102城目 No.155 赤木城(2018年7月14日登城)の詳細

102城目 No.155 赤木城(2018年7月14日登城)
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記事タイトル 102城目 No.155 赤木城(2018年7月14日登城)
概要

 猛暑の中、赤木城へ行ってきました。 赤木城は、我が三重県の南部、熊野市紀和町の山の中にある平山城です。 北山一揆鎮圧のための拠点として、天正17年(1589)頃に、当時の紀伊国主・豊臣秀長の家臣であった藤堂高虎によって築かれたといわれています。 築城の名手・高虎初期の作品で、中…… more 世の城から近世城郭への過渡期の城郭として貴重な遺構であり、平成元年(1989)に国史跡に指定され、平成16年度(2004)までに発掘調査と整備工事が実施されました。 また、平成29年(2017)4月6日に、続日本100名城にも設定されました。  さて、決して積極的に続日本100名城のスタンプラリーに参加することに方向転換したわけではありませんが(^^;)、今回、熊野市文化交流センターで赤木城に関する企画展と講演会が行われると知り、10数年前にこの地に勤務していたこともあって行ってきた次第です。まあ、せっかくだから猛暑が予想されたけれども、久しぶりに赤木城へも登城し、そこまで行ったら、ついでにスタンプも押しておこうかなぁ…という感じで、決してこれからガンガンとスタンプを集めて回るわけではありませんので、ご安心(?)を・・・^^;  (以前の番外編としての赤木城登城記録は こちら)  前置きが長くなりました。 高速道路が南へ伸びて、自分が住んでいたころと比べると、随分熊野市も近くなりました。今の自宅から2時間かからなくなりましたからね。ただ、赤木城は熊野市の中心部から、まだ山の方へ車で30分以上入っていかなくてはなりません。 狭い山道(と言っても一応県道)を走って駐車場に到着。  国史跡に指定された頃は、旧熊野市と合併する前の紀和町の時代。人口2,000人にも満たない過疎の町としては、頑張って整備したと思いますね。 駐車場に車を停めて、早速登って行ってみましょう。さすがにこの時期は、緑が多くて肝心の石垣が見難いですね。 【伝・鍛冶屋敷跡】 駐車場から登ってすぐ左手の(伝)鍛冶屋敷跡です。 昔から「鍛冶屋敷」という地名が残っており伝承もあるということで、発掘調査で多数のピットや土坑、焼土が検出され、永楽通宝や施釉陶器、近世染付け椀の小片が出土したそうです。  登城路から見上げると、東郭2の東面の石垣が見えます。  さらに登っていくと、東郭へ入る門跡が見えてきました。 【東郭 門跡】  東郭1と東郭2の間にある門跡。礎石が2石残っていて、間口8尺、奥行6尺の四脚の門があったと推定されるということです。 【東郭2】 門を入って左手の東郭2。 【東郭1】 門を入って右手の東郭1。 【虎口】 東郭から主郭の方へ向かう虎口。ここから主郭までは通路を何度も折り曲げて二重の虎口を設けているとのことです。 奥に階段が見えていますが、本来、下段の虎口には防御のためか階段はなかったということで、梯子のようなもので登っていたと考えられるとのことです。  東郭から虎口の方へ進んでくると、正面に大きな鏡石を見ることとなります。 虎口では石垣の崩落が著しい状態だったそうで、これは城の廃絶後に、敵に利用されることを防ぐ目的で意図的に破壊された可能性があるそうです。  下段の虎口を登って左へ折れます。 さらに左へ折れ、 門をくぐって今度は右に折れ、 最後にもう一度左へ折れて主郭へと入ります。  主郭側から虎口を見てみます。  【主郭】 主郭は城の最高所にあり、城下からの比高は30mほどということです。 方形に近い台形をしており、他の郭より高く丁寧に積まれた4mほどの石垣が巡っているそうです。残っている礎石も大きく、他の郭より立派な建物があったことが窺われるということです。  主郭からの眺め  主郭から東郭を見たところ  主郭から北郭を見たところ  主郭から西郭を見たところ  主郭東面の石垣の横を歩いて北郭の方へ  主郭北隅の石垣 【北郭】 北郭の石垣は2~4段と低く、西面には石垣が積まれていないなど、他の郭に比べて簡素な造りだそうです。 写真奥の先には堀切が設けられているそうですが、とても見に行けるような状態ではありません^^;  主郭西面の石垣です。  横矢が掛かっていますね。  主郭南面の石垣です。  ここにも横矢掛かりが・・・ 【西郭】 尾根上の4つの郭からなる西郭です。 一番上の段の西郭1では、2棟の礎石建物と食物などを所蔵する施設である室か水溜と思われる石組み遺構が見つかったということです。 また、西郭からは天目茶碗や砥石、釘などが出土しているそうです。  室か水溜と思われる石組み遺構  西郭の石垣は、他の郭と比べて傾斜が緩くなっており、麓からよく見える部分には大きな石が使われているそうです。  西郭2から西郭1の方を見たところです。 【南郭】  南郭は、他の郭と違い山裾に築かれているということで、他の郭が防御の役割を担っていたのに対し、南郭は主に生活の場であったためと考えられているということです。 3段の郭からなっており、南郭1と南郭3では建物の礎石や土留めの石積みが見つかっており、さらに南郭3では、かまど跡も見つかっているそうです。  猛暑の中、汗だくになって散策した後は、車で10分ほどのところにある「熊野市紀和鉱山資料館」へ移動します。 続日本100名城のスタンプはここで押すことができます。  展示を見学してから、企画展・講演会の会場である「熊野市文化交流センター」へ向かいます。   まずは、講演会が始まるまで、文化交流センター多目的ホールで開催中の企画展を拝見します。  パネル展示が中心ですが、会場の真ん中にはドーンと赤木城跡の模型が展示されていました。  先ほど散策してきた城跡の様子が結構細かく再現されています。   赤木城縄張図のパネル  出土品の展示もありました。  鉄釘  西郭と東郭から出土した天目茶碗  主郭から出土した焙烙(素焼きの土なべ)  続日本100名城の認定証も掲示されています。  赤木城殿って…^^;  そして14時から講演会です。  演題は、「藤堂高虎の城の原点、赤木城」で、講師は熊野市文化財専門委員で、地元の小学校の教諭をされておられる 和田 利信 先生です。 実は和田先生のお話は去年の夏にもお伺いしました。研究者というよりも、自分たちと同じ城郭マニアのお話という感じで、「うんうん、分かる分かる」といった風や、「自分はちょっと考え方が違うな」といった風な感じで、楽しく聴くことができました。 先生は、平成27年11月に熊野市民会館で開催された「春風亭昇太のおも城ばなしと落語会」では、昇太師匠と1時間にわたってトークショーも行ったということで、なんとも羨ましい。  丸1日、赤木城を堪能した日でした。  実は赤木城も「天空の城」だ、と言われますが、自分は、あまり「天空の城」ということだけで注目を集めるのは好きではないですね。但馬竹田城でも同じですが、別に「天空の城」じゃなくても魅力満載の城なのですから、赤木城は。雲海に浮かぶ姿だけを求めて人が殺到するのを見ると、「うーん」と思っちゃいます。   close

102城目 No.155 赤木城(2018年7月14日登城)
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投稿日時 2018-07-16 00:40:28

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