御坂城②の詳細

御坂城②
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
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記事タイトル 御坂城②
概要

天下茶屋さんから西尾根を歩き、御坂山を越えて南尾根に入ります。 石門を過ぎて、西尾根を登ってゆくと、先に台状のものが見えてきます。 小曲輪で物見曲輪かもしれません。 物見らしき曲輪から尾根を下り 平地で受けています。奥には土塁 瘤のような小曲輪が待ち受け、第二物見曲輪 …… more また西尾根を登ってゆきます。 峰の頂部にある物見櫓? 櫓のような小曲輪(要所に設けられています) 西尾根を登り 尾根の両側を削り落とした平地 またまた西尾根を登り 大手は左手から登ってきます。この曲輪?の先端部から攻撃すれば効果大です。 西に周囲を削り曲輪としているように見えます。 さらに西奥に瘤状の第三物見らしきものが見えてきます。 物見から尾根を下り また尾根を見上げると堀切が現れます。 天正壬午の乱 家康の転進 本能寺の変の発生した6月2日、徳川家康と穴山信君(梅雪)は堺(大阪府堺市)に滞在し信長と合流するためともに京都へ向かっていたが、途中で徳川家臣の本多忠勝は京都商人・茶屋四郎次郎から本能寺の変の発生を知る[6]。家康は飯盛山下において事態を知ると、本拠の三河国へ戻るべく伊賀越えを敢行し、無事に畿内を脱出する[6]。一方、途中で家康と別れた穴山は、宇治田原(京都府宇治田原町)で土民に殺害された。 家康は6月4日に三河岡崎城(愛知県岡崎市)に帰還すると、明智討伐の軍を起こすと同時に、無主状態となった甲斐・信濃の計略を開始する[7]。 『当代記』によれば、家康は6月10頃に甲斐の河尻秀隆に使者として家臣の本多信俊(百助)を派遣し、河尻に協力の要請を行った。また、家康は6日には徳川家臣となっていた武田遺臣の駿河衆・岡部正綱に書状を送り、穴山の本拠である甲斐河内領の下山館(身延町下山)における城普請を命じ、富士川・駿州往還(河内路)沿いに菅沼城(身延町寺沢)が築城される[8]。また、家康は同じく武田遺臣で信濃佐久郡の国衆・依田信蕃(よだのぶしげ)を佐久郡へ向かわせる。依田は武田滅亡時に駿河田中城(静岡県藤枝市)において徳川氏に抗戦しており、武田滅亡後に信濃佐久郡春日城(長野県佐久市)へ帰還していたが、織田氏による処刑を恐れて家康に庇護され、遠江に潜伏していたという[8]。 『甲斐国志』『武徳編年集成』によれば、甲斐国一国と信濃諏訪郡を統治した河尻秀隆は武田時代の躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)ではなく、岩窪館(甲府市岩窪町)を本拠としたという[9]。『三河物語』によれば、河尻は6月14日に岩窪館において本多信俊を殺害している。信俊は河尻と知縁があったが、『武徳編年集成』によれば河尻は信俊に不審感を抱き、家康が一揆を扇動し甲斐を簒奪する意図があったと疑い信俊を殺害したという。翌15日に甲斐国人衆が一揆を起こすと河尻は脱出を図るが、18日に一揆勢に殺害された。 一方、家康から甲斐へ派遣された岡部正綱は穴山氏の居館のある下山館(身延町下山)に入った。また、依田信蕃は武田遺臣900人弱を集めて20日には再び小諸城へと入った。家康は西へ進軍していたが、6月14日に山崎の戦いで明智光秀が羽柴秀吉(豊臣秀吉)に討たれると、家康は6月15日に鳴海(名古屋市緑区)において報告を受ける。家康は酒井忠次を津島に前進させ情報を確認し、21日に軍を返して浜松へと戻った。 さらに岡部は6月12日から6月23日にかけて、曽根昌世と連署で甲斐衆に知行安堵状を発給している[10]。 浜松へ戻った家康は信濃・甲斐の国人衆の掌握を進める一方で、酒井忠次・奥平信昌に信州路を進ませて南信濃を確保させる。また、自身も本栖(富士河口湖町本栖)の土豪・渡辺因獄佑に案内され中道往還を通過して甲斐へと進軍し、7月9日に甲府入りする。この時点で家康は、信濃南部と八代・巨摩・山梨の甲斐3郡を掌握する。他方で、佐久郡は碓氷峠を越えてきた北条に取られてしまう。 河尻秀隆の殺害に続いて滝川一益・森長可の敗走を確認した家康は、明智を討ったことで織田体制(←織田政権)内の有力武将となった羽柴秀吉とも交渉し、秀吉は7月7日になって織田氏家臣がいなくなった信濃・甲斐・上野の3か国へ家康が軍勢を派遣して確保することを認める書状を送った[11]。ここでの家康の立場、行動は独立した大名としてではなく、織田体制下の一大名として北条氏の討伐を目的にしたものとされている。ウィキペディアより close

御坂城②
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー甲斐
投稿日時 2018-07-19 00:20:02

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