川越城にゆく  其の壱:本丸御殿から富士見櫓台跡の詳細

川越城にゆく  其の壱:本丸御殿から富士見櫓台跡
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記事タイトル 川越城にゆく  其の壱:本丸御殿から富士見櫓台跡
概要

埼玉県川越市にあります川越城です。当ブログ96城目となる川越城は、川越城は太田道真公、太田道灌公父子によって築かれた城で、関東七名城のひとつです。また、日本三大夜戦のひとつ「河越夜戦」の舞台となった城でもあります。江戸時代には川越藩の藩庁が置かれ、江戸の北側の防衛線として重要視さ…… more れました。松平信綱(知恵伊豆)公や柳沢吉保公など幕府の要職についた歴代藩主が多く、特に江戸時代中期までは「老中の居城」(老中数7名は全国でも最多の藩のひとつ)でした。1848年に建られた本丸御殿の一部が現存しています。本丸御殿大広間が現存しているのは、日本では川越城の他には高知城のみで、大変貴重な遺構です。本丸御殿へは、川越駅よりバス15分程度で到着します。当時はここに本丸門があったようです。少し歩くと御殿が見えてきました。川越城本丸御殿です。川越城図がありました。川越城本丸御殿は、1848年に松平斉典公の17万石時代に建てられた入母屋造りで、豪壮な大唐破風と霧除けのついた間口19間・奥行5間の大玄関・車寄せをもつ御殿です。本丸御殿の外窓は、場所によって敷居・鴨居の溝の数が異なっています。具体的には、玄関側の外窓は2本溝、玄関側以外では3本溝となっているのですが、御殿建築の外窓は、多くの場合、3本溝の敷居・鴨居を使用します。外側に2枚の雨戸(板戸)、内側に1枚の障子という構成で、窓に戸袋がなく、雨戸2枚を片側に寄せると障子1枚で開け閉めが可能になるのですが、川越城本丸御殿の玄関側には溝が2本しかなく、保存修理工事に入る前から疑問視されています。後世の改修によって作り替えられたと考えられていますが、解体調査の結果、敷居・鴨居ともに建築当初のものと判明し、謎の解明には至っていないそうです。現在では、普段は雨戸で閉められ、使用時のみ障子と交換する、という仮説が考えられています。城主が住む本丸御殿の玄関や広間は特別なものであるため、重要な会議や来客時のみ使用されたのではないかと考えられています。当時は16棟、1025坪の規模をもっていましたが、明治に入ると廃城令で多くの建物は解体され、現在残る建物は玄関・大広間部分と家老詰所のみしかありません。その玄関・大広間部分も明治に入り、入間県県庁、入間郡公会所、更には淀橋支局川越分工場へと転用されてしまいます。1933年には川越武道奨励会の修練道場となり、名称も初雁武徳殿に変更します。戦後は川越市立第二中学校(現在は初雁中学校)の校舎や屋内運動場として使用されていましたが、1967年に県指定有形文化財に指定されました。家老詰所については、解体後上福岡市(現:ふじみ野市)の民家に移築されていたのを再度移築したものであり、位置は以前とは異なっているそうです。こちらも1991年に県指定有形文化財に追加指定され2011年の3月まで保存修理工事が行われていました。石碑もここにあります。この日は残念ながら休館日で、御殿の中を見ることはできませんでした。御殿の内部は36畳の大広間があり、板間で玄関と区切られているそうです。また、さおべり天井で奥行3間の座敷には9尺の廊下が四方を囲っていおり、建坪は165坪もあるそうです。御殿の奥には川越城図があります。本丸御殿の前には駐車場になっており、石碑が建っています。再建の辞です。2018年に整備の計画もあるようです。これからに期待ですね。駐車場の奥には太田道真・太田道灌父子が川越城を築城した際に城内の天神曲輪に移転した三芳野(みよしの)神社があります。三芳野神社境内です。拝殿は修繕中のようです。ここで参拝します。社殿の説明板です。境内には石碑がありました。わらべ唄発祥の地の石碑です。こちらは川越城七不思議の石碑です。「川越城の七不思議」と書かれた案内板も設置されています。境内には、かつての川越城の土塁とみられる高台もあります。童謡「とおりゃんせ」は城内にあったをこの三芳野神社を舞台にしたものだといわれています。当時の庶民は気軽に参拝できるものではなく「ご用のないもの通しゃせん」であり、帰りは厳しいチェックが待っていたので「行きはよいよい帰りは怖い」だった。続いて本丸御殿から南西へ直線で150メートル、道のりで約300メートルのところにありました、富士見櫓台へ来ました。ここは、当時の三の丸跡地で小高い丘が城内で最も高い位置にあたり、この地に三層の富士見櫓が建っていました。櫓の前には田曲輪門がここにありました。ここから櫓台へ登れそうです。説明板です。川越城には天守はなく、富士見櫓が天守の代わりとなっていました。 正確な規模は不明だが江戸末期の1866年のに川越城を測量した時の記録によれば、長さ八間三尺(約15メートル)、横八間 (約14メートル)あったと記されています。富士見櫓の名前の由来は、文字通り富士山を望めたためです。では櫓台を登ってみましょう。ここにも説明板がありました。川越城跡の説明板です。顕彰碑もここにあります。ここからの景色です。この先へ通行止めになっていました。現在、この先には浅間神社と御嶽神社があります。次回は、川越城その他の遺構および観光地となっています川越の街を散策します。【其の弐に続く】訪問日:2018年4月▽ ▽ランキングに参加しています。  応援(クリック)よろしくお願いいたします。   ⬅︎  クリックしてくださいね〜 にほんブログ村  close

川越城にゆく  其の壱:本丸御殿から富士見櫓台跡
サイト名 廃城にゆく
タグ 埼玉県にゆく
投稿日時 2018-05-01 01:20:01

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