相方城 [1/2] 細長い山頂に所狭しと高石垣が築かれた近世山城。の詳細

相方城 [1/2] 細長い山頂に所狭しと高石垣が築かれた近世山城。
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記事タイトル 相方城 [1/2] 細長い山頂に所狭しと高石垣が築かれた近世山城。
概要

相方城(さがたじょう)は備後国(広島県福山市)の国人領主・宮氏やその家臣の有地氏らによって築かれたと言われる山城で、後に毛利氏の改修も入り、急峻な山頂にも関わらず総石垣の曲輪を持つ堅固な近世山城となった。関ヶ原後に毛利氏が備後から撤退し相方城も廃城となったと言われる。標高200m…… more ほどの山頂に巨大な堀切で分断した東西の曲輪群が築かれ、東側郭群には最大5mほどの高石垣が多数残る。主郭跡にはテレビ塔が建ち、東西郭群の分岐点あたりまで車で上がることが出来る。 <基本データ> ●名称:相方城 (Wikipedia) ●所在:広島県福山市新市町大字相方 (地図) ●城主:宮氏・有地氏・毛利氏 ●築城:16世紀初頭か ●遺構:石垣、曲輪、堀切、切岸、虎口 訪問時期:2018年4月 相方城 訪問記 − 其の一、二。 <訪問記> 相方城(さがたじょう)は標高200m弱の2つのピークの山頂に東西に分割した形で曲輪群が築かれており、その東西曲輪群の中央あたりに駐車場が設けられている。駐車場には案内板と城址碑がある。 城趾碑は、漢字が異なる「佐賀田城趾」表記となっている。 相方城跡 説明版。こちらは「相方」表記となっている。石垣など主要な遺構は駐車場を中心として左右200mほどの範囲に集約されているが、城全体の遺構は東西1000mにも渡るという。もともとは備後南部の国人領主・宮氏や有地氏の城として整備されていたが、宮氏の滅亡(1552年)および有地氏の出雲への領地替えに伴って毛利氏の配下となり、おそらくその頃に現在のような総石垣の近代城郭に改修されていったものと書かれている。廃城は1600年頃。主郭からは右上の写真にあるような瓦が大量に出土しており、当時瓦ぶきの建物が多数建ち並んでいたようだ。 説明版に掲載の縄張図より、主要部のみをアップで。緑の太い線が現存石垣を意味する。まずは左にある西側郭群を見て、駐車場を越えて堀の向こうの東側郭群を見に行こう。 まずは西側郭群の、車道沿いにあった石垣を見に、車道を少し降りる。上の地図でいうところの、現在地の左下にある左右に描かれた緑の線にあたる。訪れたのは4月、結構な草が茂って石垣を覆ってしまっている。夏場はほとんど見えなくなる? キレイに切り出された石材が、隙間もあまりなくキレイに積み上げられている。関ヶ原以前の慶長初期や文禄期に積まれた石垣にしては、ちょっとキレイすぎるか。主郭に見られるもう少し大ぶりで隙間も多い石垣ともタイプが異なる。 この脇あたりから、西側郭へ上がってみる。頂部が一段高く盛り上げられており、その西側辺に石垣が残るということだが。。。 西側郭の西側に残る低い石積み。幾つか細かい折れ曲がりが造られている。 西側郭の西側石垣。三段ほど積まれており、四角く切り出された石材がキレイに積み上げられている。 西側郭の上へ。なお先程の石垣の更に西側には尾根に沿って道があり、その途中には小さな堀切が築かれているようだが、草ぼうぼうで全く見えなかった。 西側郭の上から見下ろす山下の様子。標高200mだが結構高く見える。 西側郭は東西に長い曲輪で、頂部になっており周囲が低く落ちていることから、主郭の西側などを見張るには絶好の場所だったかも知れない。削平はされているが周囲は落ち込んでおり、加工度合いは甘い感じ。駐車場方面へ歩いて戻る。 西側曲輪の端っこから、スロープ状(あるいは土塁?)を通って駐車場へ降りられる。奥に見える鉄塔の見えるあたりが主郭だ。次はあちらへ向かおう。 駐車場から東奥へ伸びる山道を降りていく。 暫く進むと、深く切り落とされた竪堀と、その中央に伸びる土橋、そして奥には巨大な石垣が姿を現した! 手前の竪堀効果もあってか、そびえ立つ絶壁の上に石垣が積まれているような感覚に見える。すさまじい要塞感! 主郭の手前に掘られた巨大な竪堀。草ぼうぼうだが、それでもこの深く切り落とされた感じがよく伝わる。ちなみに反対側は竪堀というよりは自然地形の急斜面という感じだった。 土橋を渡って主郭石垣を見ていこう。巨石をうまく使っている。 奥の石垣が主郭で、その手前にあるのは主郭に通じる一段低い小曲輪だ。今は主郭奥までまっすぐとに道が伸びているが、当時は主郭石垣横あたりに堅固な門が築かれ、攻め手は左の小曲輪を経由してでないと主郭に上がれないような構造になっていたと考えられる。 主郭手前の小曲輪へ入る場所には、立派な石段が築かれている。主郭上部の石垣が崩れてしまっているようなので、往時はもう少し高い石垣があり、更にその上に土塀や櫓が建てられていたことだろう。 では石段から小曲輪へあがってみよう。石段は一見広いようにも見えたが、よく見ると右側(主郭側)は石段とは異なる低い石垣が積み上げられており、実際は1mにも満たない細い通路だった事が分かる。 小曲輪の上から、主郭方面を見る。主郭への入り口もこれまた小さい石段で繋がっている。今は石垣の上は空が広がっているが当時は石段の上にも門があり、堅固な印象を与えたことだろう。 主郭から小曲輪を経由して下の通路までの石段。折れ曲がって繋がっている。桝形虎口のように一旦ここで出迎えて、というよりは、上がったらスッとそのまま右に折れて主郭へ続く門へ向かうルートになっている。食い違い虎口を形成している。 小曲輪の隅石垣。よく見ると先端の石は、割った際の矢穴が残っている。 小曲輪から見る、主郭石垣と大堀切越しの眺望。 では主郭へ上がろう。細い尾根の上に立派な石垣と虎口を築いている姿を見て、豊後の佐伯城を思い出した(二ノ丸櫓門)。あちらの方が規模は圧倒的に大きいが。 石段の最上部は曲輪の地表面よりも高くなっている。左右にある石は門柱を支えた礎石? 主郭上から小曲輪と石段を見下ろす。 主郭と小曲輪の高低差は2m弱か。 主郭側から小曲輪を見下ろす。本当に小さな櫓台と言った感じだ。もしかしたら小天守的な、小曲輪全体を覆うような櫓が建っていて、その中を通って主郭内(の建物)に直接はいるような仕組みになっていたのかも知れない。 >> 相方城 [2/2] へ続く。<< 訪問時期:2018年4月 撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm – – – – – – – – ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^) 投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね! ページの一番上に戻る   close

相方城 [1/2] 細長い山頂に所狭しと高石垣が築かれた近世山城。
サイト名 城めぐりチャンネル
タグ お城
投稿日時 2018-08-19 14:40:04

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