白山城③の詳細

白山城③
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
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記事タイトル 白山城③
概要

南西尾根へ 二の丸の西に位置する曲輪から南西尾根を歩きます。 南西曲輪から本丸への土橋 土橋を作るための横堀 南西尾根を下り、本丸城壁を見上げています。 南西尾根を歩き 堀切 南西尾根の最頂部 見張り台 ムク台という烽火台 烽火台の先は細尾根 次回 三の丸…… more へ 戦国期の天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻により武田氏は滅亡し、武田勝頼は新府城を退去して家臣・小山田信茂の郡内領へ逃れる途中に、田野(甲州市大和町)において滅亡した。同年6月、本能寺の変で織田信長が死去すると甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生し、甲斐では三河国の徳川家康が新府城を本陣に七里岩台上に布陣し、若神子城に本陣を置く北条氏直と対峙した。天正壬午の乱において武田遺臣の一部は徳川家康に臣従し、白山城には武川衆の青木氏・山寺氏が配置され、諏訪口の監視を行った。白山城は天正壬午の乱において修築されていると考えられている。 青木氏について 丹党の青木氏(神奴氏・丹治氏) 武蔵七党の一つ丹党の末裔の一族が、武蔵国入間郡青木の地を領して本貫とし、青木姓を称したといわれる[1]。 戦国時代には、その青木氏の末裔を称する美濃出身の青木重直・青木一重の一族が徳川家康や豊臣秀吉に仕えて出世した。江戸時代には小藩ながら外様大名として摂津麻田を支配し、明治維新後は華族となった。一族には別に旗本となったものもいる。 青木重直 武蔵七党の一つ丹党の末で美濃国に流されたと称する青木氏の一族。ただし重直より前は、諸系図によって内容が異なり、確かではない。 初め土岐頼芸、次いで斎藤道三に仕えた。『信長記』の一部によれば、永禄2年(1559年)に織田信長が初めて上洛した際に斎藤義龍の命令で信長の命を狙った刺客の一人だったという[6]。美濃斎藤氏滅亡後は織田氏家臣の丹羽長秀に仕え、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いに参加した[7]。後に豊臣秀吉の家臣となって、御伽衆に列した。 文禄2年(1593年)10月17日、摂津国豊島郡のうちで1,400石を与えられ、文禄4年(1595年)9月21日、菟原郡で360石を加増された[8]。この後に剃髪して浄憲と称し、刑部卿法印に叙された。 慶長18年11月21日(1614年元旦)、大坂で死去した。享年86。 遺領は長男・一重が相続した。 いずれもウィキペディアより close

白山城③
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー甲斐
投稿日時 2018-07-31 01:40:01

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