小峰城 戊辰150年の夏の詳細

小峰城 戊辰150年の夏
つわものどもが夢の跡
ページの情報
記事タイトル 小峰城 戊辰150年の夏
概要

つわものどもが夢の跡南北朝時代における名門家の築城から始まり、幕末の動乱においても重要な役割を担った城を訪ねました。<小峰城>こみねじょう盛岡城・若松城とともに「東北三名城」と賞される名城です。■現地訪問■最寄り駅は白河駅。新幹線が停車する新白河のお隣です。そこから徒歩圏内。<ホ…… more ームから撮影>ホームから小峰城のシンボル・三重櫓が見えています。<白河駅>駅の出口は南側、城は逆方向の北側になります。「反対側かぁ」と一瞬思いましたが、線路を潜る通路に満足しました。城に関する説明がぎっしりです。<通路の壁>これはごく一部。歴史などについても説明がなされており、全部目を通すと、結構時間を要します。有難いですね。<石垣の説明>石垣の積み方についても解説あり。帰り道も足を止めてしまいました。通路内なのでちょっと画像が暗くて申し訳ありません。<通路の出口>通路を抜けるとこんな感じです。これは城郭の一部ではなく駅の付属施設。徐々に雰囲気が盛り上がります。<現地到着>城の手前はかつての二の丸。公園として整備されています。厳密なことを言うと、先ほどの白河駅付近はかつての三の丸なので、既に城跡の中にいたとも言えますね。■小峰城■<二の丸の石碑>東北では珍しい総石垣造りの城郭。左手に見える石垣が途切れている部分が、本丸への入口「清水門」跡です。ここから入りますかね。<清水門跡説明板>二の丸と本丸をつなぐ重要な門でした。<内堀と石垣>清水門から見て右手の堀。2011年3月の東日本大震災により、この付近の石垣は崩壊し、しばらく一般の立ち入りは出来ませんでした。現在はこの姿。2015年4月に復興式が開催されたそうです。<逆側>堀を通り過ぎて左手。ずっと奥が月見櫓跡。<桜之門跡>いい感じです。ここから登ります。<桜之門内側より><三重櫓>さんじゅうやぐら字の通り、三重の屋根を持つ櫓(やぐら)です。ちなみに、二重なら二重櫓。一重なら平櫓といいます。<三重御櫓絵図>現地の説明板です。■戦略要地■ここ白河は関東との境界に位置する奥州街道沿いの要地。いわば東北の入口です。古くから白河関(しらかわのせき)が置かれ、重視されてきました。<駅前で撮影した地図>小峰城はそんな重要拠点の砦として、阿武隈川と谷津田川の間に位置する丘陵に築かれました。■名門結城氏の城■1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に城を築き、小峰城と名づけたのが始まりとされています。結城氏といえば、常陸国(茨城県)の名門家ですね。白河の結城氏も祖は同じです。一族の祖・結城朝光が白河庄に領地を得て、その子孫が移り住んだ。これが白河結城氏の始まりでした。親朝はこの白河結城氏の当主の嫡男。しかし家督は息子に継がせ、本人は別家として小峰氏を創設しています。■奥州仕置■その後も白河結城氏と小峰氏はおおむね良好な関係を保ち、互いに繁栄しました。しかし戦国期に入る頃にはその関係も悪化。いわゆる内紛が起きていました。更に外部からの侵攻も重なり、名門家は徐々に衰退していきます。そして1590年の秀吉による奥州仕置。小田原征伐に参加しなかった白河結城氏は、領地を失うこととなりました。白河は蒲生氏の所領となります。■近代城郭へ■江戸時代(1627年)に丹羽長重が10万石で入城。ここに白河藩が成立し、4年を費やして城は大改築され、近代城郭へ生まれ変わりました。<三重櫓と前門>美しい佇まい。ともに1990年代の復元です。丹羽氏?そうです。長重は、かつて織田信長に仕えた丹羽長秀の長男。秀吉の小田原征伐でも活躍しました。しかし関ヶ原の戦いでは西軍に与したため失脚。徳川の世で、西軍はちょっとまずいですね。でも、それで終わらないのが丹羽長重の凄いところです。1万石の大名に復帰後、大坂の陣で活躍して徳川家に認められ、再び出世しました。小峰城の大改修は、領土なしから10万石にまでなった不死鳥の如き武将によってなされたわけですね。<おとめ桜と石碑>城の改修の際、積み上げた本丸の石垣が何度も壊れました。そこで、なんと人柱を立てることに。その当日、最初に城に来た者という取り決めに従い、作事奉行の娘が人柱となりました。娘が埋められた所には桜の木が植えられ、「おとめ桜」と呼ばれるようになりました。近代城郭へ変貌した大改修に付随して、そんな人柱伝説が語り継がれています。<二の丸方向の眺め>分類は山城(平山城)でよいかと思います。<逆側>城の裏手では、まだ修復作業が続けられていました。■戊辰戦争■江戸時代に多くの城主交代があった小峰城。歴代城主には、「寛政の改革」で知られる松平定信も名を連ねます。ただ全部ご紹介できないので、ちょっと(かなり)とばして幕末に話を移します。諸事情(老中も務める藩主の失脚)により白河藩は幕領となっており、空き城となっていた小峰城は、二本松藩主の丹羽長国が預かっていました。そして1868年、丹羽長国は奥羽越列藩同盟として新政府軍と戦うことに。小峰城もその舞台となります。両軍は奥州街道の要衝だった小峰城をめぐって激突し、この時に城の大半は焼失してしまいました。<本丸周辺の石垣>白河における両軍の戦いは、約百日にも及びました(1868年6月10日から8 月31日)。死者は千人を上回りました。この「白河口の戦い」は戊辰戦争全体のなかでも最大級の戦いであり、その後の両軍の運命に大きく影響したとされています。<鎮護神山>本丸の東の鎮護神山。登った先には「戊辰薩藩戦死者墓」がありました。つまり戊辰戦争における敵方の墓ということですね。各地で戦死し、散在していた薩摩藩士の墓を合葬したものです。<城内から撮影>会津藩・仙台藩を中心とした奥羽列藩同盟と、薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍が激突した地です。■つわものどもが夢の跡■<木造による復元>実質は天守閣の三重櫓。オリジナルは150年前の戊辰戦争によって焼失。これを鉄筋は使わず、かつての建築様式に従って木造により復元した貴重な建築物です。激しい歴史を刻み、後世の人の手によって蘇った城郭。日本100名城に名を連ねる素晴らしい城でした。-------■小峰城■-------別 名:白河小峰城、白河城築城年:1340年築城者:結城親朝改修者:丹羽長重城 主:結城氏・丹羽氏榊原氏・松平氏 他廃城年:1871年[福島県白河市郭内]お城巡りランキング close

小峰城 戊辰150年の夏
サイト名 つわものどもが夢の跡
タグ 城跡[東北]
投稿日時 2018-09-01 01:20:02

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