第212回:上平寺城(北近江の名門 京極氏の本拠地){付 京極氏館}の詳細

第212回:上平寺城(北近江の名門 京極氏の本拠地){付 京極氏館}
こにるのお城訪問記
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記事タイトル 第212回:上平寺城(北近江の名門 京極氏の本拠地){付 京極氏館}
概要

訪問日:2015年11月上平寺城(じょうへいじじょう)は滋賀県米原市にあったお城です。北近江の名門 京極氏による遺跡は伊吹山の南の山並みから山麓にまで広がります。山麓の京極氏館,詰めの山城である上平寺城,山岳寺院を城郭として改修した弥高寺(やたかでら)を合わせて京極氏遺跡群として…… more 国史跡に指定されています。16世紀の初頭,1505年に京極氏の内紛を収めた京極高清が居館と山城を築城したとされ,1523年 浅井氏等の国人の攻撃による落城までの20年近く北近江の守護所として中心的な役割を担いました。この後,京極氏が没落し浅井氏が北近江の覇者となりますが,上平寺城は国境を守る城として浅井氏に引き続き利用されたようです。1570年 織田信長の朝倉氏攻めによりそれまで同盟関係にあった浅井長政と織田信長が手切れとなると,対織田軍の拠点として改修された記録が残ります。  【左】伊吹山の南麓に広がる京極氏館,上平寺城,弥高寺。一番右の雲に隠れている部分が伊吹山の山頂になりますが,その横の見えている尾根頂部あたりが上平寺城。そこから左に連なる山並みに弥高寺。上平寺城の麓に京極氏館があります。【右】京極氏館は尾根に挟まれた谷筋を南側の外堀で遮断していました。南側を走る広域農道により埋められた部分も多いのですが,交差点に外堀の案内があります。どうやらこの溝に沿って外堀が伸びていたようです。  【左】広域農道から京極氏館のある谷筋に入ると一之門跡の標柱があり,ここに館への第一の門があったことが示されています。【右】杉本坊の前に駐車場,案内板が整備されています。杉本坊は京極氏の庇護のもと発展した山岳寺院である伊吹山寺(いぶきさんじ)の一部でしたが,衰退し現在はここだけが残っているそうです。京極氏館の詳細案内。道の両側に屋敷跡が並び,その奥に京極氏館跡や庭園跡があることがわかります。現在では館跡の背後に伊吹神社,京極氏の墓所があり,そこから50分というかなりハードな登山をして上平寺城に辿り着きます。上平寺城から山沿いに30分程度辿っていけば,別の尾根の弥高寺に到着です。  【左】小川を渡ると館への入口となりますが,左寄りに案内板が写っていますが,その背後が内堀跡です。小川が内堀ではありません。【右】内堀跡は今では小さな溝のようになっています。  【左】ここから道の両側に屋敷跡が続きます。まず右手に現れるのが薬師堂,その上段に弾正屋敷があります。【右】道の左側に現れる隠岐屋敷。道に沿って土塁が残っています。  【左】さらに進むと右側にある蔵屋敷。【右】一番奥の右手にあるのが御屋形と呼ばれた京極氏館跡の中心部です、   【左】案内板にあった上平寺城絵図。江戸時代初期の作とされていますが,京極氏館から山上の上平寺城までが描かれており,現在残る遺構と一致している貴重な資料です。【右】御屋形の奥にある京極氏庭園跡。池泉鑑賞式庭園で庭園を構成した多くの庭石や池跡を残します。   【左】庭園跡に残された虎石と呼ばれる巨石。【右】館跡の背後にある伊吹神社。  【左】伊吹神社の横にある京極氏一族の墓。元々は京極高清の墓もあったようですが,移転されており,ゆかりの女性の墓が残っているようです。【右】いよいよ,上平寺城に向かって一時間弱に及ぶ登山の開始です。何せ標高660m,比高で380m程度の山城です。ひたすら登るしかありません。ここで現地にあった上平寺城の縄張図を提示します。伊吹山から伸びる尾根筋を大堀切で断ち切りそこから土塁,堀切,竪堀で防御された曲輪が南向かって展開していきます。  【左】登りが厳しい登山道を歩いていると,最初の竪堀が絡んできます。この辺りから城域の南端付近となります。上記の縄張り図では右端に取りついたことになります。【右】南の斜面はこの他にも多くの竪堀で守られています。  【左】最初の曲輪へのスロープ状の虎口です。【右】最初の曲輪は三の丸と案内があるのですが,縄張図ではⅦの曲輪で,ⅥとⅦを合わせた大きな括りで山の丸と案内しているようです。  【左】Ⅶ曲輪の東の腰曲輪へ開いた虎口。【右】腰曲輪には仕切りのような土塁がありました。また東斜面には竪堀も確認できます。  【左】Ⅵ曲輪の北側の堀切を渡す土橋。【右】堀切の断面ですが,肉眼では堀切底部に障壁が設けられていることも辛うじて確認できます。  【左】堀切を渡るとⅣ曲輪の土塁が行く手を阻み,屈曲させる枡形虎口が待ち受けています。この城の見所の一つです。【右】Ⅳ曲輪は現地では二の丸と案内されていました。土塁が曲輪を取り巻いている様子が写真でもわかります。  【左】Ⅲ曲輪まで進むとさらに高い土塁が取り巻いています。2mはあると思います。【右】Ⅲ曲輪と本丸であるⅠ曲輪の間の斜面にも3本の竪堀が掘られています。これは東斜面。  【左】西斜面の竪堀。【右】Ⅰ曲輪(本丸)の西側の虎口からアクセスします。通常の平虎口です。  【左】Ⅰ曲輪(本丸)の様子です。ここも高くて分厚い土塁により守られています。【右】東側にも虎口を確認できます。  【左】標高が高いだけに眺望が抜群。天気の良い日は名古屋のツインタワーまで見えることがあるそうです。【右】Ⅰ曲輪(本丸)の北側背後の尾根を断ち切る大堀切を渡す土橋です。この先を進めば伊吹山や弥高寺方面に向かうことが出来ます。弥高寺まで行きましたが別途レポートします。  【左】麓に下りてきました。最初の京極氏館の案内板にも書かれているのですが,広域農道の南側に広がる城下町を関ケ原宿と木之本宿を結ぶ北国脇往還が東西に走っています。余談ですが北にある立派な車道は広域農道でこの旧街道(未舗装)が何と県道531号線の指定を受けています。この北国脇往還の北側,城の南西に残る家臣屋敷跡も見ておきましょう。【右】上平寺城絵図にも若宮,加州,多賀等と描かれている家臣屋敷跡は整備されているとは言えないのですが,幾つかの部分に区切られた様子はわかります。発掘調査では石垣や砂利敷きの堀底道,土塁などが見つかっています。これも土塁のようです。流石に北近江名門の本城。弥高寺も含めて全域見て回ると一日中かかります。そして登山がA級の部類で膝痛めました。あと,クマが良く出るそうです気を付けよう。大きな地図で表示 お城巡り ブログランキングへ にほんブログ村FC2 Blog Ranking close

第212回:上平寺城(北近江の名門 京極氏の本拠地){付 京極氏館}
サイト名 こにるのお城訪問記
タグ 滋賀県の城郭
投稿日時 2016-12-29 14:18:09

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