熊倉城②の詳細

熊倉城②
山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
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記事タイトル 熊倉城②
概要

本丸へ 手前二の丸、空堀の先に本丸 西から堀を見ています。 本丸南虎口 空堀越しに二の丸を見返しています。 本丸 本丸西側は一段低くなっています。 本丸東側の空堀 本丸北側の空堀、この先に 三の丸 三の丸北の曲輪 北虎口 以上で熊倉城は終ります。 次回は…… more 塩沢城(小鹿野町)実は長尾景春はこの山城でも太田道灌と戦っています。 長尾景春の乱② 景春は縁者(従兄弟)である太田道灌に同心を求めるが、道灌はこれを拒否して直ちに五十子陣にいた顕定と主君の扇谷家当主上杉定正のもとへ向かう。道灌は顕定と定正に景春を懐柔すべく、忠景が景春に武蔵守護代を譲るように進言するが景春が自分に次ぐ立場になる事を嫌った忠景は異例の両職兼任を行い[4]、それならば忠景を一時的に退けるよう進言するも顕定はこれを受け入れず、ならば直ちに出兵して景春を討つよう進言するが、古河公方成氏と対峙している状況ではそれもできないと取り上げなかった。そして何よりも足利長尾家(長尾景人)亡き状況で、長尾一族の長老である忠景が家宰に就任するのは当然で、景春の主張は不当のものだという考えが、顕定・忠景だけでなく他の上杉氏重臣の間にも強く、忠景を一時退ける様に顕定に諫言した道灌は却って父の道真に叱責される有様であった(『太田道灌状』)[1][2]。 道灌が今川氏の内紛介入のために駿河に滞在していた文明8年(1476年)6月、景春は武蔵鉢形城に拠って反旗を翻す[5]。顕定・忠景は未だ景春の力を軽視していたが、景春は優れた武勇の士であり、2代続けて家宰職を継いだ白井家の力は他の長尾氏一族よりも抜きん出ていた。五十子陣の上杉方の武将達は動揺し、勝手に帰国する者が続出する。 翌文明9年(1477年)正月、景春は2500騎を率いて五十子陣を急襲し、顕定と定正は大敗を喫して敗走。18年に渡り、対古河公方戦の最大の防御拠点だった五十子陣は景春の僅かな兵によって落とされてしまった。顕定と定正は上野へ逃れる。ウィキペディアより close

熊倉城②
サイト名 山城めぐり(兄弟ブログ biglob)
タグ 山城ー武州
投稿日時 2018-03-15 00:40:04

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