良の実父)に任せて同じ武蔵の河越城に滞在しており、直ちにわずか200騎でこれを追跡、糟谷館郊外の実蒔原(さねまきはら、現在の神奈川県伊勢原市)で顕定軍に奇襲攻撃をかけた。予想外の奇襲に顕定軍は潰走したものの、定正側も朝昌の居城の七沢城(同厚木市)を失った(なお、この時朝昌も死亡したという説があるが、実際にはその後も生存が確認されている)。更に3月には上野国白井城(現在の群馬県渋川市)に滞在していた上杉定昌が自害を遂げており、扇谷上杉氏や長尾景春方の襲撃の可能性も指摘されている。 憤慨した顕定は6月に今度は河越城を襲おうとするが、今度は先に顕定に反逆して逃亡していた長尾景春が足利政氏(成氏の子、父の隠居後に古河公方を継ぐ)の援軍を引き連れて定正軍に加勢し、須賀谷原(すがやはら、現在の埼玉県嵐山町)で衝突し、またもや定正軍が顕定軍を退けた。11月には今度は定正軍が鉢形城に攻め寄せたため、顕定軍は高見原(同小川町・鷹野原(同寄居町)で迎え撃ったが3たび敗北した。 山内・扇谷両上杉の軍勢が激突した実蒔原・須賀谷原・高見原(鷹野原を含む)の3つの戦いを俗に「長享三戦」と呼び、いずれも扇谷上杉陣営の勝利に終わったが、太田道灌誅殺後の軍民の離反は続き、逆に連敗した山内上杉陣営は後方に越後・上野国両国を有しており、その支援によって鉢形城を保ち続けていた。 一方、先の享徳の乱の折、足利成氏に代わる鎌倉公方として上杉氏が招聘した足利政知は、鎌倉に入ることが出来ずに山内上杉家が守護を兼ねていた伊豆国に留まって堀越公方と名乗っていた。ところが、肝心の上杉氏と古河公方との和解が成立してしまったために堀越公方の支配圏は伊豆1国のみに押し込められ、足利政知は延徳3年(1491年)に病死した。 その後堀越公方内部に内紛が生じ、その間隙を縫って駿河今川氏の客将であった興国寺城城主・伊勢宗瑞(北条早雲、以後よく知られた「北条早雲」と呼称)が、明応2年(1493年)に将軍足利義遐(堀越公方家出身、なお正式な就任は翌年の事である)の命を奉じて伊豆に侵攻して堀越公方から同国を奪ったのである。これには領国相模を背後から脅かす伊豆国内の山内上杉陣営勢力とこれに支えられた堀越公方の存在を煙たがった上杉定正の画策があったとも言われている。事実、直後に定正から早雲に対して対顕定討伐への協力依頼が出されている。 ところが、明応3年(1494年)に定正の名代として相模の東西半分ずつを支配していた三崎城の三浦時高(9月23日)と小田原城の大森氏頼(8月16日)が相次いで亡くなり、その後継を巡って三浦・大森両氏は内紛状態に陥った。更に10月2日には鉢形城の上杉顕定を討つために北条早雲の援軍を仰いで再度高見原に出陣していた上杉定正が荒川渡河中に落馬して死亡したのである。扇谷上杉家は養子の朝良が継承したが定正の死が戦況を大きく変えることになった。 まず、定正生存中から関係が悪化していた古河公方足利成氏が上杉顕定側に支持を変え、一方、相模三浦氏では三浦高救の養子・義同が内紛に勝って家督を継いだ(従来、義同が時高を攻め滅ぼしたと言われてきたが、実際には信頼の出来る裏付けは無いと言われている)。このため、実父・三浦高救や婿の太田資康も義同の口添えで扇谷上杉家に復帰したのである。なお、10月17日には顕定の実父である越後守護上杉房定が病死して顕定の実弟上杉房能が継承している。ウィキペディアより close

四津山城②
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー武州
投稿日時 2018-09-12 01:40:02

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