高林城の詳細

高林城
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記事タイトル 高林城
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高林城は群馬県富岡市下黒岩にあります。 高林城地図 国道254号線の信号小沢から北に地方道10号線を進み、信号下黒岩を左折します。600mくらいの信号を左折し、黒岩小の反対側に公民館があります。ここに駐車させてもらい 黒岩公民館 公民館から東に歩道橋があり、これを渡りま…… more す。 墓地を抜けて尾根歩き15分ほどで、この堀切に着きます。 堀切から右手に獣道があり登ります。 尾根に着いて、東へ歩くと横堀が待ち構えています。 横堀を見下ろしています。 横堀を越えて二の丸の南東に本丸城壁が見えてきます。(今の時期は草が繁茂しています。) 本丸城壁に登りつつ、二の丸を見下ろしています。 本丸、北から 本丸西方面 富岡市市街 土橋から東曲輪 本丸を下ります。(ここは虎口ではありません。) 東曲輪から北側に虎口があります。 縄張り図は「境目の山城と館」上野編 宮坂武男氏著 高林城は、鎌倉時代に上野権守小野朝臣の居城であったと伝えられる。しかし、現在見られる城の形状は戦国期のものであり、鎌倉時代の居城と見るには無理がある。「余湖くんのお城のページ」より 郷土誌には小野朝臣(篁)とされ、この篁の子孫が小野地区に所領を得たのではないでしょうか。 戦国期の山城であることは、間違いないと思いますが、小野氏については地方道10号線を東に進み、下高尾の信号の二又を右折しますと、小野小、小野郵便局とこの周辺んは小野地区で地名が残っています。もしかすれば、この地域を所領とした小野氏が居た可能性があります。 小野氏について 春日氏族系の小野氏としては、近江国滋賀郡から起こった小野臣、山城国宇治郡小野郷から起こった小野臣が知られ、近江小野臣は山城小野臣の分流であろうとされている。近江小野臣からは推古天皇のとき最初の遣隋使となった小野臣妹子が出て、子孫はおおいに栄えた。妹子の孫毛野は天武朝に仕え朝臣姓を賜り、玄孫岑守は太宰大弐に任じ「凌雲集」を撰した歌人としても知られる。  岑守の子が有名な小野篁で、詩才があり法にも明るく「令義解」の編纂に加わった。遣唐副使に任じられたとき大使と争って乗船しなかったため、隠岐に流されるということもあったが、のちに許されて参議に昇った。篁の孫好古は藤原純友の乱の鎮定に活躍、太宰大弐、参議を歴任した。好古の弟道風は藤原佐理・藤原行成と並んで三蹟の一人に数えられる能書家であった。我が国における絶世の美女の代表的存在で、六歌仙の一人小野小町は篁の孫道貞(良真とも)の女といわれている。  小野氏は藤原氏が台頭してくると中央政界での勢力を失い、地方官として東国に下るものも出た。その一人が篁より 八代の孫にあたるという武蔵守孝泰で、孝泰は武蔵国多摩郡横山に土着して武蔵七党として知られる東国武士団のうち 横山党、猪俣党の祖となった。横山党からは横山・椚田・海老名・藍原・山口・愛甲・平山・小野・古庄・中村・小俣・ 本間・成田・中条・横瀬の諸氏、猪俣党からは中村・河勾・甘糟・藤田・岡部・男衾の諸氏が輩出、源平合戦で 源氏方として奮戦、戦国時代まで勢力を保った家も多い。江戸時代に編纂された寛政重修諸家譜には武蔵七党系の 小野氏が多く、丸に橘・三つ星などの家紋を用いている。 得成寺 小野公民館から1.5km東に小野小町が平安の京を追われ東北へ郷里への旅の途中に、疲れをいやすために養生したとされる得成寺があります。これは偶然でしょうか、小野篁と小野小町とは関係があるのか 小野小町について調べたところ、小野篁と関係がありました。 系図集『尊卑分脈』によれば小野篁の息子である出羽郡司・小野良真の娘とされている。しかし、小野良真の名は『尊卑分脈』にしか記載が無く、他の史料には全く見当たらない。加えて、数々の資料や諸説から小町の生没年は天長2年(825年) - 昌泰3年(900年)の頃と想定されるが、小野篁の生没年(延暦21年(802年) - 仁寿2年(853年))を考えると篁の孫とするには年代が合わない。ほかに、小野篁自身の娘[1]、あるいは小野滝雄の娘[2]とする説もある。 血縁者として『古今和歌集』には「小町姉(こまちがあね)」、『後撰和歌集』には「小町孫(こまちがまご)」、他の写本には「小町がいとこ」「小町姪(こまちがめい)」という人物がみえるが存在が疑わしい。さらには、仁明天皇の更衣(小野吉子、あるいはその妹)で、また文徳天皇や清和天皇の頃も仕えていたという説も存在するが、確証は無い。このため、架空説も伝えられている。 また、「小町」は本名ではなく、「町」という字があてられているので、後宮に仕える女性だったのではと考えられる(ほぼ同年代の人物に「三条町(紀静子)」「三国町(仁明天皇皇子貞登の母)」が存在する)。前述の小町姉が実在するという前提で、姉妹揃って宮仕えする際に姉は「小野町」と名付けられたのに対し、妹である小町は「年若い方の“町”」という意味で「小野小町」と名付けられたという説もある。 これによって、富岡市小野地区は小野篁の子孫が地方官として派遣された土地であったと思われ、この篁の子孫の土地であったことで、小野小町が立ち寄ったと推測できます。この小野篁の子孫が武将として高林城を築いたのではないかと思います。 得成寺地図 close

高林城
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー上州
投稿日時 2018-09-08 02:40:02

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