鏡山城 [1/2] 西国の守護大名 大内氏の拠点だった巨大山城。の詳細

鏡山城 [1/2] 西国の守護大名 大内氏の拠点だった巨大山城。
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記事タイトル 鏡山城 [1/2] 西国の守護大名 大内氏の拠点だった巨大山城。
概要

鏡山城は室町時代に瀬戸内西部の守護大名だった大内氏の拠点で、一時は六カ国もの守護を務めた。鏡山城は安芸国支配の拠点として築かれ、細川氏や尼子氏との争いの場となった。1523年の鏡山城の戦いでは尼子氏に従っていた毛利元就が鏡山城を攻め落としている。2年後に大内氏は鏡山城を奪還するも…… more 、拠点はより急峻な杣城に移され、鏡山城は廃城になったとされる。現在、一帯は鏡山公園として整備され、西には広島大学キャンパスがある。城内には巨大な切岸や堀切、土橋などに加え、多数の井戸や畝状竪堀群も明瞭に残る。 <基本データ> ●名称:鏡山城 (Wikipedia) ●所在:広島県東広島市鏡山 (地図) ●城主:大内氏、尼子氏 ●築城:南北朝後半〜室町前期 ●遺構:畝状竪堀群、堀切、土塁、切岸、土橋、井戸 訪問時期:2018年4月 鏡山城 訪問記 − 其の一、二。 <訪問記> 大内氏の居城・鏡山城は、現在の広島大学の東広島キャンパスのすぐ東にある、鏡山公園に位置している。大きな湖の南側にある、山頂が平らな小山が鏡山城跡だ。 巨大な城跡碑と、説明板。 説明板は何と「東広島市内の毛利元就関連遺跡案内」。鏡山城は守護大名 大内氏の居城で、その末期に当時 尼子軍の将だった毛利元就により落城した「鏡山城の戦い」が伝わる。それに関する説明板が、鏡山城そのものの説明板よりも良い位置(城跡碑の隣)に建っているというのは、なんとも驚き。それだけ広島は毛利家推し、ということだろうか。 湖に掛かる大きな橋の手前に、鏡山城跡の説明板がある。まずはこれを見よう。 鏡山城跡 説明板。古文書に初登場するのは1465年だが、出土品から南北朝後半 (1360頃?) の築城とされる。堀切や切岸、竪堀群などから構成される、いわゆる中世の土の城だ。 現在 城跡は鏡山公園となり、城内もハイキングコースとして整備されているようだ。登城ルートは3つあり、現在は北(上)から山頂へ向かう「鏡山公園ルート」を通っている。湖が描かれていないので分かりづらいが、「東出丸」と描かれたさらに上あたりに居る。なお当時はオレンジのライン(南側ルート)が大手道だったようだ。 では湖に掛かる巨大な橋を渡って、城へ向かおう。 ハイキングコースとして整備されているからか、非常に歩きやすい。登山道Aルート、山頂まで600m。 しばらく登っていくと、道の分岐点に到達し、そこに大きな説明板が建っている。城跡は道なりではなく、階段の上へと進む。 鏡山城跡 説明板。橋のところにあった説明板とは内容が異なる。 説明板に掲載されている縄張図をアップで。赤線は追記。説明板には現在地が描かれていないので、自分が今どこにいるのかは分からないが、赤線のどこか(右側の堀切群の手前なので、右上の斜面のどこか?)にいる。恐らく現在は右上の図外か。ここから矢印に沿って進む。 ※色合いが異なるのは、主郭にある同じ内容の説明板から掲載したため。 まずは一気に斜面をあがる。ハイキングコースとして整備されているので、登りやすい。 「仮称 東出丸」。橋のところにあった図面に描かれていた東出丸は、図の右上の削平地だった。確かに先程までの山道から一転、急にやや広い削平地となった。 東出丸の先にある、竪堀。案内板の下を覗き込む。 草に覆われて分かりづらいが、斜面に沿って下に竪堀が落ちていっていることが分かる。 岩盤を削って造ったような登城路。 鏡山城跡を示す案内板。ここまではほぼ山道だったが、この先から堀切群や曲輪群などの山城遺構が本格的に始まる。 石と土塁で造った平虎口的な場所。 平虎口を越えると、堀切と土橋!その奥には切岸が見える。その上は5郭にあたる。 見事な土橋。かつては左右の横堀も深くしっかりしていて、兵一人ずつしか通れないような細い橋だったのだろう。 横から見る土橋と堀切。 土橋を越えると、5郭の周囲に沿って更に山を登っていく。 ここから右へ登ると5郭へ。左奥へ進むと主郭方面となる。5郭へ少し寄ってみよう。 5郭。広い削平地になっており、井戸もあるようだ。 5郭、通称 下のダバ。鏡山城には通称ダバ(段場力)と呼ばれる曲輪が多数造られている。入口の東側には土塁があるという。 5郭の井戸。井戸前にある看板の「御殿場」とは主郭を意味する。 井戸の枠の中を覗いてみると、石積みで囲われた大きな穴が今も開いていた。水は見えなかった。 5郭の木々の隙間から山麓を見てみる。遠くに、最初登ってきた際の湖の端っこが見える。結構登ってきたようだ。 5郭の背中にある切岸の上は、2郭となる。ココからは当然直接上がれず、ぐるっと回り込みながら進むこととなる。 5郭の外周は大きく削られ急角度の切岸が形成されていた。この角度ではハシゴが無いとそうそう直接登って攻め込むのは難しそうだ。 そしてこちらが、5郭入口の東側にある土塁。5郭入口の下から中が見えないような役割を果たしている。 では5郭を降りて、主郭方面へと向かおう。御殿場・中のダバ方面へ向かう。 5郭と4〜3郭とを繋ぐ細い城道。大きな石もゴロゴロしており、これらは当時も門や道をせばめるような役割を果たしていたのだろうか。左奥下に見える小さな曲輪は4郭。 4郭。ここは南から城へと上がってくるルートの入口となり、小さいながらも桝形虎口的な造りになっているようだ。 4郭の手前には「仮称 大手門跡」という案内板も建っている。巨石もある。確かにここに大きな門を造っておけば、左右は斜面なので門を通るしか入ることは出来なくなる。 4郭 説明板。南郭群側には石垣が築かれている、3郭から延びる土塁と石垣がある、と書いてあるが、現地では明確に土塁や石垣が見分けられなかった。 >> 鏡山城 [2/2] へ続く。<< 訪問時期:2018年4月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る close

鏡山城 [1/2] 西国の守護大名 大内氏の拠点だった巨大山城。
サイト名 城めぐりチャンネル
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投稿日時 2018-08-22 16:00:02

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