長根城②の詳細

長根城②
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
ページの情報
記事タイトル 長根城②
概要

本丸へ 長根神社の前の道から西回りに進むと、公民館があります。 公民館横に虎口と説明版 生島足島神社に小河原右馬助重清の起請文が残っている。長根衆の武将、雅楽助・縫之介・神保氏・茂原氏を引き連れ石倉砦の合戦、長篠の合戦、膳城の戦い、神流川の合戦に参加しているとのこと。武田…… more 信玄・勝頼・滝川一益などに仕え戦い続けたことが分かります。 虎口に入って左手にある櫓台、右手には高台の曲輪があり、虎口を挟んでいます。 本丸跡 現在は道路となっていますが、空堀でした。この西には二の丸があったと説明板に記述されていますが、民家であり入れませんでした。 神保城(辛科神社) 神保城地図 辛科神社鳥居 横にある説明版 辛科神社本殿 本門にある武将の額 本殿の裏にある大きな曲輪 空堀 「群馬県古城塁祉の研究 下巻」 山崎一氏著 神保氏は長根衆として上記の通り武田氏・織田氏・北条氏に仕え活躍しました。 後北条氏と安保氏 後北条氏の上野進出は、永禄四年(1561)前後より積極的に行われるようになった。氏康は子氏邦を藤田氏の女婿とし、鉢形・秩父などの武蔵・上野国境の領域経営を行うようになる。後北条氏の上野支配において重要な位置を占める利根川・鳥川・神流川の合流地点に、安保氏が領主支配を行っていた。  北条氏康は、天文二十一年(1552)関東管領上杉憲政を越後に遂い、着々と関東支配の輪を広げていった。そして同年の御獄城合戦で、御獄城を北条氏康が攻略し、以後、後北条氏に支配に入ったと思われる。そして、弘治元年には、検地を行い、領国整備を推進している。  永禄初年(1558)のころになると、後北条氏は安保郷近辺にまで進出してきており、国境地帯の安保氏も小田原の氏康と直接結びついていた。永禄六年(1563)の段階で、安保中務大輔晴泰が武蔵・上野両国に知行を持っていたことが「安保文書」から知られる。永禄十一年(1568)末から翌年正月にかけて、武田信玄が駿河に侵攻し、今川氏真を攻撃した。これに対して氏政は駿河薩垂峠で武田軍を対陣したが、このとき安保氏は、小幡三河守、同族の長根雅楽助をひきつれ、北条氏方として薩垂峠に出陣している。武家家伝より close

長根城②
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー上州
投稿日時 2018-07-10 02:20:02

「長根城②」関連ページ一覧

新着記事一覧

<打込み接・布積み(関八州)> 江戸城、小田原城、佐貫城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、昨日から、下記の分類表「①②-(4)打込み接・布積み」の石垣を導入しているお城を、再び日本の北から南にかけてご紹...
シロスキーのお城紀行
2022-09-26 01:00:04

中城城 日本100名城 沖縄 路線バスで行く世界遺産5城 5-4


hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
 ◆中城城 三の郭の石積 またかなり間が空いてしまいました。引き続き3月中旬に久々に沖縄、世界遺産5城を2泊3日で路線バスを利用して...
hachiの日本100名城 続日本100名城 お得な切符で行く 鉄道・バスの旅
2022-09-25 14:40:05

<打込接・布積み(奥羽・出羽)> 弘前城、盛岡城、仙台城、会津若松城


シロスキーのお城紀行
「石・石塁・石垣シリーズ」は、「①②-(3)打込み接・乱積み」を日本の北から南まで展開しているお城の写真をお届けしてきましたが、昨日で一応終了...
シロスキーのお城紀行
2022-09-25 02:00:03

讃岐小豆島 星ケ城  西峰と東峰から成る素晴らしい眺望の山城


久太郎の戦国城めぐり
讃岐小豆島 星ケ城 (香川県小豆郡小豆島町安田・星ケ城山) <県指定史跡> <ちょっと小豆島まで行ってきます・②>坂手港から安田館を訪問した後...
久太郎の戦国城めぐり
小豆島の城めぐり
2022-09-25 01:40:03

第439回:江馬氏下館(北飛騨における江馬氏の繁栄を示す城館跡)


こにるのお城訪問記
訪問日:2021年11月江馬氏下館(えまししもやかた)は岐阜県飛騨市にあった城館です。江馬氏城館跡の一つとして国史跡に指定されています。北飛騨の雄...
こにるのお城訪問記
岐阜県の城郭
2022-09-25 01:20:03
;