神成城④の詳細

神成城④
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
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記事タイトル 神成城④
概要

本丸から南東物見 二の丸(これは宮坂氏の縄張り図の南上) 縄張り図は「境目の山城と館」、宮坂氏もこの写真の場所を名付けていません。 二の丸南側土塁、この上が本丸で虎口と思われます。 遊歩道が通り本丸北城壁 本丸、以前は笹薮だらけで、これほど見事な土塁が確認できませんでし…… more た。 土塁上に立って西から見ています。 土塁から本丸を見下ろしています。 土塁上にある縄張り図 土塁も東側は曲輪になっています。 南東尾根の堀切 南東の物見 国道254号線沿い、宮崎宿、奥の山が稲含山 次回 本丸南西尾根から御岳山の物見 上野国の小幡氏 家紋は「軍配に七五三笹」。 発祥地・上野に拠った上州小幡氏の系統は早くに二つに分かれたとみられ、小幡右衛門尉と三河守をそれぞれ名乗っている。前者は小幡氏行[1]を祖とし、のち宗家として国峰城を支配した。後者は系図上では小幡次郎重高(行頼の弟)を祖に持つといい[2]、鷲鼻城を本願地とした[3]。ただし戦国期には両家は独自に行動しており、宗家・分家としてのまとまりは無い[2]。 上州小幡氏は室町期に山内上杉氏の被官となっていたとみられるが、上杉憲政が後北条氏に追われて上野を失った際、三河守系は憲政に従い越後に逃れた。三河守系が山内上杉氏に仕えて北武蔵方面に勢力を持っていたため後北条氏に追われることになったとする説もある[2]。その後、小幡三河守は長尾景虎の上杉氏継承に参列するなど上杉方であったが、三河守信尚はのちに武田氏に属することになった。 一方で国峰城の小幡憲重については、後北条方に離反したと考えられてきたが、近年になって程なく後北条氏から武田氏に鞍替えしていたことが判明している。その結果、山内上杉氏の没落と後北条氏の進出後に憲重は武田氏の家臣でありながら後北条氏からも一部所領の安堵を受けると言う関係になった。武田氏帰属の事実は憲重の嫡男は元服後に武田晴信(信玄)の一字から「信実(信貞)」と名乗っている事からも裏付けられる[4][5]。しかし憲重の行動に対して憲政退去後も後北条方につかず抵抗していた箕輪城主長野業正は、小幡一族の小幡景純(あるいは憲重の弟・景定)とその養子・次郎信之[6]を後押しし、憲重の草津温泉滞在中に反乱を起こさせ国峰城を占拠させた[7]、小幡領を上杉方の勢力下に戻してしまった。このため憲重と嫡男・信貞は武田信玄を頼り甲斐に亡命した。信玄はこの亡命を利用し国峰城へ侵攻、景純を討死にさせ、小幡氏は武田氏の西上州侵攻の先鋒となっていく。 その後、武田氏が箕輪城を落城させると小幡氏は武田家臣として西上野衆を率いる立場となり、小幡の赤備え軍団として三増峠の戦い・三方ヶ原の戦い・長篠の戦いなどに参戦、武田騎馬隊の主力として活躍した。しかし武田家滅亡に伴い、小幡信貞は織田信長配下の森長可に降状する。そして本能寺の変後は後北条氏に属すが、天正18年(1590年)小田原征伐に伴って国峰城も落城した。小田原に篭城していた信貞は旧友の真田昌幸を頼り信濃に亡命、52歳で病死する。徳川家康関東入部後、その配下の奥平信昌が小幡を領することになり、上州小幡氏は本領を失うことになった。 宗家・信貞には実子が無く、一族から数人養子をとっていた。そのうち跡を継いだのは直之(信貞弟・信秀の子)で、江戸幕府に仕えて旗本となった。また同じく信貞養子で直之の実弟である有宗・氏吉兄弟は、氏行が真田信之に仕えて松代藩の重臣となり、氏吉は紀伊和歌山藩に仕官した。松代小幡氏は幕末まで存続し明治期に東京へ転出した。しかし紀州小幡氏は幕末には藩記録に見えず消息不明となった。 また、直之の三男・直寛は、分家して御家人として一家を創てたが、直利の時に甲府勤番を命ぜられた。甲府小幡氏の菩提寺は日蓮宗 仏国寺である。 彦三郎信氏(信定)、七郎兵衛、囚獄の3兄弟は加賀藩家臣となった。特に彦三郎・七郎兵衛はどちらかが信貞養子となり、小田原落城までは嫡男または当主であったともいわれる[8]。彦三郎信氏系はその子・播磨守信昌のとき妻女刺殺事件を起こし改易、残り2家が前田家家臣として続いた。このうち囚獄系のさらに分家が越中富山藩分立の際に富山へ移住している。北海道の小幡氏は、明治期に加賀小幡氏(七郎兵衛系)嫡男の小幡順太郎系が越後を経由し北海道へ渡ったと推察されている[2]。 一方、三河守系は武田氏ののち再び上杉氏に属したらしく、喜兵衛忠刻が上杉景勝の家臣として仕え、米沢藩士として幕末に至った。また三河守系の喜兵衛系の一門とみられる3家があり、その中の小幡四郎左衛門の家督を継いだのは小幡播磨守昌高(信貞弟)二男とされ上総介系になっている[9]。ウィキペディアより 下仁田町の吉崎公園が三河守貞政の鷹巣城です。 吉崎公園地図 神成城記事①で乗願寺に少し触れましたが、この寺が本院で常住寺(地図をスクロールすれば北の下仁田役場近くにあります。)が別院だそうです。そして桧平合戦について神成城記事②でリンクできるようにしてありますが、常住寺を図書之助が本陣として憲重、信貞父子と戦ったと戦記にあります。 close

神成城④
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー上州
投稿日時 2018-06-26 01:40:01

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